二段階目「短い息を知る」その2

仮に「4 – 7 – 8 呼吸法」に20秒(4+7+8=19)かかったとします。5分坐ったら連続15回吸って吐いてしたら5分は過ぎてしまいます。一呼吸に1分まで延長出来るようになったとしますと5回吸って吐いてしたら5分経過してしまいます。既に1週間以上坐ってきているはずですが、それで納得かどうかは”あなたの決めること”なので、長いか短いか充分かという話をするために書いているわけではありません。が、少なくとも2分半の壁は充分ということは言えますし、自信に繋げていっていいはずです。

同じく5分ならば「ボックス呼吸法」で15秒(4+4+4+4=16)だったとしたら、連続20回吸って吐いてしたら5分です。上にあわせて連続15回だったなら、3分45秒ですが、実際には中断したりやり直したりしているでしょうし、小休止しても、10分は坐っていることでしょう。「長い息を知る」段階と併せて計10分は、一日のたった1/144ですが、倍の20分坐ると1/96、30分だと1/48日と、社会人には結構ダメージのでかい時間となってきます。実際これも続かなくなる要因です。傍目に馬鹿真面目だからと評価も結構ですが、本来「時間を切り売り」しているサラリーマンにとって「大きいダメージ」ですね。客観的に落とし所は自分で決めていくことになります。私は長くても線香一本分(所謂バラ詰約25分~30分)としています。このことも踏まえて上記の時間をうまく調整してくれればと思います。

さて、この段階までは呼吸のコントロールをしているわけですが、次の段階かこの段階でカーヤサンカーラ(kāya saṅkhāra)を見つけます。プッタダート比丘は「呼吸」も「身体」だと表現していて「呼吸である体と身体である体」と2つを表現されています。観息正念では「肉体と呼吸体」、マインドフルネス版では「『呼吸する身体』と『生身の身体』」と訳されています。私の表現に変えると呼吸と呼吸の間など「ギャップがあったらその隙を見つけておき」ます(知るのは次です)。

呼吸を調整しようと思って調整する場合、随意運動の運動野を使って行いますが情動でも呼吸はコントロールされます(情動呼吸は扁桃体だもいわれている)。また、更に身体に巡らしたセンサー(受容器)で捉えた情報(酸素分圧・二酸化炭素分圧・pH)などを元に脳幹の延髄に呼吸中枢で代謝性呼吸を行っています。ちなみにセンサーの一つ酸素分圧は心臓から出る大動脈にある大動脈小体で行っているとされています。呼吸中枢(延髄)にて吸気についてはある程度自動的にリズムが作られているとされます。更に上位の(呼吸調整中枢)ではこのリズムを、感情や意思など大脳皮質と視床下部の情報を受け呼吸リズム(呼吸中枢)を調整(呼吸調整中枢)してます。橋とか延髄は、中脳と併せて脳幹と言われる部分にあり脊髄に繋がっていきます。視覚からすると視覚野は後頭葉にあるので前方に向かって真ん中に脳幹があり、物理的には眼球から鼻筋を見るような位置関係に近いかもしれません。(次の予告的になりますが)私的には呼吸が自動に切り替わって(追いかけ)更に呼吸を見守る頃に視点の鼻先の下や鼻先の鼻筋がすっとした頃に盆の窪の奥が熱いような感覚になるのはこういうことなのかなと思ったりもしますが、実際そうかどうかは知りません。ただ、位置関係に納得したのは本当です。次の段階でその実体の肉体と呼吸する身体と見極めていかなければならないので先にクソいらない知識(本当にここ以降では出さない話です苦笑)と共に『呼吸する身体』を意識してもらえればと思います。