さてさてさて

さて、うけている治療の話でわかるとおり、まず第一に「ぬけぎぬ」であるか「誤解」であるか「妄言」であるかだろうね。

それからここのWordPressは単体プログラムで配布されているものを使いサーバに一から構築したものであってソーシャルネットワークサービスの機能はもたせていない。続いて検索ボットも禁じている。ですので、彼のいっている話は前提からしてほぼ「嘘」になります。

昨年末カルト集団妄言禿頭から電話があったのは、この休職中「うつ病」ピークの真っ盛りの頃で、「今休職してるんですってば!」っていったにも関わらず、今回のようになるわけですから(「ネットから撤退」宣言も”信者も減る”のも許容して「神遊び」優先も、LINEの投稿がありましたが!)、単にこいつテリトリーとプライド意識のことでしかなかったんですね。迷惑だしほんとに我が儘勝手でマジで「神遊び」いい加減にしろと思ったのも本当です。この煩悩のままに生きていているカルト集団妄言禿頭は「もう俺様のお山が出来たからおまえいらない」という話に繋がっていくようでした。

はなっから妄言というのは、「妄言禿頭にとやかく言われる筋合いのない」こと(=治療)、まさに「神遊び」で対応するカルト集団に、不敬に対して叱りの気持ち以外の何もなかったことですよ。

何のことかというと、彼曰く外部で習いに行った?ことらしいんですが、要は妄言禿頭の自身の脳内テリトリーの問題のようで、残念なほど幼稚すぎて腑に落ちないでした。流石「神遊び」程度なので本質も見抜けず、治療を受けただけなので、とやかく言われる筋合いのないワケで、本件を責められる義理なんてありません。

彼はアーナパーナーサティやアーナパーナーサティスッタという名称と経典の紹介以外は、訳本写しただけでのもので詳細についてはなっから教えていません。多分教えられないと思えます。そしてつまりは本件について妄言禿頭の彼から教えてもらった所って確認した以外はないんです。残念ながら彼の考えは薄っぺらであまり響くものって少なかったんですよね。まぁ、すなわちこの辺り「妄言禿頭にとやかく言われる筋合いのない」わけです。そしてそれをごまかそうとしてみえるのが「神遊び」なわけです(サイテー 自信ないからってマジサイテー)。

ちなみに全て彼の妄想です。過去も全て。加えるなら付随する巫女さんレベルでは本質はみえないようです。見えてたら止めてますしね。相変わらずの厚顔無恥っぷりに呆れたわけで、何も後ろめたいことのない私には、はなっから妄言っぷりに私は釈然としなかったわけで、その実ちっとも怒っていなかったりするのが、私の不思議な心境ですね。所詮「神遊び」の程度がしれると思いますが、過去も相手を悪く持ち上げるための「工作」であったのでしょう。信じすぎる盲信も妄信も無智のなせる業なので適当に距離とるなり全力で逃げるなりどうでもいいと思いますが、少なくともそのままでいるのはあまりお勧めはしません。信じ込んでいる共時性は何であっても結構起きますし、現に今までアンテナたっていなかっただけだと思いますが妄信するレベルではないですよ。いくらでも今後起きる話なので。

さて更に

要約すると「自分(俺様)のお山」というのは宗教法人格のことですんで、カルト集団妄言禿頭が消えたり死んでも確かに残ります、コレほんと。ですのでこの部分に妄言はないですが綺語ですね。「出来たから」というのはその法人格登記に書類提出の時点で信者5人必要と過去のものとなります。つまり登記が終わったのでその5人は最悪「用済み」なわけで、たとえカルトの中心人物であろうと、どんなに近かろうと「ワタシ特別」とか関係ないので現実をみてくださいまし(苦笑)。まぁ、その点で俺のそばでプロになっても営業活動しないでね宣言もチラチラ書かれているとも読み取れますが、用済みの皆さんはとっとと見切りつけて遠巻きにゆっくり離れていくことをお勧めします。ちなみに外部の教義の人を嫌がるのは単なる彼のテリトリーの問題で、単に逃げているか排除しているだけです、その妄言禿頭。そのくせ散々他宗教の攻撃に耐えてこれたのはプロとして生きていた証拠なワケで流石ですが今は悪い方向にしか出ていないようですね。このテリトリーの話は女性には本当にわからない話です。そしてこの年代になると人によってそんな体力も残っていないんです。

そんな私は「今ここ」で、実際、くだらない神遊び止めろというスタンスも変わっておらず一貫しています。この時はわかりやすいですが、まだ登記が終わっておらず「自分のお山」にはなっていなかったわけですよ、わっかりやすい。で、ばれているので自己主張に注視して「なんも聞こえなーい」てやってるんですね。実務的に法律的な所有者として誰のとか興味もないけど、地元の人たちに不敬だろ、と、なったわけですね。もう認めたくないモードなのだろうから、効いてるのかどうかはしりません。こういうヤツによく効くのは無視なんですが、私は情にもろい人なのと認めるべきはきちっと認めるのが流儀なのでつい相手しちゃうんですが、こういうタイプは無視放置プレイが粉々にプライド砕けることはお教えしておきます。放置された=他人に過度に期待しすぎて依存症レベルの人だったわけです(うわーマジキモい)。

そのくせみなさんのお名前挙げて「あいつ(ら)馬鹿だから」と平気でこいてましたので、あんまり親身にならん方がいいですよと耳打ちしておきます。

あぁ、怖い怖い。
彼曰く「別の悪い山の住人」だった罰当たりの私は今日も生きてます。あぁ、彼も生きてますね、あぁ、怖い怖い。
次はあなたかもしれませんよ、あぁ、怖い怖い。
次はあなたが自殺しちゃうかもね、あぁ、怖い怖い。
誠意がないから相談者が自殺しちゃうんでしょうね、あぁ、怖い怖い。
霊障に冷笑、怖い怖い。
神遊びが招いた法罰の間違えでは、怖い怖い。
不妄語、不綺語なのに、戒も守れないん偽物で、身もだえるほどクソみたい。カルト、ホント怖いわ~(棒読)。

