身体のすべて『呼吸する身体』と『生身の身体』を体験する、別訳に頼ると「呼吸が体を変化させることを知る」です。
とても珍妙ですが、前回までの布石は全て、これです。
残念ながらの場合もあるだろうし、バッチ来いな人もいるかもしれませんが、ここが未完成でもとりあえず先に進めます(ました)ので、あと一週間、そしてわかるまでずっと、長い息と短い息を復習し練習し続けてください。
私は実は残念なパターンでしたが、後々その意味がわかりました。逆に同じ失敗はして欲しくないので先に進めてもずっとここをわかるまで繰り返す課題として「肉体と呼吸体」という事への取り組みは残しておいてください。
残念なパターンじゃない方は、呼吸を調整しようとしている意識とは別の調整役がいることを見つけられているはずで、それ(調整役)をよく観察し、その呼吸によって心の状態が変化することを体験しつつ、追いかけ見守る行程に入っていきます。そうやって呼吸のコントロールコントロール(調整)を手放していきます。「呼吸をコントロールしない」の意味はそこにある事がわかると思います。『追いかける」のは例えれば「丹田呼吸」で、仮設の「気」です。
普通には吸った空気は肺に入ってガス交換が行われ肺から出ていきます。
が、架空の「管」で鼻の穴から架空の臓器の丹田(臍下三寸)までつないで、吸った「気」は丹田まで流れていき溜まっていく様、また逆に丹田から出ていく様を追っていきます。追っていきますが、リアルタイムにはずれが生じたならば、それを追いかけていきます。続けて、今度は呼吸を預けて一点で見守っていきますが、今回はそこまではしません。
「行」は形成力と形成と形成プロセスで出来上がっていて、呼吸という「調整システム」を使って「行」として観察していきます。調整装置(身体)・調整・調整プロセスとみていくのだと教えています。これが出来なくても喜悦には入れますので、ちんぷんかんぷんであれば、とりあえずはここでは追い掛けていくだけでよいです。出来なければ練習すればいいだけなので深遠に辿り着けなくても辿り着けても練習だけです。最初の通り本番なんてありませんでしたし。カーヤサンカーラ(kāya saṅkhāra)=「身行」ということになります。