ケンポ・ソダジ師による解説:『仏説大乗荘厳宝王経』第11課
「仏説大乗荘厳宝王経」巻第四
その時、除蓋障菩薩は仏に申し上げました:
「世尊、私はどのようにしてこの六字大明陀羅尼を得ることができるのでしょうか?もしそれを得ることができたなら、不可思議で無量の禅定に相応し、即座に阿耨多羅三藐三菩提を得、解脱の門に入り、涅槃の境地を見、貪欲と瞋恚が永遠に消滅し(チベット版では貪瞋癡が消滅とする)、法蔵が円満し、五趣輪廻を破壊し、地獄を浄め、煩悩を断ち、傍生を救い、法の味を円満にし、一切智智を尽きることなく説き続けることができます。世尊、私はこの六字大明陀羅尼を必要としています!そのために、私は四大洲を七宝で満たし、それを布施として書写します。
世尊、もし紙や筆が足りなければ、私は自分の身から血を刺して墨とし、皮を剥いで紙とし、骨を裂いて筆とします。このようにして、世尊、私は後悔も躊躇もせず、これを自分の父母と同じくらい尊重いたします。」
その時、仏は除蓋障菩薩に告げて言いました:
「善男子よ、私は過去世の時、この六字大明陀羅尼を求めて、微塵の数ほどの世界を遍歴し、無数百千億倶胝(※76)那庾多(※64)の如来に供養しました。しかし、それでも得ることも、聞くこともできませんでした。その時、世の中には『宝上如来(チベット版=紅勝如来)』という仏がいました。彼は、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と称される偉大なる仏でした。私はその仏の前で涙を流し、悲しみ泣きました。すると、その如来は、正等覚を得た者として、私にこう言われました:
『善男子よ、泣くことをやめなさい!善男子よ、あなたはこれから蓮華上如来応正等覚に会いに行きなさい。彼の仏は、この六字大明陀羅尼を知っているであろう。』」
善男子、私は宝上如来を辞して、蓮華上如来の仏国に向かうつもりである。到着した後、仏の足に頂礼し、両手を合わせて前に置き、次のように願います:
『世尊、どうか私に六字大明陀羅尼を授けてください。この真言王のすべての本母(※73)がその名前を思い起こし、罪業が消え、速やかに菩提を証得するために、私は今、無数の世界を巡り、ここに戻ってきました。』
その時、蓮華上如来は、次のように六字大明陀羅尼の功徳を説かれました。
「善男子、この微塵の数を私は数えることができる。善男子、もしこの六字大明陀羅尼を一遍念じるならば、その功徳を私は数えることができない。善男子、また大海にある砂の数を私は数えることができるが、この六字大明陀羅尼を一遍念じる功徳は数えることができない。善男子、また天人(チベット=天人に限らず「人」)が倉庫を造り、その周囲が千由旬(※55)、高さが百由旬(※55)であり、脂麻で満たされており、そこに針の一つも置けない。倉庫の守護者が不老不死であり、百劫を過ぎて一粒の脂麻を外に投げると、倉庫内にすべてを投げ尽くすことができる。これも私は数えることができるが、六字大明陀羅尼を一遍念じる功徳は数えることができない。善男子、また四大洲の様々な穀物が、龍王が降らせた雨によって成長し、収穫が終わり、南贍部洲を場として、車や馬で運び終わったとすると、その一粒一粒を私は数えることができるが、六字大明陀羅尼を一遍念じる功徳は数えることができない。善男子、この南贍部洲にある大河、枲多河、ガンジス川(※2)、焔母那河、嚩芻河、設多嚕囉河、賛囉婆蘖河、愛囉嚩底河、蘇摩誐馱河、呬摩河、迦攞戍那哩河があり(各語訳で数はまちまちで、名称と実際を特定はできない)、それぞれの河に五千の小河がある。これらの河の一滴一滴を私は数えることができるが、六字大明陀羅尼を一遍念じる功徳は数えることができない。