まず坐る準備 その1

さて、この数ヶ月とあるマインドフルネス講座に参加したりもしている。やっぱりそうなのかとなるほどねぇと納得する部分もあり、ちょこちょこと「発見」と「学び」が多い感じだ。巷にいうマインドフルネスとはいえアーナパーナーサティは解釈は変わり得るがベースや次第は変わりはしないので、初禅までを書いてみようと思う。とりわけ

①アーナパーナーサティはターン・プッタタート(ブッダダーサ比丘の『呼吸によるマインドフルネス: 瞑想初心者のためのアーナーパーナサティ実践マニュアル』をベースとして、「観息正念」というインターネット(アジアのお坊さん)で入手可能な書籍を副読本を軸にしている。
②とりわけ大乗仏教に偏っているところもあり、在家でできる仏教・仏道と考えたい。方法や説については可能な限りリンクで補うが口で聞いた事もあり典拠不可なモノもある。
③すべては「猿まね」から入ったとしても所詮はやり抜いて自分のモノにするまでのことで続けることだけを目標とすればよいと思う。

③はとても大事だなと思い直した事として、他者のやり方で参加してみるというのは一つの意義としてあると思うし、実にほとんどの人は「ひとりではできない」か「ひとりではつづかない」ので、そういう勉強会や座禅会は参加するという形で態勢を作るには一つの手段だと思う(私の場合は医療目的のデイサービスですが)。ある意味シュールな絵柄も「先生」達には不要なのだろうけど「私」達には必要な手段だし、そこに価値を見いだそうが(お金を払って受けるなり無償なりは好き好き)見いださなかろうが、ただのきっかけなのでそこからゆっくり歩めばよいのだと思う。特に他者を評価する(したがる?)ところもあるだろうが、寧ろ、本来は「気づく(注意・集中)」ことと「評価」は真逆のことで「評価はしない」ことが肝要だと思う。逆にそういう評価して欲しい承認欲求なのでいずれは捨てればよいことだと思う。続けるにあたっては自分にあったモノ(納得のいく・腑に落ちた方法や手段)を選択する方がよいなと思った。なのでその手段や方法、コツを含めて書いていきたい。

基本的に私は「先生」ではないので体験やコツや見聞きしたことは書くが指導は行わない事とする。つまりやりっぱなしの書きっぱなしということでお許し願いたい。もし欲しい答えに誘導したければ参加しておくのも一つの手だが私は「先生」ではない。「先生」という名前が欲しければ自ら選ぶし捨てもする。手段だが方法ではないしダルマでもない。本来的にはダルマは小さなモノであれ「苦(苦痛)が終わった」らダンマの終わりで、それを観察して学ぶことが本筋のことと思う。ただ、他方のやり方として私ならば納得のいく言い回しを見つけて腑に落ちたら解放されたこともあるので「サティ(気づき・注意)」を入れるやり方は指導の範囲ではない様に思われ、千差万別のような気がする。ただ人のやり方などは学びにはなるので多少は明かしていこうと思う。

長くなるので、いったんここで切って、座り方と心構えの話。

坐法については、初心者は安楽坐やあぐら、椅子を使って坐るのもありと思っていますが安楽坐半跏坐からはじめて結跏趺坐を目指して欲しいかと思います。体験を通して半跏坐は体幹が捻れてしまったり気がつかないことがあるので結跏趺坐の窮屈な坐り方は実に安定して体幹がぶれないからですが私には身体硬くて長時間は向かないので深く長時間瞑想に入るなら安楽坐や普段は半跏坐と使い分けています。勉強会などではマインドフルネスのみだったりしますので椅子に座ってやることもありますので一応(少なくとも邪道なんかじゃないと思う)。

視点は1.5mほど先、対象物がある場合はこれに限りませんが、実のところこの「視点」は「物理的な視点」だけどは誰もいっていないのが味噌です。心の視点をそこに 落 ち 着 け て おけばいいというのが私の結論です。集中するのは鼻の下だったり鼻の先だったりするわけですが、最初の段階ではそれは考えずに、ただ「物理的視点」も「心の視点」もそこら辺に落ち着けます。背筋を伸ばします。

