【AC・トラウマからの開放を目指して】G案件:恐怖支配

担任G教員の恐怖支配は卒業まで続いて釈然としない傷だけを残した。

「お前ら、絶対許さない」
「私はかつての卒業生からは感謝されており、私は正しい」
担任G教員の言い分。
何かクラス内の過ちは、連帯責任と称して都度全員の前、下手すると全校生徒の前で吊し上げられ、時には「びんただ」と暴力で粛清され、服従を強要され続けられた。
親に言っても、すでに手を回していて囲い込みが終わっているため、孤立した教室の出来上がりとなった


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【AC・トラウマからの開放を目指して】《背景》:G案件:エビフライ事件

「《背景》:」には実際の背景だけでなく愚痴も含まれるし関係状況の変化によって反応も変わる為、トラウマやACの記憶に並列して書くのは不適当であると感じ分けることとした。

【AC・トラウマからの開放を目指して】「連帯責任」について

洗脳の手法から以下のことがわかる

  • さも正しいことをしているように装う:①安心…理解者・支援者だと安心させる
  • 「ボイコットするならやってみろ」:②驚き…占いなど予想を的中させたり、心の底を言い当てたりするトリックを使う
  • 「他の卒業生からはみんな感謝されている」:③嫉妬…他のメンバーを登場させ互いに競わせる
  • 他にも「親には私から今回の件説明しておく(ので、君らからの声は無駄だ)」:④囲い込み…家族や社会から分断、帰り場所をなくす

すべてがこの問題はこの最初の事件に帰結していって、更には、これを1年以上かけて攻め続ける必要があることなのか。甚だ疑問しかない。


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【AC・トラウマからの開放を目指して】G案件:エビフライ事件

G案件は小学校5・6年生の担任・女教員Gによる2年間続く一連の「恐怖支配」教室の話となる。

小学校5年生の担任・女教員Gになって数ヶ月が経過したあたりのことだったと思う。G教員は他校から赴任してきた新しい教員で、それまでシャキシャキはしていたものの温和を装って一見すると優しい先生風であった。
クラスメイトが給食のエビフライを残してしまい、口もつけずに残飯処理に出したことに始まる(確定ではないがHくんとする)。
G教員はそれを見るやいなや「誰だ?」とし、小言から始まり、「名乗り出れないなら」、今度は、「目をつむって挙手をしろ」という。散々プレッシャーをかけて震え上がってしまったのか誰も手が挙がらなかったという(私は真面目に目をつむって待っていたので実際どうだか知らない)。
G教員はこうはじめた。「誰も名乗り出ないのであれば、お前ら全員、連帯責任だ」「絶対に許さない」「卒業まで続ける」と。
この後、卒業までの1年半の間、この件をネチネチ追求するとともに、「連帯責任」と称して、何かにつけて大げさに騒ぎ続けられることとなった。
G教員は何かにつけて、自分を正当化し続けた。「他の卒業生からはみんな感謝されている」「ボイコットするならやってみろ」「お前ら全員ゆるさないからな」。ことのつまり他の学校でも同様の「連帯責任論」で児童を小突き回してきたということだそうだ。

【AC・トラウマからの開放を目指して】「連帯責任」について

 


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【AC・トラウマからの開放を目指して】《背景》:Fさんに手を上げる(小学校4年)

「《背景》:」には実際の背景だけでなく愚痴も含まれるし関係状況の変化によって反応も変わる為、トラウマやACの記憶に並列して書くのは不適当であると感じ分けることとした。

私は早生まれで、小学生の当時、記憶のある始まりからずっと学年一番身体が小さく身長も低く、「前ならえ」肘を上げ腰に抱えた記憶しかない。
いじめられた記憶こそないのだが、多分、学校の教員には問題児視はされていたのだろうかあまり雰囲気的にうけ良い児童でなかったと認識していて、すでに自信を失ってしまっていたことだけは覚えている。
それだからなのかこの事案については何ら追求を受けた記憶も残っていないし、何ら確認する手段はない。
実際に面白がって追いかけたら予想外の展開になったのかもしれないし、小学校を卒業するまで教員からを除き同学年の子からいじめられたりした記憶はない。ただ、今なら別の手段を取って行動していただろう事柄でトラウマとなって残っている記憶の一つだ。


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【AC・トラウマからの開放を目指して】Fさんに手を上げる(小学校4年)

小学校3年だったか小学校4年はずなのだが、担任の先生すら思い出せないある日の出来事である。

当時クラスメイトだった、ほりの深い目立つ顔立ちの女の子Fさん、話した記憶もほとんどない。
ある日の下校時、誰だかよくわからないが背中にピッタリくっついてくるような後を追ってくる人がいた。私は恐怖に陥りパニックになりながら後ろに振り向きざまに「後ろ追っかけてくるな!」と殴ってしまう。
後ろのついてきた人が、Fさんだと知っていたのか知らなかったのか今思い出してもよく覚えていないが、一瞬振り向き確認して、更に次の一瞬で手を上げたのかもしれない。
殴った後、ダーッと相手が逃げていったのはよく覚えているが、同時に私も急いでその場を離れた。ただ追いかけられているようで怖かった記憶である・・・ただ事後の記憶が全くいない(少し「怒られた」ような気もするのだが・・・記憶にない)。


