MSYS2とWindows Terminal使っている方ならば、.bashrcにaliasで入れておいておけばよくないですかね。
alias su="powershell start-process wt -verb runas"
Windowが新しく立ち上がるのが美しくないとか聞こえてきそうだけど、どっかの誰かがもっと美しいやり方でも見せてくれるまでのつなぎで。
Buddhist Road : "Walk Alone Like a Rhinoceros!" :-)
MSYS2とWindows Terminal使っている方ならば、.bashrcにaliasで入れておいておけばよくないですかね。
alias su="powershell start-process wt -verb runas"
Windowが新しく立ち上がるのが美しくないとか聞こえてきそうだけど、どっかの誰かがもっと美しいやり方でも見せてくれるまでのつなぎで。
お怒り・お叱りマークですね。もしかしたら単なる文字化けかもしれませんけれども(一応括弧で括っておいた)。別に怒ったりしているわけではないんです。ただ、とてもひらめきました、その印だったりします。
あれから相変わらず大乗経典なぞどうでもよくなってしまっていて、ふと手に取った本(といっても大乗の思想なんですがね 『ゴータマ・ブッダ その先へ 思想の全容解明』(羽矢 辰夫 著[春秋社]))にやられまして、単語が入ってこなくなっちゃいました。入ってこない単語というのが、サンカーラ(Saṅkhāra)=行です。調べれば調べるほどこれについては訳わからないことが書いてあります。”作り上げられたもの、作られたものの因、作られたものの結果、作られるもののプロセス、条件付けられたものはすべて「行」という”なんのこっちゃ、というところですが、上の本では「自他分離的自己形成力」とか表現していて、あぁと腑に落ちる表現だなぁ、けど、余計入らなくなってきたと。悩んでいる事柄自体はどうにもならんしどうにかしてどうこうするしかないわけですが、内容自体はどうでもよく客観的に見ていると、その一瞬で「我」が成立しているのが見えてくるんですよね。よーく観察していると、「我痴、我見、我愛、我慢」一瞬かつランダムに四煩悩に繋がって記憶へ縁起するというか接触していくというか引っ張り上げられるというか表現できないんですが、ずーっとこれが表現できないでしたんですが、それを「行」というと簡単なんですね。束ねて形成してしまう。「五蘊」とか言って、また別にもまとめてましたけど、「蘊」の字は草冠(艸)に「縕」=繊維なんですが形変われば布絡んだままで綿の様にこんがらがってしまいますね。その本書いた著者も相当に困ってしまっていたんだと思いますし、私には腑に落ちたのが、それが「?マーク」、「行」という象形文字でした。イメージでした。ひと文字で組合・ギルドなんて言う組織の意味もあるんですね。で、やっぱり、龍樹は「戯論」という言葉による形成というポイントを突いていたわけで、「我」が定まると確定すると途端に他が分離されて、事象が形作られていくんですよね。ごちゃごちゃと、バッカみたい、けれど現実に何にも解決しないけど(笑)。大師も「五大皆響き有り十界に言語を具す六塵悉く文字なり法身は是れ実相なり」と言ってますわね。万事解決です。
ちなみに、「六塵」は「六境」、「色声香味触法」ですね。眼耳鼻舌身意が外界と触れて感覚というシンボルを作ってしまうんですが、甘かったり眩しかったりヌメッとしていたり臭かったり不快感なのも、意識をのぞいて実は五大に分けられるんですよね。間違っても志那化(東洋思想化)しない方がいいかもしれないです、後々困るかもしれないので。でも所詮、「行」を見極めるシンボルなので、どうでもいいことかもしれませんが。それぞれの感覚器と五大との相対は「眼覚」は「火」、「聴覚」は「空」、「嗅覚」は「地」、「味覚」は「水」、「触覚」は「風」だそうで、当てはめてみると、そう、その通りと思えるかもしれません。そのお釈迦様のいた時代の科学というか文化の中での認識が仏教のベースになっているであろうことは想像に苦しくなく、その五大の相対はアーユルヴェーダがヒントに・・・当時の科学に近かったんじゃないかと思えてます。そもそも上の五大と感覚器の相対は禅宗かどこかの方が書かれていたのをメモっておいて見直してみたらスッキリと受け入れられたワケです。「小空性経」並のスッキリ腑に落ち加減でした。腑に落ちれば何でもいいのであくまでもヒントと言うことにしておこうかと思いますが、拘りすぎても単なる執着なので、適当にメモして試してみる程度で納得いかなきゃ捨てていい話(自灯明法灯明)でした。
