鎮火し、現場検証の始まる頃には実兄も到着していて、現場検証の際には金魚のフンのようについて回ってきた。紙にある程度書いて「ココに本棚、ココにはパソコン、出火場所の前にはプリンターとかおいてある棚・・・説明して回る。火の手が見えたので水をこの辺にぶっかけた消化液も近くにあったのを使った」・・・など洗いざらい正直に話して、腑に落ちなかった部分も何度も話して焦げの強い部分と実際に消火した部分との違いも説明した。状況証拠と私の証言から警察と消防との話し合いも行われ総合して、「自然発火」だねと。金魚のフンもそれを聞いていたはずで、にも関わらず彼は別の答えを出していたようだ。
後日子どもを連れて火災現場を見たいという。私は何かの事情で行けないと断ると、「お前が出した火災なんだから犯人のお前がいないと説明にならないだろう!」と罵られる。
「はぁ?自然発火だろ!聞いてただろ!」。誹謗中傷も良い所だ。
焼け死んでいたら、「ここが火災を出した犯人の寝ていた場所だ!」と自慢げに話したのだろう。
さて、こんな人間達に火災時に頼ったことがいかに馬鹿だったか。いっそ焼け死んだ方がなんぼかマシだったようにすら思った。
あとから考えると、彼が土地分割で生前贈与するまでもめにもめる機会を提供し、私を口止めするには良い口実だったのか「火災出したお前は黙ってろ」とまで言われたのが現実だ。それから数年、その火災現場に工事が入ることもできず、数年別の場所で一人ぐらしをしつつ、卒業までこぎつけ、近くのUR住宅へ引っ越し母と姉と3人で暮らし始めた。
母と兄は互いに弁護士を立て、それまでの母の裏切り、兄との裏取引なども表沙汰になっていく。もともと土地は母方の祖父から分けられた土地で、祖父はちょっと有名な医者で文京区に土地とビルを持っていた。この事件の起こる10年ほど前だろうか、賃貸ししていたそのビルも立ち行かなくなり、母方の兄が家長を引き継いでいたため、その兄の子供の画策で借金が返せず持ち逃げ倒産をされ、連帯保証人だった母などの姉妹に矛先が向くことになる。一人(母の姉)は都内の家を手放し、もう一人(母の妹)は計画的に子ども一人だった為、相続関係をうまく使い回避し、我が家は兄に一部の土地を買わせることで複数人の共同所有となり、連帯保証から回避が成功し、裁判も終わっていた。実態として父母は確かに兄夫婦からお金を受け取り共同所有としてそれを証拠とした。ところが、そのお金は父と母が話し合い、兄夫婦の口座に110万ずつ何年かにわたり返済したという。実兄は実質ただで共同所有となろうと一時的に助けたのは事実で登記は残っているのから、それを使い有利な土地分割を目論んだわけだ。3年、弁護士はさんでの話し合いに時間を要し生前分与という形でカタがついたわけである。さてこんなにも騒いだ裏には別の事実があったらしく実兄は泡銭から博打に手を染めたらしく借金もあったということだが、手に入れた土地を売っていないところから彼が生きている間は実家の分割された跡にはアパートが建ち続けるのではないかと思われる。
相続だの贈与だの、天から降ってくる話、このことは私にとってはどうでもいいことで、うんざりしていた。しかしその3年色々気づいたこともあった。
その一つは、私は確かに生前の父が嫌いだったが、同時に母も嫌いだったことに気がついた。URマンションに住んでたときに思ったのは、私の帰るべきうちはそこではないということ、そこが嫌いであること、そして、母の無言の「押し付け」にうんざりしていたこと、そして、やっと、苦しかった酒宴に始まり母の無言の「押し付け」に抵抗するとを禁じられてきた現実から離れるには、家を出ることが先決だということに気がついた時間でもあった。
どうせ死んだ人間だ、もうここから離れようと自由になろう思った。もれなく親不孝者の看板も背負わされることとなったわけだが。
また、幼少期ではなく学生になってたとはいえ父の酒宴のよいおもちゃとして肴にもされてきた兄もまたACかそれに近い人格障害を起こしていたと想像に苦しくなく彼も被害者なのかもしれない。
ちなみにこの家5人の家族の内、父以外酒を好む人間はいない、兄姉弟がアルコールが怨みの対象でしかないことを付け加えておく。