【AC・トラウマからの開放を目指して】G案件:恐怖支配

担任G教員の恐怖支配は卒業まで続いて釈然としない傷だけを残した。

「お前ら、絶対許さない」
「私はかつての卒業生からは感謝されており、私は正しい」
担任G教員の言い分。
何かクラス内の過ちは、連帯責任と称して都度全員の前、下手すると全校生徒の前で吊し上げられ、時には「びんただ」と暴力で粛清され、服従を強要され続けられた。


こうして、家では毎晩の父の酒宴の恐怖が続き、学校でも縮み上がる思いで、ひたすら心を真っ白に保ってただただ時間のすぎることを願い続けた。
「今日も私のせいではなかった」「今日も無事くぐり抜けられた」
そして帰ってきて同じように晩食時を過ごし、常に過緊張状態の中すごすこととなる。家でもどこでもコード・レッドの危険が終わることはな区、私の周りでは常に危機は状態にあり、それにアラートを上げることもできなかった。この反動が出るのは2年後である。
保護者会では担任G教員による恐怖支配のことをまことしやかに正しいかのように説明していたのか、PTAも保護者からも文句の一つもやり過ごしていったようだ。ちなみに母はPTAの役員で、担任G教員にとっては何かしら「ちょろい親」だったのかもしれない。被害妄想になるが、私が「問題児」と指摘されていたから何も言えなかったのであろうことは後々想像に苦しくないことである。次の事件さえなければそう思うことはなかったろうけれど。

【AC・トラウマからの開放を目指して】「連帯責任」について

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