空即是色

また余計なことかもしれませんが、時事ネタ的に、スリランカが実質デフォルト宣言しちゃいましたね。スリランカといえば多くの仏教者が日本に来て仏道を教えてくださっている関係の深い国ですね。国として見てみると社会主義国家でロシアと深い関係があったようで、元々の依存関係や経済状態に加えコロナ過が基盤に、ロシアのウクライナ侵攻がかなり影響したのかもしれませんね。ある意味仏教の歴史のある民族と国家なのですが、そういうのも所謂、アイデンティティ(ビリーフ(belief))も立派な我執の一つと見なせます。歴史(歴史問題)などと言葉をすり替えてみたり、そういう国という仮定の経済基盤の「崩壊」の宣言が現実の自分に与えるものもありえるかもしれません。お釈迦様でも一国の一族の崩壊は手が出せなかったと史実が語っているようにも思いますが、どうにもなりません。けれど形は崩れても生き延びた人もいたでしょうし、歴史と紡いでくれているはずで、それもこれもどうにかできました?どうにもなりません。いい意味だとOKで悪い意味だとNOとか極論でなく中道ですよね。諸悪莫作衆善奉行でしたよね。国とか民族とか結局はアイデンティティの含まれるやっかいな部分は、形而上学的な概念であって実体のない「空」です。憂えている場合ではなく、(今の私には心の中ででしかかないませんが)物質的にも壊滅的状態でしょうが、何も出来ないからこそ応援するのも大事かと思います。どちらも形はありませんがね。

お金も国家も、みんな架空の価値観とでもいえばいいでしょうか。架空の仮の存在が実は「私(我)」という「我執」にも影響が与えていることなんてたくさんあります。嫌って排除しようと忌まわしみ遠ざけても、寧ろ膨らんでしまったり質の悪いもので今でも苦しみますね。どうするって、今はなくせないなら使い方を知るしかないと思う今日この頃です。体験を思い出しながらの表現になりますが瓦解したように腹の下にヅーンと重い何かを感じてもあなた(私)は”今”生きてます。俗っぽい俗人の話ですが、実体のないものがその実体という、あの体験は私にとってのまさに空即是色でした。

とにもかくにも、暑い日が続きますのでご自愛ください。