キリスト教徒かでよく言う神秘的な偶然が降ってくる事を奇跡と言うけど、仏教の場合ってどうなのだろうと。
個人的には現状全てが奇跡で有り必然だと思う。偶然に会った因を現在に導いているわけで、その偶然の積み重ねのより合わせとして縁で、目の前にある事が望んだ事であると同時に、過ごし方次第でそれを更に因として縁となる。未来雑乱住。運の悪さも同時に発動して行く先々のお店は「休み!」信じられないほど!おいらのレジェンドにまた1ページを飾るほどすごい悪いくじ運でした(笑)それでも楽しく幸せで。
・・・全身で感じる思いは・・・不幸ではなく・・・なんというか、ただただ新鮮だった。こういう風に不幸すらも全身で感じて喜べたなら、多分、きっと、幸せなんだと思う。
戒清浄、波羅蜜清浄、六根清浄・・・文殊の智恵と観音の洞察力と普賢の菩提心、保ち続けられるようになれるようになりたいと思う日でした。
まずはどんなことでも笑えるようになる事かもしれないなぁ、私にはこれが一番足りないかもしれないです。