昨日はあの金閣寺にご尽力された方が亡くなられたそうで、今日は天台座主様が亡くなられたようですね。瀬戸内寂聴さんもつい先日ですが、時の人なのでマスコミがざわざわするのも仕方ないかと思ったんですが、お二人に関しては意外でした。まぁこんな反応したのは、今日は日中ずっと地響きすごくて、先日の地震の時も直前は地響きしていたなぁと。お釈迦様が亡くなられたとき、天地も悲しんだといいますからねぇ。ざわざわしてしまいますが、昨日都内に出たとき偶々寄った不忍池辯才天のお堂が開いてまして参詣してきました。不忍池辯天堂って実は寛永寺さんで、寛永寺さんといえば天台宗で徳川家墓所もあるわけで、天海さんの肝煎りと言っていいのかもしれませんが、徳川家って増上寺を見ればわかると思いますが元々は浄土宗が菩提寺で、戦乱開けてのその当時ですら(客観的な歴史として)権力との結びつきのあった宗派の姿がみてとれたりします。
浄土宗の宗紋って月影杏葉らしいんですが都内の浄土宗の寺院では三つ葉葵の御紋をよく見かけるもんですから(「ひかえ~!」の水戸黄門さんのアレの紋です)、寛永寺さんでも同様に三つ葉葵の御紋で無意識に浄土宗だと思っていました(苦笑)。最近になってこの二つの宗派で行ったり来たりしていたことを知ったわけです。
このご時世でチップの値段・・・集積回路のことね・・・が上がってるらいいのでパソコン自作している私的にはしばらく様子見だったんですが、そんなこんなでヤフオクでパーツ集めて組み直しました。超ど安定、先日まで起動の怪しい挙動が嘘のようです。CPUとM/Bとメモリ買って十万超はねぇ・・・・余裕作らない無理(ちなみにその時勢でいいスペックでチョイスしておかないと結局ちょこちょこ変えることになって倍にお金かかるんですよね、そうなりそうな予感)、というか、この数年ソフトすら買えず更新できないでいたのに・・・オークションサイトで中古という形でいろんな意味で多方から工面して新品でなくて中古という再スタートとなりました。とはいえ、超ど安定しているので、まぁいいでしょ。ついでで都内ふらふらして1万5千歩あるけて、あいてるところ見たことなかった不忍池辯天堂もちゃんと参詣できてよかったよかったな、話のついででなんか時事ネタが絡んだということでして。
そして、工面したので当面小旅行などはできなくなりました(笑)
びっくりしたのは昨日秋葉原のパーツショップに行ってビデオカードがとんでもないお値段になっているのに気がつきました。最近のCPUってビデオ機能がついてますので、別途ビデオカード買う必要があまりなくなってきたとはいえ、ボトルネックやら負荷分散をやっぱり考えてしまいますからパーツ探しましたが現実的じゃないビデオカードのお値段にびっくり。わたしゃとっとと退散ですわ、これ。チップ(・・・集積回路ですよ・・・)の不足とは確かにあるんでしょうが、たった数年でこんな値段はありえねぇなと思って調べてみるとお宝探しですか。。。買いあさりっていやぁ中華マネーで、結局、権力ってお金なんですかね。使い方間違うとやっぱり暴力にしかならないですよね、お金と権力。
先に、ご気分を害し方や関係者の皆様にはお騒がせして申し訳ありません。こんな私ですが、末席を汚させていただきます。
すでに解決済みのことではありますが、内容を残してほしいとの要望があり、掲題のごとく「私信」として残すものです。どうぞ読み飛ばしてください。
以下は、先日のブログに書いていた削除部分です。少し手直しもさせていただきました。
