3月31日は、ひと月に2度の満月があるのをブルームーンというそうで、青い月が見られるのかと思えばそんなことはなく(笑)。
前回のブログ更新した日、後で知ったのですが、実はその日、叔母が他界し、先週一週間は太ったお腹のせいで礼服を買い換えねばならなくなりの、週末金曜は仕事を早退して通夜、翌日は告別式と、都内と行ったり来たり他の予定もこなしつつと過密スケジュールの週となってしまいました。重なってブルームーンとは色々考えさせられる日でもあったわけで、故人の冥福を祈って動き回りました。
話は変わって、日本では初七日でお不動さん、二七日でお釈迦様・・・となるわけですが、チベット死者の書の方が私にはしっくりきます。私には「”今”を見つめて知ってとっとと”解脱”しろ」と聞こえてくるかのような経典なのですが、実際、哀しみにうちひしがれる遺族に聞かせる為の「モノ」と考えられなくもなく、「生前にちゃんと修行しておきなさい」と聞いてとれなくもなかったりします。葬儀では日本式には参列者に難解な漢文の経典を聞かせるわけですが、ありがたいものなのですが、折角なら参列者に平素な言葉で枕経を読んでくれた方が、遺族達がその時を法門を開く機会にできて(?)よいのかもな?なんて思いもあったりします。勿論伝統も大事なので何ともかんともなのですが・・・私自身が、転生の道を歩むのか・解脱するのか、私にはそんなことがわかる能力があるわけでもなく知るよしもなく、今の積み重ねが未来を作るわけで、思わず着いて出た言葉が、少なくとも今はまだまだガチガチ(我痴ゞ)に現世に執着を残している自分がいることだけはわかった気がします。おかれた現状がカルマなんでしょうから、受け止めていこうと考えた週末でした。