やる気なし

一部のかたには話しましたが、ニコチン断ちをしています。タバコをやめたと書かないのは、いわゆる電子タバコ(ベイプ、ニコチンのないやつですね)はやめていないのと、相変わらず「タバコは好き」のまんまだからで、また、それまで吸っていた紙巻きタバコは目の前に置いたままだったりしてます。あったことある方は知っていると思いますが、ZIPPOが好きでここ数年銀むくライターを愛用しています。今は持ち歩かないので引き出しに入ってますが、タバコの方は実は持ち歩いていたりします。周りで吸っている方がいても「うまそー(喜)」と思うだけで、吸うことはほぼないですし、それよりも仕事で疲れ切ってくるとほしくなることの方が多いかなぁと、あと、こういうの書いているときは癖で欲しくなりますね。ブログやめていい?(笑)。まぁ、鞄開けて取り出せばいつでも戻れますがね。

ただ現実として、気持ちを紛らわしたり、気付けにしたり、気分転換の方法がないので、「お・仕・事、や・る・気・な・し?」「ス キ ニ ス レ バ ー?」と切り替えができなくなりましたかねぇ。他にも色々あるのでそのうちあげていこうと思います、結構重要な気づきも含まれているので。

半年たってみますと、色々発見できて面白いですね。

まずお話しした方の反応を見ると「禁煙頑張ってください!」と。「肺によくない」とか「健康のために」とかよく聞くんですが、私的にはそのあたりはどうでもいいんです。

まぁ、「コロナ禍」というのは全く関係なかったと言えば嘘になりますが、引き金にもなっておらず、実は「無駄なことだよな~ぁ」と思って、ここ数年計画的に10mgから2年後に5mg、結婚してから1mgに挑戦し加熱式タバコと両刀でタバコ呑んでいました。みんなのサンガに入ることには実は1mgでして、静恵先生のお母様に禁煙を止めてしまうなど(笑)、よくありがちな状態です。嫌煙禁煙の方々とは違い、ニコチン&タバコ大好きのニコチン断ちですから、目の前で吸われていても副流煙で「いい香り~♩(喜)」以外なんとも、「今一緒に吸いたいな」というのは全くないんですね。何度も言いますが鞄にセットが入ってますのでいつでも吸えますから。

よくいう、「バッサリ目の前から捨てて覚悟を決めないとダメだ、禁煙なんてできるわけない」は私には通用しません(笑)。

期待裏切ってすみません、健康とかどうでもいいですし(私のハニーの喘息は心配だけど)私自身はしがみつく気にはなれず・・・痛いの苦しいのを何とかしたといと思っても健康がどうのってのはイマイチ、現世で働かされ続けるのなら「労働者の友」としてタバコを選んできたわけで、捨てられない方々の気持ちがとても分かります。

そもそも目的が違うんです。寝起きに一服するわけですが、その際の感情を観察してみると、「タバコを吸う」という行動が習慣なのであって癖なのだと気がついていました。経験談を探していたりはしていたんで、このタイプは「やめられそうだな?!これ」と確信してました。ただそれも引き金ではありません。本当の目的はアーナパーナ瞑想に関係していたこと、コレが最大の理由です。

それが実は「ニコチン依存のメカニズム」でチラリと出ている”ニコチンによって分泌される神経伝達物質”にヒントがあります。

  • ドパミン … び、食欲抑制
  • ノルエピネフリン … 興奮、食欲抑制
  • アセチルコリン … 興奮、認知力向上
  • バゾプレッシン … 記憶力改善
  • セロトニン … 気分の変化、食欲抑制
  • βエンドルフィン … 不安と緊張の緩和

アーナパーナ瞑想で第2組(禅定)の最初は「を吐き、を吸う」わけですが・・・”『私は喜を感受して出息しよう』と修練し、『私は喜を感受して入息しよう』と修練します。”の「喜(पीति pīti)の感受」とは自律神経や感情などで誘導しながらドパミンを出させるようにしむけるワケです。タバコで得られるドパミンと瞑想で得られるドパミンは体が作り出したもので、全く同じです。

