【AC・トラウマからの開放を目指して】《背景》:父の酒宴

「《背景》:」には実際の背景だけでなく愚痴も含まれるし関係状況の変化によって反応も変わる為、トラウマやACの記憶に並列して書くのは不適当であると感じ分けることとした。


幼少~小学校時代の全体像のみ限定したものの、この件、正直書けば書くほど、怒りが込み上げてきて次から次へ言葉がたされていって収拾がつかない。小学生~中学生~・・・と時間経過により状況の変化もあり多少の環境変化はあれど大枠が全く変わらなかったという点とほぼ確定したパターンはあれど、私が大きくなるにつれて贖ったりもしたが、全く効果はなく逃れられない叫喚だけがそこにあったことだ。警察も不介入で、いつ殺人に発展してもおかしくなかったし、体裁も考えたし、誰かに訴えるようなチャンスもなかったし、もしかしたら今なら「児童相談所」案件かもしれないが、結局死者が出るレベルにならないと動かないだろうし現実誰も助けてはくれないので一人涙飲み続けた。

父の出張や健康診断前の誤魔化し休肝日は数日あればいい方だったので「ほぼ365日」毎日だった。

小学校に行っていた頃、私には自分だけの部屋はなく、また、母との共同の部屋はリビングルームのすぐ隣であり、誰にも救われず唯一人怯えながら耐え続けるしかなく逃げ場はどこにもなかった。中学生の頃には母屋に増築によって父の部屋が新しく出来るわけだが、自ら「座敷牢」と名付けた割にリビングには割と近い配置から、酔ってわざわざリビングに出てきてくだをまく、当然一触即発状態だった。中学生でやっと自分の部屋・・・は座敷牢に移った元父の部屋でリビングの真上、下のリビングの雑音までよく響いた。まして会話もまる聞こえで口論は筒抜けだったわけだ。

また、実際、両親の仲の悪さに、右往左往していた幼少期があって暴走したりもしているし、仲のいい夫婦や家族像にとても憧れがあった。母親は懲りてもう嫌だと思っているふりをしつつ「夜の酒宴」の準備を毎日続ける矛盾する行動にもうんざりしていた。

リビングで夕食を摂るたびに必ず酒に呑まれて周りの家族の人に被害を及ぼす”だけ”の夜の父の姿は、物心つく以前からだったのだろうか、始まりを知らない。ただ、夕食時の家族の団らんはわかりやすい父の酒乱スイッチが入った途端、さーっと皆去っていき、逃げ場のない私一人取り残され、母は傍観者となる構図だった。アルコール依存症と共依存を起こした夫婦の典型だったと言え、また全員自分の自衛策に手一杯でおまけなんぞにかまっている暇はないわけだ。「何で私はいるの?いなきゃいけないの?」

さて、少なくとも「自死」という選択肢のない子供(そんな考え到底及ばなかった)は「私はいらない子なんだ」と無意識受け止めざる得ず、自分を確立できていない子どもがこれを聞いてどう思うか。必死で他者に「認められる」ために本能的な生存戦略を模索し、足元に自分なく他人軸の本能的「生存」体験が、取り返すことのできない日々が続ている。今でもそうであるが少なくとも私が自死を選ばなかったのは周りに迷惑をかけたくなかったからという理由に過ぎない。つまり他人軸という悲しい現実を改めて気付かされる。

父は他者による酒乱で恐ろしい目にあっても一切反省もせず同じことを繰り返し続けた。誰も止められないという「アルコール」という恐ろしさ、制御できなくなるまで飲むということを許す社会構造である限り、アルコール依存者は永遠に終わりのない輪廻を繰り返すのだろうと思う。

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