【AC・トラウマからの開放を目指して】酒宴の暴力の始まり

【AC・トラウマからの開放を目指して】父の酒宴

酒宴のある日。
酒が入り泥酔してべろんべろんの状態で父は反抗する姉をねじ伏せようと暴力に出た。
髪の毛を掴んで今から引きずり回し玄関へ引っ張り出し、
「言うことをきけないなら、(家から)出ていけ」
と怒鳴りちらした。殴ったりもしただろうか。記憶が飛んでいる。
母は号泣するばかり。
私は恐怖で動けず立ち尽くした。
髪の毛は散乱し、大の字で泥酔の父は玄関に横たわり、姉は多分部屋に逃避。
誰も守られることなく、誰にも認められず、事件の渦中の部屋の真ん中にぽつんと、傍観せざるえなかった。
私は泣いていたのか恐怖でおののいていたのか一切の感情が思い出されない。
以来、誰からも守られなかったことは「捨てられる」恐怖に変わり、怯え育つ事になった。


姉の家出が中学二年生であったことから、8歳下の私が六歳の時の出来事だということになる。小学一年生、未だに卒園式やら入学式やら記憶に全く思い出されない。ぽつんぽつんと負の記憶があるだけだったり、記憶障害があるか、よっぽど楽しくなかったか、よっぽど大事ではなかったか、であろう。
兄?兄は我関せず、知らんぷりだったようで、部屋でひっそりしてましたわ。
この後姉の家出を兄の受験の失敗の原因と逃げをうつことになる。この頃から残念な人だ。父を見習って私にも暴力で事を片付けるようになりましたかね。あぁ、そうして、更に家での逃げ場がなくなっていったんだわ。
一見するとすべて姉のせい、父の酒のせい


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【AC・トラウマからの開放を目指して】「連帯責任」について

「連帯責任」教育について洗脳手法として調べたことがあり、そのメモを載せる

「連帯責任」は、『どこそこに所属すること』が前提となり「暗黙の前提の絶対化」により『一員として行動することを疑わず、生活すること』という「徹底した相対化」による洗脳である。

不安を煽り、真面目で向上心のある人ほど操作しやすく、養育環境の理不尽なコミュニケーションの繰り返しの結果「『自分』がおかしい」などという思考になっていく。

洗脳の手法として①安心②驚き③嫉妬④囲い込み、の手法を用いる。

①安心…理解者・支援者だと安心させる
②驚き…占いなど予想を的中させたり、心の底を言い当てたりするトリックを使う
③嫉妬…他のメンバーを登場させ互いに競わせる
④囲い込み…家族や社会から分断、帰り場所をなくす

洗脳の三段階
①解凍…これまでの人格の破壊
②変革…「教え込み」の過程
③再解凍…新しい人格を作り上げ強化していく過程

これを残すことは、過去実際にあった事実を記す目的であって、単なる批判の対象としてだけではない。現状いじめですら隠し握りつぶす教育現場で、教員個人の責任放棄の一手として使われることが予想されるし、人格破壊を行うかなり卑劣な手段として今後も使われう可能性が高い害悪の側面そのものとして今後の善導者に委ねたいと思う。そしてもっといい回避方法を教育に関わる人達がひねり出してもっとよい環境にしていってくれることをただただ願うこととする。

【AC・トラウマからの開放を目指して】参考文献など

当初苦しみながらどうやって解決するか模索していたときに読んだ記事に紹介されていた本である。

あなたのままで、大丈夫。精神科医が教える自分で自分をケアする方法 著:増田史(主婦と生活社)
https://www.shufu.co.jp/bookmook/detail/978-4-391-16025-3
自律訓練法やTFTといった紹介とともにスキーマ療法の一片や紙にアウトプットをするして捨てるという方法を紹介している。ひたすら元気づける言葉が印象的。

スキーマ療法の紹介や実践として伊藤絵美先生のご著書を参考にした。

マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK1 著:伊藤絵美(医学書院)
https://www.igaku-shoin.co.jp/book/detail/91512
マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK2 著:伊藤絵美(医学書院)
https://www.igaku-shoin.co.jp/book/detail/91513
自分でできるスキーマ療法ワークブック Book1 著:伊藤絵美(星和書店)
https://www.seiwa-pb.co.jp/search/bo05/bn852.html
自分でできるスキーマ療法ワークブック Book2 著:伊藤絵美(星和書店)
https://www.seiwa-pb.co.jp/search/bo05/bn853.html

