やっと思い出された派生した記憶である。
帰宅するやいなや、怒りに満ちた顔で待機していて、引きずり回すように、母の自転車の荷台に載せられ連れ回された記憶がある。
「怪我させたんでしょ!来なさい!」的な説明はあったかもしれないが、この後の記憶は凍りついて(フリーズ)いてあまり覚えていない。
ただ並行して残っている記憶は、もう「いく」なら「ひとりでやらせて欲しかった」、私は外用の自転車に自分で乗って運転して謝りに行かせて欲しかった。
こういう、凍りついた(フリーズ)状態にもっていかれながら、自立心の削がれ方はこの件に代表されるようにずっと続いていた。恐らくこの状態にするということを聞くという親のエゴにより多用されたものと思われる。
親のエゴが優先され意思を無視すると同時に、その時にも感じましたが、私って「お荷物」だったんでしょうね。
「こんなにも一生懸命育てたのに!」・・・私は放置されるか人形になるかしか記憶ないんですけれどもね。今から思うと大人の私からすれば、「3人分の苦労を一人に押し付けて言った」のも解ってきました。