今年は十五回忌となるようです。父は死の前日まで酒をあびる程呑み呑まれ、私と喧嘩もして彼の世に去りました。東大出身のエリートで大蔵省(現在の財務省)に入省して、仕事に関しては「馬鹿」がつくほど真面目で嘘をつけない人で結局はエリート街道から振り落とされた人でした。天下りが問題視され始める直前でしたから、引く手あまたでないにしてもそれなりに下って、しばらくすると、衆議院の職員として公務員としてとある室長を努め、最期は会計士としてお棺に入って家についたその日にも仕事先から手紙が入るなど『The仕事人生』の人だったわけです。欠点は内弁慶でお酒と暴力、家でお酒が入ると気が大きくなって暴れるという、「不飲酒戒」でいわれる放逸を絵に書いたような人だったんです。幼少期から毎日のように「酒に呑まれてクダを巻く」姿を刷り込まれて来ましたので深い傷となって、実は心中では酒癖の悪い人を見ると無意識に恐怖を感じます。そして私は一般人以上に「お酒」「禁酒」には理解を示す一方、厳しい人だと覚悟しておいていただければと思います。
当時、一旦仏教の思想をすべて否定し、何もないところから「無から有を作る」と信じてIT業界にいた私でしたが、この父の死は私をその仏法の世界に戻すには十分でした。弥陀来迎とはたくさんの絵になっている様に、父の枕経では紅黄金色の阿弥陀さんが迎えに来ていました。心の眼に写った姿ですから他の人に話しても致し方ないことですし、ずっと今まで黙っていました。前にも書きましたが、私自身は阿弥陀仏って大っ嫌いなんですよね。見えもしないのに、納得していないのに、信じろという方が土台無理な話で、仏教の歴史も掘り返していくと、北方に伝搬した仏教は一旦、途切れた仏教であることがわかります。それは禅宗を除いて、龍樹菩薩に祖師に求めて、その前がいない=釈迦にたどり着かず、残念ながら大乗仏教は正当な法嗣のない流れであることがわかってきます。これは一部の宗祖は知っていて血脈や祖師の龍樹から始めていることを見せて無言で伝えてきたことだといえます。龍樹菩薩伝を読みますとその無茶くちゃさが面白いのです。ナーガールジュナが恐れていたものは権力ですが、よりによって兵士の隊長となり、逆に権力を利用して仏教を広めるわけです。他の仏教徒が読んだら非難轟々ですね。
知れば知るほど大乗仏教に残念に思いがしてしまいます。見方を変えると大衆信者を集めるのに書かれた初期の経典群であったことがわかります。そんな極論・極限の中で座っていて出した答えが、曼荼羅中西方に坐す阿弥陀如来(妙観察智)でした。四智の何れが欠けても四禅が完成しないことを感得させられました。これが、お馬鹿なふりをして「阿弥陀さんにおまかせします」の真相です。唯識素晴らしいとも思いましたし体感して完成をへの手がかりをいただけたころから、大嫌いだったはずなのに、「阿弥陀さん」に負けて頭を垂れてしまうような感じもありますが、とでも清々しく受け入れられたわけです、目指す完成に向けて。
古いお釈迦様の仏像や阿弥陀如来は壺を手にしてます。あれは甘露が満たされたもので「死の恐怖を取り除くもの」という方便です。葬式仏教もこれがないと成り立たなくなる可能性もあります。そして、現世で仏界に届かない供養の想いを変わって供養してくださるのも阿弥陀如来ということも言えます。なので持念仏はそのままで阿弥陀さんのお力をお借りする感じでしょうか、なので五智いずれも大事であり両界曼荼羅の大切さが改めてわかるようになります。
話は少し変わりますが、私が東洋医学系国家試験を受けた裏には、当時得度を済ませてまして、同業もやられている(医方明といい五明のひとつで灸は日本において弘法大師が開祖)という事実までありますので、そんな資格を持つ阿闍梨さんに、勉強して東洋医学業の国家試験を受けるべきか、いわゆるまちなかで横行している無国家資格(民間資格)「整体」を目指すか迷って相談したことがあります。「仏法を目指すものが、国家試験もとおらないで、そんな嘘つきみたいな泥棒みたいなことするな!」とお叱りを受けました。だからこそその資格を完全に修めたワケです。それは自分のためでなくて他人のために生業を提供するのに認められたものを修め提供すべきであることを自身の責任において腹に決めたからです。年齢は関係ありません。
パソコン壊れました。最近多かったブートクラッシュのついでで、SATA端子のメンテナンスして電源入れたら、今度は水冷クーラーが「ブーンブーン」と(笑)。CPUの高温警報が出てしまって触った感じもかなりやばい。
パーツ交換ですめばいいですが、もう、パソコン買いかえられるほどの状況にありませんし、サーバは日本語扱うには色々不便なので、しばらくこちらお休みすることもあるでしょうね。
ではでは、グッドラック!
