【AC・トラウマからの開放を目指して】12のステップ

私の場合はあくまで、酒害家族であった点を考えて、自助グループとしてAl-Anonだったわけだが、他にもACAACoAなどもある。Al-Anon自体はアラティーン(Alateen)なども含まれ、AA(アルコホリクス・アノニマス)とは別団体である。

12ステップについては、勉強になるサイトを紹介しておく。

「12のステップ」に多少の違いがあって、

  • 「無力」な対象が「アルコール」なのか「アディクションの影響」なのか
  • 旧訳なのか新訳なのか

という違いである。以下はAl-Anonグループでの「12のステップ」となる。

1. 私達はアルコールに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた。
2. 私達は自分より偉大な力が、私達を正気に戻してくれると信じるようになった。
3. 私達の意志と生命の方向を変え、自分で理解している神、ハイヤーパワーの配慮の下に置く決心をした。
4. 探し求め、恐れることなく、生きてきたことの棚卸表を作った。
5. 神に対し、自分自身に対し、いま一人の人間に対し、自分の誤りの正確な本質を認めた。
6. これらの性格上の欠点をすべて取り除くことを、神にゆだねる心の準備が完全にできた。
7. 自分の短所を変えて下さい、と謙虚に神に求めた。
8. 私達が傷つけたすべての人の表を作り、そのすべての人達に埋め合わせをする気持ちになった。
9. その人達、または他の人々を傷つけない限り、機会あるたびに直接埋め合わせをした。
10. 自分の生き方の棚卸を実行し続け、誤った時はただちに認めた。
11. 自分で理解している神との意識的触れ合いを深めるために、神の意志を知り、それだけを行っていく力を祈りと黙想によって求めた。
12. これらのステップを経た結果、霊的に目覚め、この話を他の人達に伝え、また自分のあらゆることに、この原理を実践するように努力した。

旧訳であることがわかるのだが、翻訳改訂に伴うアラノンとの関係の変化があり、出版物との絡みもあると思われるが袂を分かつ結果となったようだ。一見すると迷惑な話だが、実際参加できる団体など近隣にあるかないかスケジュール都合にあうかあわないかで、参加者側の選択肢も必ずしも容易ではなく、まさに「こ゚縁」でしかない状況かもしれない。

またACAなどアディクション(addiction)は中毒・依存症・耽溺として、「アルコール」と置き換えていて、更には日本では新訳を採用している。私自身の今の状態を考えるとACoAが最も適しているのでは?とも思う状況である。

一見すると「神」だの「ハイヤーパワー」だのと、日本が基盤ではなくアメリカらしいサブカルチャー色が強いが、「あなたの信じる神や高次元の存在という意味でよいよ」というのが共通認識として聞く。特定の宗教を意味することではないしている。私的には仏教徒なら仏陀や〇〇大師、〇〇仏や菩薩、明王でも権現でも良いと思う。

実際に通っていた数ヶ月の間には変に思うような(?)誘いなどはないし、発祥がアメリカで団体によっては伝統的にボランティア精神のあるキリスト教会を借りる(貸してもらえる)ことが多いのかもしれない。特定の宗教団体とのつながりはなく、むしろその団体こそが自立性を持ち「源」だと思えるフシもあるが結論として宗教ではないし宗教団体でもない。(『また、その他宗教を排斥するものでもない』と書きたいところだがそれをいいことに新興宗教など持ち込む輩もいるかも知れないので、そこは書くのを止める。)

実際、自助グループ参加時にはこの12ステップを一つ一つ勉強しながら、これを軸に「言いっ放し」ミーティングを行っていく日がある。やってみると自分がどの段階にあるかよく分かる。私的正義に置き換えて思索してみると、実際「悪の根源」が「アルコール」であって「毒親」そのものではないということが言える。しかし残念ながら、結局、心の弱い大人が「アルコール」依存して溺れてしまい、自我を保てず、「家族」という周りの「人」に悪影響し依存が生まれ、連鎖していく事(下手したら「社会」にも連鎖)、その元凶には「アルコール」でそれへの溺れる心の弱い人の「依存」が結局は壊していくという構図だ。

神さま 私にお与え下さい
自分に変えられないものを
受け入れる落ち着きを
変えられるものは
変えていく勇気を
そして二つのものを
見わける賢さを

この祈りに従うなら、私の場合思うのは、元凶は「アルコール」で問題の「泥酔」を「繰り返し」その「依存症」ということになる。また日本の社会文化のレベルと医療的解釈との解離は大きいかもしれない。私が社会に出始めた頃は段々と「無理して飲まなくてもいい」風潮が少しずつ育って変わってきたとはいえ、あいも変わらず、現在でも「泥酔」して「記憶が飛ぶ」(「ブラックアウト」という)事と「依存」という事をイコールで結べない人が大半で、未だに道に転がっている酒臭い輩も多い。少なくとも私の過去において家では、「父が泥酔でブラックアウトしていない日はなかった」ほどだった。未だに「記憶に残っていない」のは絶対「嘘だ」と思っている私もいることをここに書いておく。