うけている治療の話

MBSRという治療プログラムを受けていました(現在進行形でもある)。マサチューセッツ大学メディカルセンターにて行われたストレス軽減クリニックで実施されてきたMBSR(開発者ジョン・カバットジン)といって、うつやストレスの軽減プログラムとして行われている「マインドフルネス ストレス低減法」を「処方」されたため受けていました。実質「治療薬」として受け取ったことに始まったワケです。そもそもこの「マインドフルネス ストレス低減法」は痛みを伴う病気に始まり(癌など)、うつ症状、最近では、機能性ディスペプシアや逆流性食道炎などの治療などでも使われているケースがあるようです。その意味では投薬でほぼ期待の効果が得られなかったので当然の処方ですね。

FYI っ 「うつ病はセロトニンレベルの低下により生じる」という説には十分な証拠がないという研究結果

MBSRは、仏教的教えを欠いているので択法覚支や執着から離れ捨てる捨覚支などがないとみられる片手落ちシステムに思っていた(正直言うと四念住の(身以外の受・心・法の)3つが欠けたものでまさに手足のないシステム(そもそも元々ないとも言えますが)と思っていました)のですが、色々やってみると面白い認知の狭間に気づけるプログラムの一つである事は確かだったりするワケです。

デイケアの一枠を使って軽運動とマインドフルネスを行っていました。実際に行ってみると導入説明はものの15分の終わり、その後殆ど残りは実践練習とその活かし方の話になるわけです(そりゃー必要ですよね、練習が一番大事なので)。でも実際一番のポイントは技術云々ではなく認知改善を目的としているので、私も実際半信半疑で出口をどこに持っていくのだろうというところでした。後々、アサーティブトレーニング(アサーション)というコミュニケーションプログラムでトレーニング、別枠で追い打ちかけて運動療法などストレス軽減を加えていく、認知行動療法の一環のプログラムに過ぎません。ただ、アサーションとは「相手の尊重」と「自己主張」と「認知能力」の欠如(とその認知能力への気づき)と「過剰反応」抑制という考え方を主体にしたコミュニケーショントレーニングでした。

医療の世界にマインドフルネスって、私は非科学的で心理療法をすっごい馬鹿にしていていました。ただそれは凄く視野の狭くなっている時とかは話は別なのかもしれません。一組目の第三段階の身体観察しかしない入門的なことしかやらないので、仏教的な「宗教性」を取っ払ったシステムとはこういうもんなのか、と改めて面白く感じた次第です。全て「認知」の話なワケで、私が医療で受けたのはそのMBSR(マインドフルネス ストレス低減法)と後述するがアサーティブトレーニング(アサーション)や作業療法、運動療法とその一環として(医療としての)太極拳(メディカルタイチ)というプログラムまであったのでした。そう、それを全部含めて治療というわけです。

私の場合は自律神経失調症の気があって、そこに加齢による更年期障害でバランスを崩したホルモンバランスにこのご時世の圧が加わって完全崩壊してしまい、うつになってしまったわけで。実のところお恥ずかしながら昨年の今頃は、人目に対して恐怖・敵意が強く出て、外にも出られなくなり、投薬受けながら更に悪化という、「うつ」という病気にばかりに目をやりすぎて色々置き忘れてきたことに今年の初夏に気がついた(もう遅い)という地獄の日々であったわけでした。女性の更年期障害とは違って、男性のテストステロンは生体の変化に関係がなく急激に減るというわけではないので、その複合的要素(バランス)を見逃しがちで、「あぁ気がつかなければこのまま自殺してるんだろうな」と思えたほどすさまじかった・・・んですわ。上記以外にも別の治療も受けていて実感しています。当時は冷静になれないほど認知能力すら落ちていたので日々の認知レベルの見直しだけでなくストレスの排除を凄く気にしながら生活した1年ちょっととなってしまいました(当然くだらないものネットサーフィンの時間はかなり削ります(ました)。ブログ読んでる暇なんてあり得ないわけですよ)。

なぜ今ここでというのは、「まず坐る」シリーズを書き始めた頃、やっとまとも(多分 笑)に戻ってきたからで、少し赤裸々に書いたのはこういう自分を認知するためでもあり、同じように苦しんでいる人がいたら私は直接助けられないが何かの足しになればというのが大きかったわけです。2019年の記事にもありますようにマインドフルネス教えていた「ブッダダーサ比丘」という人には既に認識していました。私のアーナパーナーサティは本と経典から得たもので、誰にも教えてもらったわけではなくこの著書の方をベースにしています。なので訳語をあえて3種類比べてみて間をとったのが「「まず坐る」シリーズ」だったというわけです。まぁ、私の元々のバックヤードの方が強く出ていますが、3種類の訳を比べてみてほぼポイントは同じ重なった部分を私の視点で書いた、「ピエロ」というのはもう赤裸々に出すしかない(だって、訳文そのまま書いたら単なる「著作権侵害」でしかないですから)という反面的なことをあえて書いたのがそれだったりします。

ついでで、結論として、(今行っている病院とは関係ありませんが)「テストステロン」は十二分であれば社会性アプローチに重要なホルモンで、男性特有のテリトリー意識とプライド意識はこのホルモンが関係してるんだなと本気で納得していました。

そういえばコロナも怖いですんで、お気をつけ遊ばされ。