2005年ぐらい「地獄少女」という深夜帯アニメだったかと思うんですが、有名な台詞で、「人を呪わば穴二つ・・、いっぺん死んでみる?」・・・いや、マジ怖っ(涙)。15年たった昨今でも本当にどうしたんだろうかと思うよな事件として、外国大統領のわら人形事件が近くでおきてましたんで、えぇ。
「神社にプーチン氏写真付きわら人形 72歳を逮捕 器物損壊容疑など」
我が儘自在と思っている人たちへの不満、とでもいえばいいんでしょうか.。o○(ちなみに、三日月神社とか蘇羽鷹神社っていうのは昨年にかけて回ったところですね。)
どうにもならんことなので、これくらいの鬱憤晴らしいいんじゃないの?と思えてしまう私もいるのも事実、まぁ、気持ち悪いですし、人様のもんどうこうっていう視点では、なんとも言えませんね、そばでこんなんあると。でも、本当にどうにもならんですもの、自身の心と同様かともいえますが。
そもそも天下太平って「退屈」の意味なんですかね?少なくともコロナ過も終息しつつありなんか産みの苦しみというか膿に苦しんでいるというかの世の中ですが、ある意味では「平和」なわけで「天下太平」ってこんなんだったのかもなと。
昭和のある教室での出来事ですが、「おまえら、○○やったんは誰だ?!申し出ないんだったら全体責任だ!」。私語絶対禁止、給食は黙食、教室から出られると、この拘束の苦しみから逃れられ、廊下に立ってる方が幾分か開放感のある日常でした。そらもう、毎日
(また誰か何かやったのかよ・・・)
(けど、僕なんかやらかしたかな?)
(何だろう?何が犯したのかな?)
(結局、今日もコレか怖いし動けないし辛い)
いろんな意見もあるでしょうけど、小学生だった私にはおかしてもいない罪を自省する毎日の時間の退屈さ窮屈さが恐怖で堪りませんでした。まぁ、お世辞にもできのいい子供でもなかったし寧ろ問題抱えまくっていたんですけれども、それでもあの2年間は一体何だったんだろうといまだに解決できないトラウマですかね。
自分をどうにかいうこと聞かせることもままらなんのに、それぐらいまわりなんてどうにもならないのに、まぁ、笑えますかね。そう窮屈な退屈が本当に嫌いだったんだなぁと思った私のとある今日一日でした。
そして今日は弘法大師の誕生日でもありましたね。南無大師遍照金剛。
そうそう、燃え尽き症候群なのかと思ったら男性更年期障害といって、熟々どうにもならないんだなぁ私って、と思った今日この頃でした(苦笑)。