同様に「楽(सुख sukha)の感受」はむしろ愛のスキンシップで得られる脳内伝達物質でオキシトシンではないかと私は思っています。多分「妙適」とかチベット密教の「ティクレ(滴)」なんかも関係していて、真面目な話し射精するとかなりの量のオキシトシンが分泌されるわけです。つまり後のヘロヘロパタリとなる際の感覚「楽(सुख sukha)」があるんで、寝てしまうことになるわけです。女性の方がコレはお体に関係しているホルモンでもありますから症状が強く出るのかもしれませんが、子供を産むときに子宮を収縮させるのはオキシトシンの働きのようです。私は男性なのその感覚分からないはずなのですが・・・下腹部でキュッとなるんですよね。両性具有じゃないはずなんですが、体の記憶でもあるのか定かではありません。

この二つのホルモンは「セロトニン」にとても関係しています。アーナパーナ瞑想でも実は「私は心を満足させて出息・入息しよう」、「心を喜ばせること(अभिप्पमोदयआ चित्तआ abhippamodayaā cittaā)」に関係しています。サーマディに入っていくときサマーヒトー(समाहितो samāhito(安定))と関係があるのはセロトニンで精神の安定にとても関係がある脳内伝達物質だと思えます。なぜならセロトニンは強い暴走の側面を持つドパミンを抑制する脳内物質で、オキシトシンはこのセロトニンの分泌を促進させます。そしてリラックス状態が生まれるとα波が出ますが、このセロトニンと関わりながら「眠り」にも関係しているわけで、瞑想に深い関係があることになりと思います。

さて、瞑想でドパミンがどぱどぱなのか、ニコチン依存から脱しているようで、それを証明しようと実験を行ったら大成功だったわけです。ただ失敗もしてます、半年たってもまだ「眠い!」よ(笑)。ニコチン断ち初期には脳内伝達物質と「喜・楽・満」が関係していることは確立していた理論ですが、細かなところが怪しくあくまでもZeR0の説ということでご了承ください。

でも悲しい現実も分かるはずです。あなたの感情すら「モノ」でしかないんだということです。高次なシステムだと思われても、物質で実現されていたとなると、あぁなんかもう、すべてにありがとうの感謝と、すべてが愛おしく、すべてが素晴らしいということが確信できると思います。

さて「無我」が完成したら末那識の「我見」「我痴」「我愛」「我慢」はどうなるのでしょうか、「煩悩即菩提」に変わるんでしょうか。まだまだ私には分かりませんが、少なくとも汚れの減った末那識で見方が変わります。それは、「煩悩即菩提」の意味もやれ禁欲だ戒律だの以前に「喜・楽・満」が「煩悩」「欲」に関係した鍵で「慾触愛慢」に切っても切れないからこそ、これらの”鍵”をもつ欲する心、「慾」が前提になっていることがよく分かります。慾金剛菩薩、触金剛菩薩、愛金剛菩薩、慢金剛菩薩が理趣経に説かれるわけですね。末那識の汚れを取るなんてのはまだまだずっと先のことですが。。。現代生理学が瞑想につながってしまうのは結構面白いです。今回はさわりだけにしておきますがすでに奥義です(苦笑)まだ修行の浅い私にはそもそも論な気がしますので。

ちなみに今後上記の内容やアーナパーナ瞑想に関しては、『呼吸によるマインドフルネス 瞑想初心者のためのアーナーパーナサティ実践マニュアル | ブッダダーサ比丘, サンティカロー比丘[英語版タイ語翻訳], ラリー・ローゼンバーグ, 浦崎雅代, 星飛雄馬』こちらが私のバイブルで「空」の思想を否定していない唯一の上座部仏教の実践編だと思います。今後書く内容も一般的なアーナパーナと違う点がチラチラありますのでご了承の程を。ちなみに上記の本は別訳:「観息正念」/三橋ヴィプラティッサ比丘訳がありまして、暇があったら読み比べしてみたいところですが、最近坐る時間までなくなってどうにもならない感じです。ぼちぼち続けていきます。