【AC・トラウマからの開放を目指して】厨二病的仏教

このタイトルにはそのままの意味で、実際に般若心経を読めるようになったのは当時、薬師寺の伽藍復興で始まった写経にあって、淡い黄緑色の台紙の「摩訶般若波羅蜜多心経」という経本を中学生の時に手にしてからになります。火災で消失しましたが、毎日のように漢文だけでなく裏面の心経奉賛文「抑も般若心経と申す御経は文字の数僅か二百六十余文字の云々」から「訓読」に至るまで端から端まで読み続けていましたので今でもふと思い出せる程度のもので、諳んじているので(訓読はぼんやりでも)、放心していても内容を追う程度は簡単な代物となっています。お坊さんに憧れでもあったのかもしれませんが(というより寧ろ、G案件の教員の歴史の時間の言葉「可哀想におまえたちは末法の世だから悟ることはないし仏教は無駄」という文言に対してトラウマで投射されたインナーチルドレンが抵抗しているにすぎないかもしれません)、中学生・・・まぁ、私の厨二病の根源は般若心経でしょうね。問題はその理解とトラウマで投射されたインナーチルドレンでしょう。

目に見えないものは見えない私はオカルトに一定の距離は保ちつつも、中学生頃はボーイスカウトからやっと開放されて、格闘技にシフトしていましたから帯を締めるということがルーティンの一つだしおまじないでもありましたよね。このようにルーティンやおまじない的なものを否定もしないし、過去それが何なのか知ろうとしていったのはたしかにあります。その一つに二十代の頃、密教に惹かれて阿◯宗という新興宗教に入信していたこと。いわゆる三宝院流(とされていた)の四度加行を(別途お金払って)教わるのだけど、暫く打込みましたよね。特に如意輪法(に限らずかもしれなかったのかもしれないけれど)は復習会もあるほど熱心に習います。気がつくと法具を一揃し、「ひたすら何なのか」を知ろうとしたりしていました。真面目にやると2時間ぐらい、慣れてくると1時間半、未だに無駄だったのかどうかはわかりません。ただ只管目先のことしか目がいかなかった気がします。なんの効果もわからないまま、30代には信仰からも離れていきました。

仕事は何もないところから作り上げるエンジニアリングでしたが、現実はどうでしょう、価値観が変換されたものが技術郡であって真実の意味での「無から有」ではありませんでした。ただこの頃から仕事上昼夜逆転が堪えて少し病んで休職したりもしていました。ハタから見ればそう「怠けてる」ようにしか見えないことでしょうね。未だにその点に関して世の中の理解はほぼありませんよね。

病んで病んで転々としたあと、健康オタクでもない私も流石に自分の経験から(他)人の痛みや苦しみからの開放を考え、その時代にやっていた格闘技のお師匠さんの影響で東洋医学を目指すことにしました。丁度その答えを出す頃、知り合った小林阿闍梨の元、離れていた信仰も伝統宗派に上書きしつつ、更にはっその紹介で得度する御縁までいただけます。また、道も改め東洋医学の道へ入学したその年、自宅が全焼しました。

【AC・トラウマからの開放を目指して】火災にあう

また新興宗教からは離れたものの阿含経を中心とした經典群は読み漁りました(この頃勉強していたものは一旦火災で消失)。

阿含経典による仏教の根本聖典

何度も何度も読みました。また足らずに

阿含経典1 阿含経典2 阿含経典3

沙門果経 瞑想経典編 いずれもサンガ文庫だったころのハードカバーでした

更にこの頃、「何か」を求め、東京ヴィパッサナ-瞑想道場に出会い通い始めた頃・・・といっても2回ほどしか行けなかったと思いますが、呼吸の仕方と呼吸の感覚の味わい方・観察方法まで習っていたのですが、諸般の事情で閉鎖されます。

そして火災までのこの間に、一つ体験をします。

厨二病的仏教に域を出ませんが、呼吸法の先がわからないまま沙門果経瞑想経典編なども総動員して、初転法輪のひとつに書かれる無我相経とその他のその当時紹介されていたものを、後に思うと暗記された般若心経を元に、深く観察しながら、五蘊に我の実体を探し見つからないことを確認し、更には六処にも我の実体のないことを確認し、六境にも我の実体のないことを確認し、六識においても同様であることを確認して、自分という実体が掴めないことに愕然としました。
最後の「意識」の終着点は真っ暗闇だけどどこか光の中にあってやっぱり真っ暗、そこに「私」という実体は確かに無かった訳です。同時に縁起によって存在する自己を眺めることになり、確かに仮に和合した五蘊が「我」という幻をおこしているということを後で学びすっきりすることになりました。・・・無我体験・・・いわゆる『無我』を了解できたのでしょうが、一週間ほど茫然自失してました。恐怖とも言えないなんとも言えない気持ちで、空病なのかなと思っていましたが・・・。が、残念ながら、幻という名の現実社会に生きる私はそれが逆に夢であったかのように引きずり戻されます。

後で「龍樹(中村元著)」に書かれた中論を読んで、その時の思いを何度か追体験することになります。またさらにはアダルトチルドレンと先脳あたりを勉強してみると、足元がスッケスケの自分を見つけて更に追体験することになります。「脚下照顧」とはよく言ったもので、洗脳の手口の中には、その足元を奪うものもあるのだとか。抑々私には足元が消失している人(アダルトチルドレン)なので足元には周りの意見であって私の意見がない、通常の人はそこに入りこまれるとまんまと洗脳されてしまうのですが、先の『無我体験』もあってなのか、「そこ(実家)にいると狂ってしまう」と家を出てきたわけで、それでも何故か過去の辛い体験がしがみついてしまっていてどうにもならない(今ココ)というのだけはわかります。このよくわからないモヤモヤを、だから『AC・トラウマからの開放を目指して』として書き出して詳らかにしようと思い立ったのでした。

さて、幻という名の現実社会はというと、火災のあと、色々ケチが付き始めて二進も三進もいかなくなりながら、東洋医学の道も卒業までこぎつけます。こぎつけましたが、ある国家試験だけ落とします。教えていただいていた歯科医の先生もよく言ってましたが、「卒業できても国試を落とすとその翌日から『ただのヒト』になるから頑張ってね」と。3つの資格の内1つだけ落としてました。そのうちの一つの資格は実は弘法大師とも縁の深い資格の一つで手元に残りました。

3つの資格の内1つだけ落として、すっごい凹みながら業界に入っていきました。まるで片破の人間にでもなったかのような思いで、周りからの蔑みの目を気にしつつ生きる道を選択しました。知り合った先生の一人には「国試って卒業年が一番合格率が高く翌年には25%まで落ち更に翌年にはその25%とどんどん減ってくから頑張れ」と。ずっとその後7年間、バカにされたような不条理というか理不尽さに苛まれながら、毎年試験会場に通いながら『生業』でサラリーマンを続けました。

さて、原文がどこなのか見つかりませんが、「良家の青年よ、あなたは、一切の存在は空であり、形のないものであり、願い求めるべきではないものと理解して、“智慧の完成”をこそ求めるべきである。形あるものへの囚われ捨てること、存在への執われをすてることにより、そして生きとし生けるものたちが実在するという見解を離れた所に心を置くべきである」という言葉を最近見つけ、「あぁ、“智慧の完成”をこそ求めるべき」なのかと、毎日のように「南無大師遍照金剛」と己の「どうにもならなさ」をお預けしつつ、一つ一つ潰して行ければなと思う今日此頃である