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【AC・トラウマからの開放を目指して】《背景》:記憶の三(小学校低学年)

「《背景》:」には実際の背景だけでなく愚痴も含まれるし関係状況の変化によって反応も変わる為、トラウマやACの記憶に並列して書くのは不適当であると感じ分けることとした。

小学校二年生のことだという根拠は、好きだったE先生から呼び出されたことが記憶に残っていて、注意を受けた記憶もあるのだが、事実確認された程度であったのかもしれないし、しこたま怒られたのかもしれないしその辺りはいまいち覚えていない。ただ悪気はなかったことと、子どもがしたこととはいえ、おそらく生まれて初めて、人に怪我をさせてしまった記憶であり、本来ならば反省と遺恨に基づく記憶であってもおかしくないのだが、今考えてみると特に暴力に対しての反省が欠如していたんでは?と思い起こされることだったりする。当初はそれがなぜなのかよくわからなかった。

後にDさんと何度か話したような記憶もあるのだが、被害者と加害者当然の結果というか、意識的には互いに避け合っていたような形となった。

兎にも角にも、Dさんには改めて謝罪を残しておきたいと思う。ごめんなさい。「子どものしたこと」「過ぎたこと」とはいえその時の怪我が後のBさんにどんな影響を与えたかわからないことと、あり得ない恐怖にさらしてしまったことは、「過ぎたこと」では済まされないことだと思っている。


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【AC・トラウマからの開放を目指して】記憶の三(小学校低学年)

当初記憶されていた小学校低学年時の3番目である

小学校二年生のことだったと思う。
お気に入りのバットとグローブをカバンに入れて担いで遊びに行く道の途中で、前に知らない同学年ぐらいの女の子が二人歩いていた。仮にDさんとする。知り合いたい(仲良くなりたい?)という気持ちもあったのか脅かしてやろうと思った。驚かせる方法を模索していてふと思いついたのが、肩に担いでいるバッグを肘で押してカバンに入ったバットを操作してぶつけてみようと思いついたのだ。
今ならどう考えても恐ろしいことを考えついたもので、「バッグの握り紐の輪が肩を支点にバッグが動いてまわって出ているバットが相手に当たる」と推測してどうしてもやってみたい想いと脅かそうという思いと合わさって実際にやってしまったのだった。

《認知》「驚かせよう・振り向かせよう」「こうしたらこんな風になるかな」
《気分・感情》落ち着かない、やってみたい
《身体反応》ワクワク、ドキドキ
《行動》肘で押してみた、支点は肩口・力点バットの柄、止まった時間・音

相手に大怪我を追わせてしまい、立ちすくんで座り込んでしまったその子を横目に、声もかけず、その場を立ち去ってしまった。
悲鳴や音も感触も何も全く覚えていないが、バットの先が相手にあたったことだけは分かったし、その時のことは「あ、なんか想像したことと違うことになっちゃった!」ぐらいの記憶しか残っていない、逃げたというよりどうしていいのかわからなかったというのが正解なのかもしれない。
学校の校庭まで行きつき、誰も友達もおらず何もすることなく、そのまま家に帰った記憶はあるが、私だとわかるまで時間はそうかからずすぐに特定されていた。家に帰った私を母親は待ち構えていて、ひどく怒られ、連れ回され、そのDさんのお宅に連れて行かれ頭下げさせられた記憶がある。

《認知》「座り込んじゃった、どうしたらいいかわからないや、ほっとくしかない」
《気分・感情》一瞬の凍りつき(フリーズ)、勢い想像通り、不安、心配、緊張
《身体反応》ドッキリ、ハラハラ、アレ?どうして?
《行動》やり過ぎをやり過ごす、大失敗であることに気がつく

今考えてもバカバカしい発想なのだが、距離感や方向やタイミングに至るまでバッチリ過ぎて当たりどころ悪く頭にあたってしまったことで、怪我をさせてしまったというわけである。大した怪我ではなく大事にはいたっていないと聞いた記憶があるが、それよりも、後に謝りに連れて行かれて出てきた包帯グルグル巻きだったDさんを見た事で「事の重大さ」に気付かされたという、何ともお粗末なこととなった。
ただただ心の傷として残った思い出すのも恥ずかしい出来事で、その時は嘘をつかず正直に話して懸命に眼の前の出来ることで精一杯だった。

《認知》「悪気はなかった、想像できなかった」「ごめんね」
《気分・感情》嘘を言わない、頭の中真っ白、凍りつき(フリーズ)、ごめんなさい。
《身体反応》意気消沈、謝罪
《行動》怒られ怖くなった、逃げたいけど逃げられない