著者のfacebookはこちら
マインドフルネスについては通院先の治療プログラムで行ったものと同じでよいようだ。マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK1に紹介されているストレスコーピングと行動認知の基本モデルが重要視し《ストレッサー》《認知》《気分・感情》《身体反応》《行動》の分け方に忠実に行うようにした(五蘊の現代語訳だと思うとそのまんまであると言える)。いずれにしても手放す手法がとても難しいようで、たどり着いたのは繰り返して慣らすという最も辛い方法なのかもしれない。
実践していったものの行き詰まりを感じたのは、安全地帯を作れなかったこと・安全地帯になり得なかったとも言える。もう一つは、途切れた記憶、小学校低学年の数えるほどの記憶しかなかったことで行き詰まってしまった。また、他者にサポートを求めことはできず、そもそも前述の通りセラピストもおらず難しい局面となっている。
ただし、「スキーマ」があるという仮定から入るこの方法は、トラウマを洗い出していくには心当たりに目星をつけることで良策で調べるうちになんとなく解ったもののやはり「人気」というより実際にそこまでたどり着けない人が多いから「自分でできる」シリーズに至ったのでは?と推測してしまうところで、それならばということでシリーズモノは一応網羅して著者の伝えたいことに忠実に行うこととした。更にストレスコーピングと行動認知の基本モデルの実践と紙にアウトプットをするという方法をここ数年続けている。
紹介もされているように行動認知療法で成果が出ないケースに該当しているのでは?と手にとって読み込み、ワークブックもはじめてみるというところまで、向き合う体制を作れたという意味で大変良かった。
上記の著書の仮想の主人公さんもそうであるが幼少の頃の記憶が原因になっているのは分かった。

医師に相談しているが通院先のカウンセラーの余裕なく、一人実践せざるえないという状況だったりするが、ヒントとして「アダルトチルドレンでは?」ということから矛先を「アダルトチルドレン」による「トラウマ」ほどきと方向性を変えている。「アダルトチルドレン」といえばこの本かなと思い信田さよ子先生のご著書を選択した。

アダルトチルドレンについては以下の書籍を参考にしている 著:信田 さよ子(学芸みらい社)
アダルト・チルドレンへの誤解や背景、古典~最新事情といったところだろうか。酒害家族とその子どもの概念がよく分かる。最近はアダルト・チルドレンという言葉も「毒親」として書き直されているようだが結局は何なのか知らないと手が出ないだろうというところで読了した。

SNS(インスタグラム)を通じて克服実践を配信している方の著書であり、様々な気付きを与えていただいている。

“メンタルヤバめ”をやめられる本 著:池田由芽 (大和出版)

第一感情、第二感情として説明されている内、特有の造語で満たされなかった想いを充足させることを教えている。更には脳の3重構造の話題に至るまでなかなか深いと思った。著者のインスタグラムは@yume_ac_kokufukuさんです。

酒害家族自助グループに参加もしたりしていた

Al-Anon アラノン家族グループ
残念ながら生きなきゃいけないこの世の中で時間を割けなくなってしまい、吐き出すことアウトプットを目的としてこのカテゴリを作り、紙に書き出したことを、もう一回平旦な目で見つめつつ書き出すということをしている。「いいっぱなし」を目的とした。特に12のステップは重要な部分であり、AC・鬱が発症してしまうと今直面している諸問題に向き合うどころか気付けなくなり、世の中からおいて行かれてしまう深刻な問題が生じる。傷となったトラウマ自体を整理して、直面している諸問題=即ち「生活」を流れに委ねて、ひたすらトラウマから生じた性格や不合理を自省し祈る。「祈りを信じる」事自体が難しいし、神だのハイヤーセルフだの霊的だの、一見頓珍漢な部分もあって、とてもキリスト教的である。同じ悩みを持つ人達と集団を形成することに於いては仏教にも通じるが、正常な幼少期を過ごせず歪な自我形成してしまった人たちが、取り組む方法が仏教にはほぼなく、絶望的である。

マインドフルネスについては以下である。

呼吸によるマインドフルネス 著:ブッダダーサ 比丘(法藏館)
当初からお世話になっている書物。個人的には2008年に静慈彰氏が主催されていた「東京ヴィパッサナー瞑想道場」などでも導入で習っていたり、長く参考書として「呼吸によるマインドフルネス」を実践に用いてきたいるが、中に紹介されている短縮した実践方法を用い第一禅定に入いる方法はよく使っている。

【AC・トラウマからの開放を目指して】当初:インデックス

【AC・トラウマからの開放を目指して】うつをかくして

なかなかその時も治らず復帰できず時間がかかったのを覚えている。今のようになんでもネットにビジネス紹介をする時代ではなく情報が溢れている時代から一歩手前というところだろうか。うつ病や睡眠障害・発達障害など、不利となる時代なので入社時その事は伝えていない(まぁ、中途採用なんて「場合によっては何かしら問題抱えていることぐらいわかるでしょう」というのが現実かと)

