習字を習うことになって、学校以外では、はじめて教室に連れて行かれた記憶がある。
「そろばん」と「ピアノ」と「習字」から選ばされたそうだ。そのとき「そろばん」と「ピアノ」は断ったと聞く。
多分、「ただ遊ぶ時間が削られることが嫌」で断っていったのだと思うが、いずれにしても「やらない」という選択肢はなく、母親に無理やりやらされ、まして教室の下見などは一切した記憶はない。そもそも見たこともやったことも行ったこともないものを理解はできないし選択できるものだろうか不思議である。
こういう「あなたが断ったからだ」と平気で言い放ち、抵抗もできない強制、親の自己満足とそもそも選択肢のないダブルスタンダードが増えていった。
【AC・トラウマからの開放を目指して】続・逆上がり
【AC・トラウマからの開放を目指して】逆上がり
【AC・トラウマからの開放を目指して】左右盲
【AC・トラウマからの開放を目指して】世間体が規範
姉は家出した。
幼馴染だったBさんは、当然ながら小学校にはいると友だちもできて外出など行き違いが増えていくこととなった。
《認知》「寂しい」「何処いったら会えるんだろう?」
《気分・感情》孤独感、不安、心配、頭の中真っ白
《身体反応》しゅん・・・、脱力
《行動》会えず彷徨う(これが当たり前になっていく)
母は兄のことを贔屓気味に優先、兄は常に私をマウント、私から自立を奪う存在で、そして父には逆らっていけない。
更には私は「できない子」の構図
毎日の父の酒宴
ある意味家訓・規範は「世間体」
自立性無視でただ存在生存し続けるだけの学童期が始まっていた。
《認知》「僕だけ独りぼっち」「できない」「居場所ない」「あがなえない・逆らえない」
《気分・感情》情緒不安定、不安、心配、緊張、頭の中真っ白→凍りつき(フリーズ)
《身体反応》逆らえないから停止、思考も辞める
《行動》ただ立ちすくむ(逆らう方法もわからない)
【AC・トラウマからの開放を目指して】踵の痛み
そもそも、こういう気持ちだったという話。
私ののっていた補助輪付き自転車にはそもそもブレーキも付いていない代物だったと記憶している。なので補助輪を外してさぁ乗れるねと練習していても、外(公道)には出られずしばらく放置されていった。妙なところガチガチの真面目さんお宅(体裁主義家庭)だったので、出る度に私は母の自転車の荷台に載せられ自由は許されなかった。2人目3人目の子どもというのはこういう扱いなのだろう、要は私用の自転車は与えられなかったということがポイントで、「怪我したら大変」とか色々言えるが、しばらく放置されていったというのが現実だ。
ある日、ずっと心の奥底で抵抗して私は行動に出た。
車輪に足を突っ込み反発を示したわけだが、母は気が付かず家について事の重大さにやっと病院につれていくという、踵には骨が見えるほどえぐれた傷が出来(傷自体は20年近く残っていた)、何とも痛いだけの大損をすることになった。
痛い思いをしただけで母には全くこの想い(自立心)は通じなかった。
【AC・トラウマからの開放を目指して】荷物と同じ
やっと思い出された派生した記憶である。
帰宅するやいなや、怒りに満ちた顔で待機していて、引きずり回すように、母の自転車の荷台に載せられ連れ回された記憶がある。
「怪我させたんでしょ!来なさい!」的な説明はあったかもしれないが、この後の記憶は凍りついて(フリーズ)いてあまり覚えていない。
ただ並行して残っている記憶は、もう「いく」なら「ひとりでやらせて欲しかった」、私は外用の自転車に自分で乗って運転して謝りに行かせて欲しかった。
こういう、凍りついた(フリーズ)状態にもっていかれながら、自立心の削がれ方はこの件に代表されるようにずっと続いていた。恐らくこの状態にするということを聞くという親のエゴにより多用されたものと思われる。
親のエゴが優先され意思を無視すると同時に、その時にも感じましたが、私って「お荷物」だったんでしょうね。
「こんなにも一生懸命育てたのに!」・・・私は放置されるか人形になるかしか記憶ないんですけれどもね。今から思うと大人の私からすれば、「3人分の苦労を一人に押し付けて言った」のも解ってきました。
【AC・トラウマからの開放を目指して】《背景》:酒宴の暴力の始まり
「《背景》:」には実際の背景だけでなく愚痴も含まれるし関係状況の変化によって反応も変わる為、トラウマやACの記憶に並列して書くのは不適当であると感じ分けることとした。
姉の家出が中学二年生であったことから、8歳下の私が六歳前後の時の出来事だということになる。小学一年生、未だに卒園式やら入学式やら記憶に全く思い出されない。ぽつんぽつんと負の記憶があるだけだったり、記憶障害があるか、よっぽど楽しくなかったか、よっぽど大事ではなかったか、であろう。
兄?兄は我関せず、知らんぷりだったようで、部屋でひっそりしてましたわ。
この後姉の家出を兄の受験の失敗の原因と逃げをうつことになる。この頃から残念な人だ。父を見習って私にも暴力で事を片付けるようになりましたかね。あぁ、そうして、更に家での逃げ場がなくなっていったんだわ。
一見するとすべて姉のせい、父の酒のせい
【AC・トラウマからの開放を目指して】酒宴の暴力の始まり
酒宴のある日。
酒が入り泥酔してべろんべろんの状態で父は反抗する姉をねじ伏せようと暴力に出た。
髪の毛を掴んで今から引きずり回し玄関へ引っ張り出し、
「言うことをきけないなら、(家から)出ていけ」
と怒鳴りちらした。殴ったりもしただろうか。記憶が飛んでいる。
母は号泣するばかり。
私は恐怖で動けず立ち尽くした。凍りつい(フリーズ)ていた。
髪の毛は床に散乱し、大の字で泥酔の父は玄関に横たわり、姉は多分部屋に逃避。
誰も守られることなく、誰にも認められず、逃げるところもなく、事件の渦中の部屋の真ん中にぽつんと、傍観せざるえなかった。
私は泣いていたのか恐怖でおののいていたのか一切の感情が思い出されない。
以来、誰からも守られなかったことは「捨てられる」恐怖に変わり、怯え育つ事になった。
《第0感情》
- 「暴力やめて」
- 「私を認めて守って欲しかった」
- 「私は私を捨てないから、私であっていいんだよ」
- 「私はここにいていいんだよ」
- 「辛かったね、私が私を守るから、もういいんだよ、どうか心を閉じないで」
さらには、暴力・理不尽に対する抵抗の現れが記憶の一番目となったようだ
【AC・トラウマからの開放を目指して】《背景》:祝福されない
「《背景》:」には実際の背景だけでなく愚痴も含まれるし関係状況の変化によって反応も変わる為、トラウマやACの記憶に並列して書くのは不適当であると感じ分けることとした。
毒母へ
だから家族一人一人から避けられ離れていったんです。どうぞご自分の世界だけ美しく正しい世界を描いていただいて結構ですが、私に、泥を塗り、溝を掘ったのはのはあなたですよ。どうぞあの世までその「ワガママ」もっていって是非楽しんでください。そして何よりも今後も思い通りにならない、どうにもならない世の中をお楽しみください。
