【AC・トラウマからの開放を目指して】《背景》:記憶の一(小学校低学年)

「《背景》:」には実際の背景だけでなく愚痴も含まれるし関係状況の変化によって反応も変わる為、トラウマやACの記憶に並列して書くのは不適当であると感じ分けることとした。


当時お隣に幼馴染の同い年の女の子Bさんとその妹Cさんが住んでおり、そもそもごっこ遊びだのをしていた私は人形遊びに関してはそれ程抵抗感がなかったこと、それと前後して友人Aと遊びにいったとき、持っていたのはスヌーピーのぬいぐるみで、同じのを買ってもらって、すすんで彼と一緒に遊んだ記憶も薄っすらとある。その後は世代的に「超合金」ロボットの出てきた時だったのでそれも持ち込んでいたようなことも思い出される。
2023年時点でトラウマになった事柄を思い出そうとし始めたら、この小学校低学年の頃の記憶が、他の2つ(二、三)であわせて3つしかなく、すっぽりと他の記憶がない状況に陥っていた。またこの記憶は他の2つ(二、三)とは違って英雄的行動(?)なので、トラウマではなく善い行いとして記憶しているのだと思ったのだが、何度も何度もマインドフルネス状態の中で繰り返しこの記憶を再現しているうちに、どうもこの後に思い出す何もできずただ立ち尽くした失敗体験のやり直しにリンクしているようであることに気づくまで時間がかかることになる。

この記憶は以下に跨る複雑な構図があるようだった。僅かな抵抗だったのかもしれない。

【AC・トラウマからの開放を目指して】酒宴の暴力の始まり

さて、面白いことにあの時を思い出すと凍りついてフリーズしかかっていたのを思い出す。「どうにも抜け出す方法がなかった」わけじゃなく、そもそもそこにいる小さな社会は対等な関係で結ばれていて、上下のない平等な関係だったということだ。ガキ大将的存在もおらず・・・そういえばその後のことを思い出してみるとガキ大将がいても恐れながらも対等に仲良く相手を尊重して付き合おうとしていたなぁ。問題は養育者だったり上司だったり「主従」関係だったりがないこと、つまりあがなえることで完全な「凍りつき(フリーズ)」が起きなかったのかもしれないし、「凍りつき(フリーズ)」を起こしてしまっても「対等な関係・平等」は抜け出せる手がかりであるのかもしれない。

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