善男子、また四大洲にいる四足の生き物、獅子(ライオン)、象、馬、野牛、水牛、虎、狼、猿、鹿、羖羊、兎など、これらの四足の生き物の一毛一毛を私は数えることができるが、六字大明陀羅尼を一遍念じる功徳は数えることができない。善男子、また金剛鉤山王が高九万九千由旬(※55)、下八万四千由旬(※55)、そして方面に八万四千由旬(※55)があり、その山には人々が不老不死であり、一劫の間にその山を一周する。その山王のすべてを、例えば天界最高の薄い衣(※58)を以て擦り山を削り尽くすかのように、私は拭い尽くすことができるが、六字大明陀羅尼を一遍念じる功徳は説き尽くすことができない。善男子、大海の深さが八万四千由旬(※55)であり、穴口が広く無量である。その一毛の端をもって滴り尽くすことができるが、六字大明陀羅尼を一遍念じる功徳は説き尽くすことができない。善男子、大尸利沙樹林(クルソン仏が悉地成就した時の「菩提樹」に当たるもの)のすべての葉を私は数えることができるが、六字大明陀羅尼を一遍念じる功徳は説き尽くすことができない。善男子、四大洲に住むすべての男子、女人、童子、童女が、七地菩薩の位を得る(境地に至る)ことができる。これらの菩薩衆のすべての功徳は、六字大明陀羅尼を一遍念じる功徳と異なることはない。善男子、また十二月を過ぎ、閏年が十三月となることもある。天上の一劫が満ち、昼夜常に大雨が降る。これらの一滴一滴を私は数えることができるが、六字大明陀羅尼を一遍念じる功徳の数はそれを超えて多い。善男子、また一倶胝の数の如来が一か所におり、一劫の間に衣服、飲食、座臥、敷具、湯薬などの供養をするも、その功徳の数を数えることができない。六字大明陀羅尼の功徳の数はそれを超える。」(12の比喩)
「善男子、これは微妙な法であり、加行、観智、すべての相応が含まれている。汝は未来にこの微妙な心法を得ることができるであろう。観自在菩薩摩訶薩は、この六字大明陀羅尼を善く保持している。善男子、私は加行を通じて、無数の百千万倶胝(※76)那庾多(※64)の世界を遍歴し、無量寿如来のもとに到達した。そして、前に合掌し、法のために涙を流しました。その時、無量寿如来は私が見えていることを知り、また未来を見通して私に言われました。『善男子、お前はこの六字大明王の観行瑜伽を必要としているか?』」
その時、私は言いました。『私はこの法を必要としています。世尊、この法を渇望する者のように必要としているのです。世尊、私はこの六字大明陀羅尼のために、無数の世界を行じ、無数の百千万倶胝(※76)那庾多(※64)の如来に供養しましたが、いまだこの六字大明王の陀羅尼を得ることができませんでした。どうか世尊、私の愚鈍を救い、足りない者を満たし、迷いし者に道を示し、陽炎の熱を覆う影を作り、四つの道には娑羅樹を植え、私の渇いた心を満たしてください。この法を仰ぎ、善く住し究極の道を得るように導いてください。私は金剛甲冑を装備することを願っています。」
《以下漢文》
佛説大乘莊嚴寶王經卷第四
西天中印度惹爛馱囉國密林寺三藏賜紫沙門臣天息災奉詔譯
爾時、除蓋障菩薩、而白佛言:
”世尊、我今云何得是六字大明陀羅尼?若得彼者不可思議無量禪定相應、即同得阿耨多羅三藐三菩提、入解脱門、見涅盤地、貪瞋永滅、法藏圓滿、破壞五趣輪迴、淨諸地獄、斷除煩惱、救度傍生、圓滿法味、一切智智演説無盡。世尊、我須是六字大明陀羅尼!我爲此故、以四大洲滿中七寶布施以爲書寫。世尊、若乏紙筆!我刺身血以爲墨、剥皮爲紙、析骨爲筆、如是、世尊、我無悔悋、尊重如我父母。”
爾時、佛告除蓋障菩薩言:
”善男子、我念過去世時、爲此六字大明陀羅尼、遍歴如微塵數世界、我供養無數百千萬倶胝那庾多如來、我當於彼諸如來處、不得而亦不聞。時世有佛、名寶上如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛、世尊。我當於彼佛前涕涙悲泣。時彼如來應正等覺言:
’善男子、汝去、勿應悲泣!善男子、汝往到彼、見蓮華上如來應正等覺在於彼處、彼佛知是六字大明陀羅尼。’
”善男子、我當辭離寶上如來所、往詣蓮華上如來佛刹。到已、頂禮佛足合掌在前。
唯願世尊與我六字大明陀羅尼。彼眞言王一切本母憶念其名罪垢消除疾證菩提、爲於此故我今疲困、我往無數世界而不能得、今迴來於此處。
‘是時、蓮華上如來、即説此六字大明陀羅尼功徳言:
’善男子、所有微塵我能數其數量。善男子、若有念此六字大明陀羅尼一遍、所獲功徳而我不能數其數量。善男子、又如大海所有沙數、我能數其一一數量。善男子、若念六字大明一遍所獲功徳、而我不能數其數量。善男子、又如天人造立倉廩、周一千踰繕那高一百踰繕那、貯積脂麻盈滿其中而無容針。彼守護者不老不死、過於百劫擲其一粒脂麻在外、如是倉内擲盡無餘、我能數其數量。善男子、若念六字大明一遍所獲功徳、而我不能數其數量。善男子、又如四大洲種植種種穀麥等物、龍王降澍雨澤、以時所植之物悉皆成熟、收刈倶畢。以南贍部洲而爲其場、以車乘等般運場所、治踐倶畢都成大聚。善男子、如是我能數其一一粒數。善男子、若念此六字大明一遍所獲功徳、我則不能數其數量。善男子、此南贍部洲所有大河晝夜流注、所謂枲多河、弶誐河、焔母那河、嚩芻河、設多嚕㮈囉(二合)河、賛㮈囉(二合)婆蘖河、愛囉嚩底河、蘇摩誐馱河、呬摩河、迦攞戍那哩河。此一一河各有五千眷屬小河、於其晝夜流入大海。如是、善男子、彼等大河、我能數其一一滴數。善男子、若念此六字大明一遍所獲功徳、而我不能數其數量。善男子、又如四大洲所有四足有情、師子、象馬、野牛、水牛、虎、狼、猴、鹿、羖羊、犲、兎、如是等四足之類、我能數其一一毛數。善男子、若念六字大明一遍所獲功徳、而我不能數其數量。善男子、又如金剛鉤山王、高九萬九千踰繕那、下八萬四千踰繕那。彼金剛鉤山王、方面各八萬四千踰繕那、彼山有人不老不死、經於一劫旋遶彼山而得一匝。如是山王我以憍尸迦衣、我能拂盡無餘;若有念此六字大明一遍所獲功徳、而我不能説盡數量。善男子、又如大海深八萬四千踰繕那、穴口廣闊無量、我能以一毛端滴盡無餘。善男子、若有念此六字大明一遍所獲功徳、而我不能説盡數量。善男子、又如大尸利沙樹林、我能數盡一一葉數。善男子、若有念此六字大明一遍所獲功徳、而我不能説盡數量。善男子、又如滿四大洲所住、男子女人童子童女、如是一切皆得七地菩薩之位;彼菩薩衆所有功徳、與念六字大明一遍功徳而無有異。善男子、又如除十二月年、遇閏一十三月、以餘閏月算數爲年、足滿天上一劫、於其晝夜常降大雨。善男子、如是我能數其一一滴數;若有念此六字大明陀羅尼一遍、功徳數量甚多於彼。於意云何?善男子、又如一倶胝數如來、在於一處、經天一劫、以衣服、飮食、座臥、敷具、及以湯藥、受用資具、種種供養彼諸如來、而亦不能數盡、六字大明功徳數量。非唯我今在此世界、我起定中不可思議。
”’善男子、此法微妙加行觀智一切相應、汝於未來當得是微妙心法。彼觀自在菩薩摩訶薩、善住如是六字大明陀羅尼。善男子、我以加行、遍歴無數百千萬倶胝那庾多世界、到彼無量壽如來所、在前合掌爲於法故涕泣流涙。時無量壽如來、知我見在及以未來而告我言:”善男子、汝須此六字大明王觀行瑜伽耶?”
我時白言:
”我須是法。世尊、我須是法善逝、如渇乏者而須其水。世尊、我爲是六字大明陀羅尼故、行無數世界、承事供養無數百千萬倶胝那庾多如來、未曾得是六字大明王陀羅尼。唯願世尊救我愚鈍、如不具足者令得具足、迷失路者引示道路、陽炎熱爲作蔭覆、於四衢道植娑羅樹、我心渇仰是法、唯願示導、令得善住究竟之道、擐金剛甲冑。”
※73 本母=十二部経の教え
《第11課おわり》