目は半眼とよく言われますが、少なくとも弘法大師の説ならば「半眼」は最初の段階で多生緊張しながらでも使ってみるとよいと思います。これについては「後述」。

手は「定印」としますが、私は個人的に親指を合わせて宝珠形(これは単に「仏舎利信仰」だからです(笑))にして少し引き上げて(結跏趺坐で置いた時の高さか丹田の高さで浮かせます)います。もしくは左手の上に右手を重ねて親指で折り合わせます。接客業やったことある人ならばマナーで習ったソレです。少し緩めて指を軽く伸ばしておなかを温めるように丹田にそっとあてます。実は私はおなかが冷えます。特に瞑想中に冷えを強く感じることもあるのでこういう手法をとっています。OKサインで膝におく必要は全くありませんし(やってもいいけど後々どうでもよくなると思う)意味わからずまねするより「定印」手を前に組む手印でいいと思います。よくこの世界との唯一つながりとなるので形に気をつけてなんていう説もあるところから意味に納得したならばソレを採用するといいと思いますね。

さて、よく見たことのある形になると思いますがそれでいいです。

すべて練習です。

腕時計でもいいので目の届く範囲においておくのも別にかまいません。時間を計るのにお線香を使うのが昔からあるやり方なんでしょうがどうでもいいです。ただ、白檀は鎮静効果や抗うつなどに効くともされ、身体の消炎効果や鬱血の除去や咳を鎮める効果も期待でき抗菌作用もあるらしいのでアロマオイルで使うのもありだと思います。その場合は時計をそばに置いておくのですが、後述しますがヒントにするためなので慣れたらもういりません。アロマオイルやお香は好き好きに。私はお線香1本の瞑想時間をとるのを目標にしています。

すべて練習です。

まず坐って呼吸を鼻の下の空気の出入りを観察します。あるいは空気の出入り見つめながら空気の動きを観察します。想像します。体感します。

すべて練習です。

まずは「2分半」の壁を目指してください。もしかするとあなたには「1分半」かもしれませんし「3分」かもしれません。じっとして呼吸を見つめていると飽きてきます。退屈します。退屈は怒りなのですが、気がつくとそれは「2分半」程度です。「よし頑張った」と時間が2分半なら精進してみて伸ばしてみてください。ちなみ「よし頑張った」は結果への「評価」です。今坐っていることで感じたり思ったりするかもしれませんが「評価」はしません。この評価をしないということを忘れないで片隅に置いておいてください。妄想に耽ったら「妄想」とラベリングするのは効果があると思いますし、受動的に感じて思ったならば「色」や「識」と漠然とロゴ付けして観察するも私は後者かもしれませんが、ひどい時は「妄想・・・妄想・・・」と入れている時もあります。

すべて練習です。

呼吸をするに当たって息は吐くのが先か吸うのが先かという問題がありますが、経典では「吸う」→「吐く」の順番になっているモノを見かけます。私もそれでいいと思うんですが、もし、あなたが苦しくなるならば『「吐」かないと「吸」えません』という事実を忘れないでおいてください。

すべて練習です。

マインドフルネスは毎回すべて「練習」ですので「本番」なんかなく、毎回出来も違いますので毎回練習で行うと思ってください。

さて、目は半眼の話ですが呼吸になれてきたら目を瞑ろうが半眼で頑張り続けようが好きにしていいと思います。マインドフルネスでは「瞑目で内観」を意味するので瞑るんだそうですが、初心者には「半眼」を教えます。私はこれ矛盾していると思います。どっちでもいいんですが、座して落ち着くまで半眼、その後、好き好きのスタンスです。ただ半眼のいいところもあります。薄目を開けてますので光が入ります。時には光が眠気を壊してくれます。全く無意味ではないですが、プルプルしてしまうぐらいならあなたの自由な選択でいいと思います。

疲れたら終わり、練習、お疲れ様でした。

今日はここまで習熟しましょう。『呼吸によるマインドフルネス: 瞑想初心者のためのアーナーパーナサティ実践マニュアル』でも急に先へ先へ進めるのではなく一つ一つ納得しながら進めるように指示があります。実はスワンモークというところでの合宿では細かくチェックしながら進めていくそうです。短気に先に進めるのはオススメしませんので私も従おうと思います。書くのが面倒で怠惰なのも事実ですが(笑)。また私も自分でも何度か読み直しつつ、1週間ぐらい間をおきながらかければいいなと思いますので、ご一緒出来ればと思います。この系統の先生にお会いすることもないしまぁ今は縁がないのでしょうね。ただそれでも『呼吸によるマインドフルネス: 瞑想初心者のためのアーナーパーナサティ実践マニュアル』と「観息正念」は良本だと思います。