L社に勤めてたときは、前職場でうつになってしまったことを隠して入社している。気持ちが完全に危険域に入ってしまい、一日全休して、通院(有楽町)帰り秋葉原によった時、気晴らしで歩いていたのを関係会社の方に見掛けられ、「サボり」とみなされて、追求を受けることになったことがある。暗い雰囲気の個室のある喫茶店で囲まれて萎縮も助長された。すぐ疑われるというあまりいい思い出ではない。有楽町に通院していて途中立ち寄ったという事実をありのままに伝えて不問となった。それ以上の追求もなかった。
《認知》「どうしよう困った」「何でこんな事になっている?」「うつ病のこと言えない」
《気分・感情》不信への心配、首切りの不安、諦め、苦痛が更に増えた
《身体反応》心配と不安と恐怖でドキドキバクバク、頭痛、萎縮
《行動》思考停止、やる気の低下、負のループ

【AC・トラウマからの開放を目指して】テレアポにうんざり

大学に通っている時、卒業云々ではなく「もう出たい」という思いに駆られて就職活動していた事があり、アイ◯ムに載っていた会社に応募したことがある。

今でも「美術商」というと「絵画商法」など悪徳商法があるが、今ではありえないが、電話でアポ取り、絵画を買ったオーナーに美◯商連合だかの福利厚生サービスを提供するいわゆる「ぶら下がり商法」+「アポイントメント商法」でした。今は会社名すら忘れてしまったのでどうなったかはしりませんが、応募すると即日、面接もなく、名簿と台本を渡されテレアポさせられました。その日一日テレアポしながら正しいことなのかどうなのか考えて即日辞めました。
《認知》詐欺じゃないのか、テレアポはどこのリストだ?相手が迷惑がっているのが伝わって苦しい、ごめんなさい、いつまで続ければいいんだ?おかしい
《気分・感情》怒られて萎縮、緊張、イライラ、お腹が痛い、感情抑制、諦め
《身体反応》ドキドキ、自我喪失・自己抑圧で不安と心配と恐怖で心拍数も上昇
《行動》たかを括ってルーチン作業、逃げられない


30年前にはこんなのもあったということで。闇バイトが問題となっていますが、昔からこの程度のはありましたし、新しいと思いついてやりだすとんでも商売

【AC・トラウマからの開放を目指して】虚言癖社長

2020年の秋突然の発熱から感染症でダウンしてしまい、丁度、コロナの時期とも重なって、体調がすぐれず、定期的に有給は消化していて余裕があったとはいえ有給がなくなってしまうほど休まざるえない状況になってしまった。体調不調が続いて復帰し無理くり職場に復帰して数ヶ月経ってからある日のことだった。無能な営業がスケジュール空白を作り、そも私のせいである、として、また同僚からも不満が出ている、というK社の社長自らの虚言で減給処分にしようとしたことに始まる。「社労士とも相談し、君の休職も考えたが、それはできないから減給にする」という話であった。いわゆる肩叩きの罠にハマって、頭にきてしまった私から「退職」の言質を取られてしまう。私は私で同僚に当然ながらこういう話をされ辞めるしかない事態になったことを伝え挨拶してまわって帰った。一瞬でこの話は仲間の同僚に広まり、不満を言った同僚探しが始まったようで、更には、「まずは体調不良なら休職期間を与えるべきだろう」と同僚から社長に申し入れが入って、事は急変した。翌日には減給処分の話も撤回したのか録音しながらだったので言質不利になる話は「しらない」「いっていない」と嘘を突き通し、「急遽、休職してもらいたい」として、会社の都合の悪いことにならないよう誰ともあわせないようにして休職が始まることになった。
《認知》「陥れて嘘までつくのか、コイツラ終わってるわ」「本気で頭きた」「嘘までつかれて頭がおかしくなりそうだ」
《気分・感情》怒り、恨み、虚をつかれ頭の中真っ白
《身体反応》ひどい落ち込み、うつ
《行動》棒に振らされた、怒りフツフツおさまらない


元々、この会社に所属するときに宣言したことは「私は営業はしないんでその部分は(御社に)任せますよ」でした。営業とは何度か衝突していますが、よくある営業の手柄のみの会社、社長に国家資格も持たない現場をしらない御仁なのでやり方も幼稚・下手だからツッコミどころ満載なやり方をしたのでしょう。当然対策や周りとの相談もなく社長自らの謀略だったのでしょうね。まぁ、「組織は人を救わない」の時代、退職代行が増えるのも当たり前で、まんまと引っかかってザマァというところでしょうか。
この後、検査三昧で、原因のわからない(アレルギー元がわからない)咳喘息と食道裂孔ヘルニア(逆流性食道炎)、男性更年期障害による不眠症と鬱、などなどがベースで、他もどっと重なっていたようで感染症なども特定できないこともあったり(コロナでもインフルでも食中毒でもないということ)、色々つんだ状況というのが本音。咳喘息も一時は百日咳じゃぁ?と疑われたりもしたが、血液検査では該当せずである。昨年は救急車呼ぼうかと思うほど窒息しそうな咳に踞っていた。喘息治療薬は「前立腺肥大」があるので吸入ステロイドもギリギリ最上のレベルの処方と共に飲み続けることになった。一日10種類程度だが何十定とはならないにしても基本的には対処療法になっている。
「治りたい」、できないなら「コントロールしたい」、というところで喘息なのか何のアレルギーなのかわからないまま「コントロールする」しか手立てがない状況だったりします。