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【AC・トラウマからの開放を目指して】《背景》:記憶の二(小学校低学年)

「《背景》:」には実際の背景だけでなく愚痴も含まれるし関係状況の変化によって反応も変わる為、トラウマやACの記憶に並列して書くのは不適当であると感じ分けることとした。

人によってはこれがしっかりとした成功体験になって残っているようなこともあるかもしれないが 、あれだけ緊張したのに終えた後の開放感も記憶なく、「とっても物足りなさが強く残ったと印象でやりきった感の全くない」ことからこの事柄が私には「できて当たり前」として残っているのかもしれない。またこの日も毎日いつものごとく父のための酒宴に家庭騒乱となり、家族や誰かに話を聞いてもらえる環境になく、誰にも褒めてもらえなかったのだろうと思う。


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【AC・トラウマからの開放を目指して】記憶の二(小学校低学年)

当初残っていた小学校低学年の記憶の2番目である

小学校で覚える掛け算の九九を必死で覚えた記憶である。小学校2年生であったはずであり、当時、今のリビングテーブルに座って、紙を広げて繰り返し唱えて覚える勉強法で、数日?かなり短期間だったように思うが「・・・・さんにがろく、さざんがきゅー、さんしじゅうに・・・しちしちしじゅうく、しちわごじゅうろく、しちくろくじゅうさん・・・」、苦手だったのか3の段と7の段を繰り返しやっていた時の記憶が残っていたりする。時には姉だったかが手伝ってくれた記憶が残っているが定かではない(ここが重要なのかはわからないので)。
学校では授業中で特定の段だったか全段だったか指されてあたった人が発表する形式でだったと思う。指名されたとき、ドキドキしながら鳥肌が立ちふわふわ身もそぞろでひたすら間違えないように頭の中真っ白になりながら、4の段だったか発表したような記憶がある。無事終えたものの、ここで記憶は途切れている。
そして無事発表を終えたものの、結局とっても物足りなさが強く残ったと印象でやりきった感の全くない中途半端な記憶である。
《認知》「私の番だ」「うまくできるかな」「まわりの視線が怖い・注目されている(事がわかる)」「まちがえないようにしないと」
《気分・感情》不安、心配、緊張、勇気、頭の中真っ白。
《身体反応》ドキドキ、ゾクゾク、ゾワゾワ、ワー!(勇気と恐怖)、心拍上昇。
《行動》人がいっぱいいる。恥ずかしさで真っ赤になり、恥ずかしさを回避するかのように無心に集中して、極度な緊張状態で声を震わせながら振り絞った。


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【AC・トラウマからの開放を目指して】《背景》:記憶の一(小学校低学年)

「《背景》:」には実際の背景だけでなく愚痴も含まれるし関係状況の変化によって反応も変わる為、トラウマやACの記憶に並列して書くのは不適当であると感じ分けることとした。


当時お隣に幼馴染の同い年の女の子Bさんとその妹Cさんが住んでおり、そもそもごっこ遊びだのをしていた私は人形遊びに関してはそれ程抵抗感がなかったこと、それと前後して友人Aと遊びにいったとき、持っていたのはスヌーピーのぬいぐるみで、同じのを買ってもらって、すすんで彼と一緒に遊んだ記憶も薄っすらとある。その後は世代的に「超合金」ロボットの出てきた時だったのでそれも持ち込んでいたようなことも思い出される。
2023年時点でトラウマになった事柄を思い出そうとし始めたら、この小学校低学年の頃の記憶が、他の2つ(二、三)であわせて3つしかなく、すっぽりと他の記憶がない状況に陥っていた。またこの記憶は他の2つ(二、三)とは違って英雄的行動(?)なので、トラウマではなく善い行いとして記憶しているのだと思ったのだが、何度も何度もマインドフルネス状態の中で繰り返しこの記憶を再現しているうちに、どうもこの後に思い出す何もできずただ立ち尽くした失敗体験のやり直しにリンクしているようであることに気づくまで時間がかかることになる。

この記憶は以下に跨る複雑な構図があるようだった。僅かな抵抗だったのかもしれない。

【AC・トラウマからの開放を目指して】酒宴の暴力の始まり

さて、面白いことにあの時を思い出すと凍りついてフリーズしかかっていたのを思い出す。「どうにも抜け出す方法がなかった」わけじゃなく、そもそもそこにいる小さな社会は対等な関係で結ばれていて、上下のない平等な関係だったということだ。ガキ大将的存在もおらず・・・そういえばその後のことを思い出してみるとガキ大将がいても恐れながらも対等に仲良く相手を尊重して付き合おうとしていたなぁ。問題は養育者だったり上司だったり「主従」関係だったりがないこと、つまりあがなえることで完全な「凍りつき(フリーズ)」が起きなかったのかもしれないし、「凍りつき(フリーズ)」を起こしてしまっても「対等な関係・平等」は抜け出せる手がかりであるのかもしれない。

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