アーナパーナ瞑想での「喜」とは पीति(pīti)を指していて、「喜」「満足」とか、「歓喜」「有頂天」とかとも訳されるとされています。
- 『私は喜を感受して出息しよう』と修練し、『私は喜を感受して入息しよう』と修練します
タバコを吸っている際の一つの感覚の一部がこの「喜( पीति pīti)」に酷似していて「その感覚」が「何であろう」と思ったことから私の「ニコチン断ち」の端を発していました。煙に巻かれないように(笑)言い換えておきますが、ニコチン摂取時に起きる感覚が「喜( पीति pīti)」に酷似していると私には思えるので、薦めるわけでも、(風潮に対して皮肉を込めて書きますけれど)現代社会において憎き社会悪・タバコをどうこうという話しじゃないですし、御上に逆らう(健康増進法やら)つもりや意向に背こうという話しでもないので、あしからず。実際には私のように身体を使う系の人にとってはタバコとかは一瞬やる気をだして気持ちの切り替えのスイッチのように使えるアイテムなワケです。快楽を得るには代償が必要ですね。すべての人が同じにできるわけではないことを前提として捉えておく必要なのかもです。
話を戻して・・・。
「喜( पीति pīti)」を実践して学んでいくと「喜悦」の状態に入る事があります(だんだんと常時は入れるようになります)。喜悦の状態になると、場合によっては、心拍数が上がり身体が震え座っているのにいても立ってもいられない感覚や明るくなっているわけでもないのに光に包まれたような感覚に陥り「快感」を味わうわけです。「喜悦」に至った状態までを含めて考えると、そっくりの事を作り出す神経伝達物質が浮かびます。それがドパミンという物質です(→ドパミン(e-ヘルスネット))。
一応、私は医者でも看護師や薬剤師でもなく研究者でもないのでお断りしておきますね。ただの一行者を目指す者として体験を通して学問の知識も総合してみているに過ぎないので、教える立場でもない、しがない実践者でしかないです。そう思って読み進めてもらえればと思います。
ドパミンという物質は教科書上、『脳内「報酬系」に関わっていて』『快感、やる気、学習能力、運動機能や記憶力といった働きを司る神経伝達物質』ぐらいしか習わなかった記憶があって、ほぼ生理学上は何なのかが知らないままで、私の場合は臨床医学や薬学で少しだけ学んだだけでしたので浅い知識しか持ち合わせていません。が、この所の禁(嫌)煙ブームで、このドパミンについては一般知識的に触れられるようになったのが最近なのかもしれません。
ドパミンが放出されると快感が生まれますが、「喜悦」での快感の正体は報酬系のドパミンであることは推測がつきます。また、本来は実際に行動に移している時放出されるらしいのですが、喫煙(ニコチン摂取)という視点から見ると(ニコチン依存のシステム – いい禁煙)、側坐核からドパミン”など”を放出して、中脳辺縁系を刺激して「脳内の報酬系と呼ばれる神経系が活性化」して「快感」を得るという構図になります。
重要なこととして、ドパミンは側坐核からしか出ないわけではなく、中脳と視床下部を中心にドーパミン作動性ニューロンがあって作用している事が分かります。そして標的目的ごとに神経経路が分かれていて黒質線条体路・中脳辺縁系路・中脳皮質路とあり役割も微妙に違って見えます。また、副腎髄質からはドパミンとアドレナリンとノルアドレナリン(3つをカテゴライズしてカテコールアミンなんて呼び、他にセロトニンやヒスタミンを加えて5つをモノアミンなんて呼びます)が放出されます。ついでにいうと副腎髄質は交感神経節ですし、(ノル)アドレナリンと関係の深いドパミンという点(前駆物質)を考えれば当然「喜悦」状態でドキドキバクバクしていてもおかしくはないことが分かります。