「LANケーブルを増やしてもネットは速くならない」 家庭用Wi-Fiのトラブルをバッファローが注意喚起、理由を聞いた
ホントにいたのか。。。(笑)けど気持ちはわかる。
実際には技術的に耐障害性(普段全部使わず故障に応じて切り替えるなど)だったり、上の意図通り帯域を増やしたりするのに対応した機器で特殊な技術を用いてケーブルを2本以上つなぐことをしますがとっても高価な技術なのと結構各社仕様が違うのでまともに使えるのは高価なブランドのスイッチで、一般の機器ででスイッチはPeer to Peerが基本なのでできません(笑)。何本もつなぐのはサーバー・クライアント間やルーター間でも行われたりします。ルーターだとCISCOのHSRPとかですね。仕様が定義公開されているのはVRRPぐらいかなぁ。私はサーバが専門でしたから*BSD系OSではcarpという技術を使って2台を1台に見せかけて冗長化したり、1台の帯域を増やすのに2本つないで冗長化したり、無料のOSでできる技術でもあります。
いずれも技術が必要な話なので一般的な機器でほぼできない話です。
ITC話になったのでついでで、最近、所謂、スパムメールが増えました。スパムという塩漬け缶詰があってCMが「スパム!スパム!」とうるさかったことから、ひつこいうるさい迷惑メールをスパムメールということになったそうです。
メールサーバは得意分野でしたのでぶっちゃけちゃいますと、皆さんが信じている「From: 」(差出人)行は本来は任意で絶対に入れないとメールが遅れないものではないんです。逆に言えば「From: 」(差出人)行は嘘つくことが可能でな事情があります。他にも最近のメールサーバはこの辺りだんだん厳しくチェックするようになってきたので「Received: 」行なんかも実は追加することができます。他に「Message-Id:」「To:」「Subject:」などは付けなればメールサーバが勝手につけちゃいますので必須です(「Subject:」は確か含まれていたはず、もう調べるの面倒なので間違ってたらごめん)。昔のこういう迷惑メールはどこから送られてきたかを混乱させるように、「From: 」や「Received: 」行を偽造していることが多々ありました。ま、その時点で詐欺ですね。
迷惑メールの踏み台、温床になりやすいのが、手抜きサーバで、不景気になってくるとメンテナーなんて最初に(お金を)削られますからね、メンテナンスされないでバグを放置、利用されたり踏み台にされたりするサーバーが増えるんですかね。これが今の資本主義経済のいびつさです。不景気だからこそきちっとメンテナンスをしつつ備えるなんてことは、「そーなえーよつーねにー(by ボーイスカウト)」なんて絶対にないです。儲からないし、そういうのに投資は削減するのが技術素人役員たちです。日本も他の国も同じで、技術素人役員達が牛耳っている会社はろくなもんじゃないよな、と思うことが殆どです。ドメイン管理で15年以上たっているのに未だに私の名前(しかも旧姓)を管理者として登録して使っているところがありますよ。そういう会社にはとびきりの技術者がいてもほぼ経営に口出しできないか、こういうレベルの管理が全くできない使い物にならないヤツ残して、あとリストラするとか、役員の元所属していた証券会社名を大々的に宣伝しているような会社が多く、投資するのに不向きな会社が多いですよね(株主的に、こういうの外からわかるといいんだけどなぁ。まぁ大会社でもないのに内部留保を増やしてリストラしょっちゅうやっているところはだめだと思う)。ワンマンショーなんてみたくもねーっつーの。と話はそれましたけど、技術はそこそこでも不景気なときこそ丁寧に手をかけられるところが、やっぱり強いと思います。まぁ、そんな会社だよなぁ、と思っていたところも、このコロナ過のあおりで(もう既に手遅れだったから)店じまいしていた気がします。
さて、因みに10年近く前(お家で公開サーバー作っていたときは)、迷惑メールはkrドメインとcnドメインブロックすれば99%防げた記憶があります。未だにcnドメインは迷惑メールの温床としては元気ですね。たまーに、大手の企業端末からスパムが来ることもありますが、「あぁワームかウィルスにやられたか?」とか思いますね。
5は最近そういう企業が増えました。スパム対策というより業務過多やスパム以外の迷惑メール対策でしょうね、私が以前からやっているようにフォームメール使っているところが増えました。私の場合はそれすらも捨てメールアドレスを別に使っていましたが。。。。(笑)。6は、まぁ、メールアドレスは二足三文で散蒔かれることを覚悟しておいた方がいいです。
