【AC・トラウマからの開放を目指して】火災にあう

2012年9月6日の火災は大きな分岐点となった

9月6日


秋だというのに夏の暑さを引きずった日、人生の折り返しのつもりで勉強に励みだした半年、試験前で徹夜のきかない私は早朝就寝し、目覚めたのが昼頃であったろうか、異変に驚く。焦げ臭く、「くすぶり破裂する」ような異常音に目を覚ますと、壁の中の一部がオレンジ色になっていた。
「え?煙硝?」とばかりに消火に挑戦するも、鎮火したと思いきや吹き返すというよく話に聞く火災というものを実体験することになっていた。恐怖と戦いながら人の助けを借りて何とか消防へ連絡がついた。
何故か電波悪く自分の部屋では携帯電話から119番が繋がらなかったのだ。慌てて外に出ると、そこは「昼間は外出したひっそりと帰宅を待つ住宅」が並ぶ町で偶々仕事で歩いていた職人さんの団体さんが道角向こうから歩いてくるのが見え大声で「すいませーん、火事なんですー。消防呼んでくださーい」と叫んだ。こんな思いで消防を呼んだわけだ。
長く待たされ途方に暮れ鎮火まで相当時間を要したと思う。道端で座り込み、バチバチと炎の上がる音に怯え泣きそうな思いで、再度、携帯電話から119番し状況を問い合わせるなどした覚えもある。掛からなかった電話機は道端では通話できる状況だった。いつも部屋で恋人にかけている電話機なので繋がらないわけはないのだが、何故かあの状況で使えなかったという。
鎮火後、警察と消防での現場検証の結果証言と状況から「自然発火」だと言われた。

《認知》「過去を焼き尽くしてくれたらどんなに良かったか」生き残ったがゆえの不幸の分岐点
《気分・感情》恐怖、不安、緊張、頭の中真っ白、怒り
《身体反応》ドキドキ、ハラハラ、心臓が押しつぶされそうな下腹が痛いような穴の空いた感じ。こわばり、余計な力が入る。
《行動》生き残れた。生き残ったが故になのかあんまりだった。思考停止したように動けなくなる感じ。

こんなこともあり、この事自体、PTSDのようにフラッシュバックが起きるようになったことの一つでもある。


得度式からは3年後(平成21年だったようだ)、また父が他界して(その時は会社員だった)まだ数年も経ったわけでもないが、心機一転、人生を立て直そうと会社をやめ勉学の道に入って1年目の2012年9月のことだった。
その前の年には終わらない夏というか異常気象というか、35度超えの夏が当たり前のようになり始め、家族(主に母だけ?)に「最近昼間暑いせいか壁からベコベコ音が聞こえるんだよね」と話ていた。そこはコンセントもありまた雨戸の戸袋になっており、暑さのせいか骨組みとなっている木材が軋んで、音を出しているのは知っていた。そんな場所からの出火だった。オレンジ色に光って見えたのは戸袋の中か外っかわの壁なのだろうが、現場検証の際、出火の一番焦げている場所はコンセントから離れた場所で床と壁の境辺りだという指摘だった。確かにそこを消火した覚えがある場所だったのだが、オレンジ色に光っていたのはそこから50cm程上の場所の壁の中だったように見え、全く腑に落ちなかったのを覚えている。
前日偶々、夫と死別して近くで仕事をし始めていた姉が帰宅しており、2階の部屋は私一人の占有となっていたため、客間に姉は泊まった。朝には出かけていたらしく、母はコミュニティセンターのボランティアで出かけていた。そんなタイミングで偶々私だけがいた目の前でおきた火災だった。
生き残ってしまったがために兄という身内から犯人に仕立て上げられ不幸のどん底に突き落とされるとは思わず、いっそ焼け死んでいたほうがよっぽど良かったのかもしれないと今でも思っている。数年間、実家の土地の件で悩まされることにもなった。
現場検証では伏線がある。火災の鎮火の際、すでに救急車も駆けつけていて、煙を吸ってしまったことから、消防の勧めもあり近くの病院に運ばれ煙を吸った方は異常がなく小さいが重度の火傷で済んだ。
病院からの帰りがけ、私は兄を頼ろうと電話をした。
私「実は家が焼けて火事にあったんだ」
兄「あん?また金か!?」
私「は?まぁそれはわからないけど・・・(この人なんの話をしてる?狂ったか?話を変えよう、今日中間試験だったわ)」
私「今日中間試験だけど、これじゃぁ行くこともできなさそうだから、いくのやめようかな」
兄「おまえは試験は受けにいけ。とりあえず行くわ」
私が生きていたことは別にどうでもいいようなことだったらしく、火災はすでに彼の中では「私が起こしたもの」というストーリーとなっていたようだ。詳しくは先に進める。

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