こういった物質は血液を介して全身を行き来しますが(ホルモンと呼ばれたりしますが、神経同士の伝達では神経伝達物質と分別されます)、脳内と体内では特定の物質はブロックされ自由に行き来ができません(血液脳関門=BBB)し、つまりドパミンを経口ないし注射とか体外から直接摂取しても脳に届きません。また私見ではドパミンが増え過ぎると多幸感が強くなり下手したら理性が壊れることも考えられますので、単純に何でもかんでもドパミンを増やせばいいワケではないと思っています。記憶力を上げる効果があるような事も書いてあるサイト見かけますが、増えすぎて多幸感に浸る状態になっている時とかむしろ記憶に残らないような気がしないでもないです。増えすぎても減りすぎても諸刃の剣であることとして、統合失調症はドパミン過剰が原因とされていて鬱症状なども関係しているそうで、またパーキンソン病は黒質緻密部ニューロンの変容によるドパミン不足が原因とされています。放出部位と受容する側の部位が異なれば、例えば上記の例で、統合失調症とパーキンソン病の偶発することも考えられます。
いずれにしても面白い点は、進化しきった人間の大脳新皮質や大脳辺縁系といった新しい脳が感情を作り出しているのではなく、自律神経系や中脳・大脳基底核・線条体付近の比較的古い脳が感情の根源に関わっていそうなことががうかがえ、もしかしたら第二の脳と言われる内臓も含まれる点でしょうか。人間の感情があるから高次脳だなんて事はなくやっぱり動物にも感情らしきものがあってしかりでしょうし、情動など理性によってかなりコントロールされているというのが納得できます。
さて、タバコ・・・ニコチンとの関連に話しを戻します。ニコチン摂取でドパミンだけではなく、更に、ノルエピネフリン、セロトニン、アセチルコリン(他にバゾプレッシン、βエンドルフィン)も、ニコチン受容体に関係する物質です。おそらくアルコール摂取もニコチン受容体を介して同様の事かと思います(→ドパミン(e-ヘルスネット))。βエンドルフィンによる鎮痛効果あり「モルヒネの6.5倍」だとの事ですので少量でもかなりの効果があるのでしょうし、セロトニンも幸せホルモンなんて呼ばれる一つですので、ニコチン摂取が精神的にも相当に「助け」となることがうかがえます。
実際には「喜( पीति pīti)」の感受の段階に入っても「喜悦」に入るかはいらないか(本当はサーマディを目指すのが本道なので半ばどうでもよいことなんですが)その前の集中力が十二分に仕上がっているか(「研ぎ澄まされた状態」になっているか)否かに掛かっているように思いますので、体験から十二分に実践と学びで、長い呼吸の気づき~短い呼吸の気づき~「身行(कय-सन्खार kaya-sankhāra)」の感受~身行の調整~の段階でどれだけ集中できたか”だけ”なように思えます。
逆にこれらが関連していることが分かれば、昔「師匠につかずに坐っちゃいかん」と言われたりしていたことが嘘じゃなかったんだと納得かもしれません。大量に自己啓発やスピリチュアルな情報があふれ、様々なアプローチから過去の英知と思われてきた智慧(が文字化され知識という形で)が入手可能で、現実は残念ながら下手に隠すことが何ら効果がなくなってきた現代で、そんな悠長なこといってられない部分もありますかね。「自由性を優先すれば安全は失われ、安全を優先すれば不自由になる」どちらかに偏った未来は見えません。もしくは更に高度に成長するか、ですが、生まれてきた赤子の時点を高度にするか完成時点を高度にするか(高年齢化が必須)、今必要なのはどちらですかね?逆に言葉(文化?科学?学問?)にとらわれすぎている私も問題っちゃー問題なんでしょうけれども、そんな前提条件も”今”には無駄だろうなとも思えてしまいます。
「慾」と言う文字がありますが、『ほしがる心。満たされることを求める心。』なのだそうです。密教の菩薩さんに「慾金剛菩薩」と文字が当てられているのは「喜( पीति pīti)」極めて「喜悦」に入って更に極めたような・・・そんな意味で当てているようにすら思えたのでした。と、実は欲の肯定って単にこういう感情(情動)の肯定だったのでは?とも思えているのでした。
そんなわけで結構一人で学び色々蓄えてきた私が言うのもアレなんですが、それぞれの経験談などを参考にできる「仲間」もないとダメなんじゃないかなぁと。昔ながらの伝統宗派もよいのでしょうが「みんなのサンガ」のような形でもよいし、それを「僧伽」としてもよいのではないかとも思える今日この頃です。まぁ、それでも縛りがありすぎたらほかも探せばあると思いますし。