11月2日は父の命日でした。

今年は十五回忌となるようです。父は死の前日まで酒をあびる程呑み呑まれ、私と喧嘩もして彼の世に去りました。東大出身のエリートで大蔵省(現在の財務省)に入省して、仕事に関しては「馬鹿」がつくほど真面目で嘘をつけない人で結局はエリート街道から振り落とされた人でした。天下りが問題視され始める直前でしたから、引く手あまたでないにしてもそれなりに下って、しばらくすると、衆議院の職員として公務員としてとある室長を努め、最期は会計士としてお棺に入って家についたその日にも仕事先から手紙が入るなど『The仕事人生』の人だったわけです。欠点は内弁慶でお酒と暴力、家でお酒が入ると気が大きくなって暴れるという、「不飲酒戒」でいわれる放逸を絵に書いたような人だったんです。幼少期から毎日のように「酒に呑まれてクダを巻く」姿を刷り込まれて来ましたので深い傷となって、実は心中では酒癖の悪い人を見ると無意識に恐怖を感じます。そして私は一般人以上に「お酒」「禁酒」には理解を示す一方、厳しい人だと覚悟しておいていただければと思います。

当時、一旦仏教の思想をすべて否定し、何もないところから「無から有を作る」と信じてIT業界にいた私でしたが、この父の死は私をその仏法の世界に戻すには十分でした。弥陀来迎とはたくさんの絵になっている様に、父の枕経では紅黄金色の阿弥陀さんが迎えに来ていました。心の眼に写った姿ですから他の人に話しても致し方ないことですし、ずっと今まで黙っていました。前にも書きましたが、私自身は阿弥陀仏って大っ嫌いなんですよね。見えもしないのに、納得していないのに、信じろという方が土台無理な話で、仏教の歴史も掘り返していくと、北方に伝搬した仏教は一旦、途切れた仏教であることがわかります。それは禅宗を除いて、龍樹菩薩に祖師に求めて、その前がいない=釈迦にたどり着かず、残念ながら大乗仏教は正当な法嗣のない流れであることがわかってきます。これは一部の宗祖は知っていて血脈や祖師の龍樹から始めていることを見せて無言で伝えてきたことだといえます。龍樹菩薩伝を読みますとその無茶くちゃさが面白いのです。ーガールジュナが恐れていたものは権力ですが、よりによって兵士の隊長となり、逆に権力を利用して仏教を広めるわけです。他の仏教徒が読んだら非難轟々ですね。

知れば知るほど大乗仏教に残念に思いがしてしまいます。見方を変えると大衆信者を集めるのに書かれた初期の経典群であったことがわかります。そんな極論・極限の中で座っていて出した答えが、曼荼羅中西方に坐す阿弥陀如来(妙観察智)でした。四智の何れが欠けても四禅が完成しないことを感得させられました。これが、お馬鹿なふりをして「阿弥陀さんにおまかせします」の真相です。唯識素晴らしいとも思いましたし体感して完成をへの手がかりをいただけたころから、大嫌いだったはずなのに、「阿弥陀さん」に負けて頭を垂れてしまうような感じもありますが、とでも清々しく受け入れられたわけです、目指す完成に向けて。

古いお釈迦様の仏像や阿弥陀如来は壺を手にしてます。あれは甘露が満たされたもので「死の恐怖を取り除くもの」という方便です。葬式仏教もこれがないと成り立たなくなる可能性もあります。そして、現世で仏界に届かない供養の想いを変わって供養してくださるのも阿弥陀如来ということも言えます。なので持念仏はそのままで阿弥陀さんのお力をお借りする感じでしょうか、なので五智いずれも大事であり両界曼荼羅の大切さが改めてわかるようになります。

話は少し変わりますが、私が東洋医学系国家試験を受けた裏には、当時得度を済ませてまして、同業もやられている(医方明といい五明のひとつで灸は日本において弘法大師が開祖)という事実までありますので、そんな資格を持つ阿闍梨さんに、勉強して東洋医学業の国家試験を受けるべきか、いわゆるまちなかで横行している無国家資格(民間資格)「整体」を目指すか迷って相談したことがあります。「仏法を目指すものが、国家試験もとおらないで、そんな嘘つきみたいな泥棒みたいなことするな!」とお叱りを受けました。だからこそその資格を完全に修めたワケです。それは自分のためでなくて他人のために生業を提供するのに認められたものを修め提供すべきであることを自身の責任において腹に決めたからです。年齢は関係ありません。