【AC・トラウマからの開放を目指して】また邪魔はいるかもね

真言宗をうたったカルト集団との別れと書くのがよいだろうか。
既に休職状態になっていた時、真言宗醍醐派の僧を語るJが立ち上げた集団のカルト化・マインドコントロールに付き合わされていた訳だが、期間が空いていたところにいきなりコンタクトを取って来たと思ったら、意にそぐわないと思ったのであろうが、今度はグループLINEで脱退を即すように誹謗中傷を始めるという一連の煩わしい出来事であった。
カルトとの関わりは勘弁いただきたいのでLINEのアカウントの消去という形で対応した。
しつこく粘着もされうんざりしている。


さて、私は元々仕事上だったりLINEは付き合いでやっていただけなのでアカウント削除は痛くも痒くもない。ゴミも溜まってきていたので綺麗さっぱりだった。
当初は真言宗醍醐派の僧を名乗るJがということで2017年頃に相手のブログで知り合った方だったが、Jの信じる「地域密着型生まれ変わり論:開発の進む地域で、過去の生まれ変わる前の人生(過去世)で現在の廃寺を囲む地域に過去の”同時期に生活”を共にし、Jとの結びつきや地位(?)の近いものを優位とした集団」とでもいいだろうか、それをも「法」と尊び、本来の仏教の路線からは何とも疑問符しか浮かばない。2020年頃にはブログのワンパターンなところや帰点の定まらない強い過去世物語への執着とそれを利用したマインドコントロールによる支配から少し距離を置き始めていた。おもちゃのロガーで追跡もどきをして読者に私がいると勝手に確信していたらしいのだが、ネットワーク素人なのだろうが本来のFTTHやマンションDSL環境の構造を知っていれば同じホストだからといって同一人物であるとは限らない訳だ。他にも離れていった方がいたらしいがあんな状態では当たり前だと思っていた。
私は人様の「やれ幽霊だ」の「やれ占いだ」の「やれ不思議だ」の他人の「それ」らを否定するつもりはないが、マインドコントロール支配で利用されかけた私としては、「探求」するうえでそういう執着は邪魔でしかないと思っているし、ずっとこれを訴えてきた。
Wikipediaは「カルト#概要」の「精神科医ロバート・J・リフトンは、カルトの特徴」にあるように以下が該当した

  • 説得のテクニック – 新たな信徒を獲得し、現状の信仰心を補強するために、寛大なものから威圧的なものまで手段はさまざま

  • 秘密の計画 – 集団は絶対的な真理と道徳観を持ち、信仰の真の目的と計画が曖昧であり、新規入信者や一般大衆には明確に提示されていない

  • 欺瞞 – 入信者や信徒は、指導者や集団の中枢部に関してすべてを知らされるわけではなく、また大きな混乱を招くような不備や厄介事に発展しそうな事件、あるいは状況は隠蔽されている

  • 金銭及び性的な利用 – 金銭およびそのほかの資産を差し出すよう説得される。指導者には一人かそれ以上の信徒との性的関係が許されている

  • 絶対的な真理 – さまざまなテーマにおいて、指導者、あるいは集団が見出した究極の知識に対する自信

  • 絶対的な道徳観 – 指導者、あるいは集団が確立した、組織の内外を問わず等しく当てはまる、思考および行動に関する善悪の基準への盲信。その道徳の基準にきちんと従えば、組織の一員としていられるが、そうでない者は破門されるか罰せられる

「金銭及び性的な利用」については直前パトロン的存在を示唆していたし、各人の存在の決定はJと別の1名による「予言」のようなものによって決定していく構造にも危険性を感じていた。また人の出入りも激しいのはJと予言者の好みによるものであろう。そしてなにより加担することが嫌だったので、この一連の一件は一種の事故のように捉えるしかないだろうと思っている。
本件がトラウマやACと関係あるのかという部分においては、足元をすくわれそうになるという意味で全く関係ないことではなく、足元に自分がなかったんだということの発見の機会になった。
問題はこのJという人物、妄想と酒癖が悪く、かなりしつこいということだ。