ですかね。ちなみに私は完全閉じられたネットワーク(グローバルネットワークを模した環境)で、後輩にスパムメールの送り方教えてました。「相手の手口を知って戦えば50勝」ですからね。技術者って「出来ても倫理や正義でやならいがポリシーだしプライドでもありました。ましてどの役員がどの社員の女の子がお気に入りか、ログもメール本体も読めてしまうがあえてそれを探らないのが大事です。.。o○(本音何度ばらしてやろうかと思っても理性的に対応してましたかね)。
メールソフトとメールアドレスの話になりますがID登録用は可能なら今ならフリーメールアドレスがいいですね、強力なスパムフィルタのついているところがあったらそれがいいです、その場合即削除ですけれども自社の宣伝くらいは許してあげましょう(笑)。問題は振り分け可能なメールソフトが使えることが条件ですか。ID登録先からの興味のない宣伝メールは即ゴミ箱行きにしてます。
雑談ついでに、名簿屋ってかなり厳しい免許制にするか犯罪行為にした方がいいと思うんですけれど(利権優先社会のせいで絶対にはならないでしょうね(諦))。
さて、元に戻って、インターネットの帯域って川の流れと川幅だと思ってもらうとわかりやすいかも、どんなに広い川幅にしても(ケーブル冗長化させても)その先が狭くて流れが悪ければ速くはなりません。
また、高級なスイッチやルーターは「脳みそ(CPU)」がRISCといってそのシステムに特化した計算機を使っていますし、昔の経験で、ASをつなぐBGPでルート計算のためだけのBGPを喋るサーバ(中央集権型とでもいえばいいんですかね、こういうのはCISCの方が向いているからですね)をみたことがあるぐらいで、それ以外は殆どは専用機ですよね。
そんなこんなであれども、少し早いと思ったんですけれども10月18日にインフルエンザワクチンもおえてきました。今回なぜか接種後の3~4日間、接種痕付近が痛かったです(少し腫れたような?!)。過去翌日なんか倦怠感なんていうのはあったかもしれないけれど(というか実のところ記憶にございません)、ここまで気になったのって人生初レベルでした。このところワクチン話一色で、昨年はインフルエンザ全く流行らなかったといいますが、コロナ騒ぎが始まる直前ってアメリカでのインフルエンザ死者数が結構なことになっていたのを思いだします。ワクチン打ったからといって罹らないわけではないというのはずっといってる(いわれてるのに賛同しているだけですが)ことですが、集団免疫っていうものが正しいなら一定の効果はあるんだろうと思えてきます。そういえば、一連のコロナ騒動で話題になっていたインド占星術師の少年によると、今年の11月中旬から経済活動も徐々に来年の5月ぐらいから回復してするとか、「今年の11月」ってこれからかぁ、というところですかね。良いことは信じるのはありだと思います(まぁ、占いなので「所詮」ということで)。
命つながりで寿命をみてみると、生物学的に、遺伝子レベル(テロメアの関係とされている説)で人間の寿命は37~8歳なんだそうで、細胞分裂回数でみると50回程度から複写能力も劣化(老化)して癌の発生が多くなり(というより一日数千個がん細胞ができて消えていくそうで)免疫力の低下で55歳ぐらいから癌になる人が目立ってくるので55歳説なんていうのもあるそうで、心臓の拍動の回数を仮に15億回とすると41歳程度だそうです。縄文時代の平均寿命は31歳、中世は33歳、江戸時代で45歳、第二次大戦直後で52歳だそうで、医療の発達に応じて寿命が延びてきて、現在は過去の増分からは逸脱している。3千年前が縄文時代の終わりだったことを考えると、お釈迦様は80歳だったわけですから37年の倍を超えて3周目に入った付近、当時としては仙人かもしれませんね。あくまでも医学(科学)が発達したから長生きになったのであって、生物学的な考えからは逆に40歳ぐらいが短命ということではないですね。因みに弘法大師空海は60歳、同時代を生きた伝教大師最澄は54歳、弘法大師の師匠の恵果和尚はは59歳、鎌倉時代だと、承陽大師道元禅師は53歳、法然房源空は76歳、中世(室町時代)の平均年齢を遙かにしのいでますよね。その分本当に幼くして若くしてなくなることも多かった時代なのでしょうね。いかに常識とか思い込みという認知レベルで毒されているかわかります。
いずれにしても、これまでと変わらず、手洗いうがい消毒は続行して行こうと思っています。
パンデミックに隠れて世界中そこらかしこでこれまでのひずみが露見しているようで、ミャンマーの軍事クーデーターにアフガニスタンのターリバーン政権誕生といい、一見するとすごい変化に感じますがそれまでジリジリ燻っていたものなので不思議でも何でもなく、悲しいかな西欧式民主化を推し進めた結果、抑圧されたものが一気にはじけ飛んだようにもみえますわね。日本でも痛ましい事件などもありますが、選挙なんかは嫌いな議員が落選にちょっと小躍りしました。