「《背景》:」には実際の背景だけでなく愚痴も含まれるし関係状況の変化によって反応も変わる為、トラウマやACの記憶に並列して書くのは不適当であると感じ分けることとした。
「一番風呂に入りたきゃ自分で沸かせ、クソが!」私の返し文句である。少しは懲りてたまに遅まきながら自分でやるようになっては来たもののこっちは急いでいる時もありその場合はとっとと沸かして時間無視でとっとと入った。未だにカラスの行水はかわらない。熱めの風呂が好きなのだが身体洗ってとっとと浸かってとっとと出る。出なきゃいけないような気がせっているのが15年たった最近治ってきた。
私は時間になったら入る派という単純な理由だがいわゆる「タイパ」の問題だったりする。仮に夜19時に晩御飯が食べれたとして2時間おいて21時~22時にお風呂にすることで就寝までの時間を逆算して、その時間をチョイスしていて次の日に差し支えないように気をつけていたわけだ。
父は症状からすると「骨髄異形成症候群」(今では珍しくないのかもしれないが)だったろうか、興味もなく忘れてしまったが、結局、日和見感染で命を落とすこととなる。
笑えない話だが、父の体質にとても似ている私は、今、前立腺肥大になっている。高血圧に関しては気がついたら20代ぐらいですでに上が150mmHg、下が栝樓じて2桁の90mmHg代、脈拍に至っては100前後で早めだったので、歩行程度の運動でも120を簡単に超えるようになっていた。25%という遺伝確率という名の生まれる前から負わされた呪われた世代間連鎖ともいえる。私の最後も自己免疫疾患などからくる日和見感染で命が絶たれる可能性があるということだ。
さて父は、戦時中昭和の家の長男で、「東大出身大蔵省のエリート」という順風満帆な一面だけではなかったようで、吃音症であることを隠しながら頑張った人という一面を持つ。私ももれなくその血をついで軽い吃音を抱えているからわかるが、バカにされまいと必死に取り繕っていたのだろうと思う。物を言うという表現ができない分、「愛情表現が下手」というレッテルを貼られることとなった。またここぞという決めの甘さが出て失敗してしまうことがあるのもその吃音症せいだったのかもしれない。アメリカのマクドナルドで「カフェ」と頼んで「紅茶」が出てきたり、発語にはかなり難アリだったようだ。おまけに失敗もついてくるのでハタから見ると「決まらないドジなやつ」でまるで「伝説級」の笑いものになるときもある。ついでを言うと江戸っ子発音で「ひ」と「し」の区別もつかないのは父が下町育ちだからなんだと思っていたが、山の手育ちの私もそうであるところから吃音の要素を誤魔化せたに過ぎなかったのかもしれない。
そもそも感情が押し殺されて育ってきている私は一瞬思考停止して、自分の感情をスルーしてから考える為、思いつき勝負の口喧嘩が苦手なばかりでなく、さらに吃音症が加わって、自己肯定感も低くなってしまったわけでもある。