【AC・トラウマからの開放を目指して】野球は夢だった

【AC・トラウマからの開放を目指して】記憶の三(小学校低学年)

考えてみれば野球をやりたかった少年であったことがわかる。

私には選択肢はなかった。
「野球がやりたかった」「小学校に野球チームが置かれ、私はそれに入りたかった」のだ。
結果は「ボーイスカウト」とやらに送られた。別の言い方すると「ボーイスカウト」という「監獄送り」ということだ。
後で理由を聞くと、兄の画策で「球拾いになるから」という提案が背景で、自主性・自立性を奪われていった。
もう、一人の人間として扱われることはなくなっていったようだ。こういうふうに希望はことごとく潰されていったし、私だけの努力ではどうにもならずに選択肢も狭まっていった。
選択してだめだったのとは全く意味が違う結果となって、たいへん落ち込んだし、未だにボール投げできませんから、まわりに運動を教えるなどできませんね。「ボーイスカウト」が意味のないものだとは言わないが、そもそも本人の意志はそこにはない。

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