分かれ目は、摂取の習慣化で「コントロール」を失っていき「泥酔」と「ブラックアウト」の異常さを自ら認められない、つまりは「心の弱さ」(依存症)で、タバコの依存よりハードルは低いと思われる。更には離脱症状でその明暗は言わずもがなというところだと思う。私は飲まないので知るところではない、しかしタバコも好きなママで禁煙に成功していて(刺激の強いメンソールの軽いタバコに変えて電子タバコにして最後は、ほぼマインドフルネスがきっかけで禁煙)、そうとはいえ普通にイライラして何かしらを求めることもないわけではない。アルコールだと「ノンアルコールビール」ようにそれっぽいもの(「NICOLESS ニコレス」とか)で行為を思い出すとそれで一時満足できることから、行為も依存の範疇で、口寂しいから食の機会が増えてしまったりもする。禁煙から5年以上経つがそれとは別にここ数年加齢から体壊し始めて(加えてベンゾジアゼピン系の薬剤の長期服用と副作用もあってか)メタボリックシンドロームにカテゴライズされていた。医療の進歩とともに病気も増える(分類が精細になって種別が別れて数が増えているという意味)し、いずれにしてもコントロールも多様性の時代だと思う。そんな今は加齢という気付きから、摂食のコントロールと運動で戻しつつあるが保っていられること自体いつどうなるかはわからないと思う。

ちなみに、アルコールを敵視しているように取られるだろうが、私の妻は酒飲める人(周りからすると結構「大酒飲み」らしい)だが「呑まれない人」だったりする。「泥酔」「ブラックアウト」がなく、この辺りは自らコントロールしているとのことだ。そして「泥酔」「ブラックアウト」否定派であり、コントロールできない人への目は冷たい。そんなコントロールができる人でも悪酒をしたら「嫌味」を言うと(私が酒害家庭で育った事情も知っているので)文句を言いながらも気をつけているようだ。悪酒も泥酔の一歩手前なのかもしれないが、そもそも酒が好きというわけではないらしい。そんな妻を尊敬している。今後も頑張って(?)自省自制して欲しいところである。

いずれにしても、やはり、自助団体もAAから始まっているように「アルコール」と「依存症」から始まっているという結論になる。だから『1. 私達はアルコールに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなくなったことを認めた。』なのだろうし、間接的に「被害者」ともいえる。つまりAl-Anonである。まして子供の頃で周りの人間から「不信感」を育てられ「自己信頼」を失わせ、「自立性」を失わせ「自尊心」を傷つけられて、自我が著しく損なわれ基本的信頼感の欠けたママ育ち、当然人格レベルで壊れているのも当然かもしれない。つまりは社会的自立しているのに実際は何かに頼らざる得ない状況にまで陥ってしまうわけで、諦めかもしれないが『2. 私達は自分より偉大な力が、私達を正気に戻してくれると信じるようになった。』と信じるられるのであれば、どんなに幸福だろうか。そしてどっかで信じているから行動してみるのだけど現実は足元もないわけで怯えて生きている状況だったりする。行動の方向が違うのかもしれないし、そういう意味でのコミュニティの存在は大きいと思われる。そういう意味では、
仏教が信仰として、アダルトチルドレン自体やトラウマ自体・うつ自体を救えない
だったのだ。「自己信頼」を失った私的には信じることは難しいが、信じてみることも自分で動き出す車輪にはなるということで、客観的に見る機会を持つのは意味のあることだと思っている。そういう意味でも同じ目線を持つ自助グループというコミュニティの存在は大きい。そして、自分を客観視したときの「私」は少なくとも「自分」より多少「大きい」存在かもしれず、偉大ではないが確実にそんな自分もまた『「不信感」を育てられ「自己信頼」を失わせ、「自立性」を失わせ「自尊心」を傷つけられて、自我が著しく損なわれ基本的信頼感の欠けた』存在の判定ということだけは確かだ。つまりは向上心や治りたい思いがある限りは「もっと自分を信頼していいんじゃないの?」ということだとも言える。
そういう意味では逆に自己の放棄かもしれないが『3. 私達の意志と生命の方向を変え、自分で理解している神、ハイヤーパワーの配慮の下に置く決心をした。』というのは、更に深層で投げ出してしまうというのは、一見すると社会的に見て褒められた話ではないが、そこまで放棄しないと日常の悩みで覆い潰されて回復どころではないと、「腑に落ちた」のだった。やはり「現実的には・・・」というところが多く、例えば逆進性の高い社会保険料だ税金だなんだと頭を抱えることが増えていたし、まして診断書代すら払えなかったし(一時)、そこから逃れられないがために更に気持ちも重くのしかかっていく現実は拭えない。「他力本願」だが「ある分でやっていく」立て直しや時期と時間と余裕が必要であるのは間違えなかった。残念ながらここは自助グループでは任意であっても寄付を払わないとならなかった雰囲気は少し負担に思っていたことをここで表明しておき、「寄付は任意」は詭弁であったなぁと思う。それぐらい追い込まれていく話だったりするし、この罠は今後どんどん厳しい現状が待っているワケで、「勝手に生んでおいてホントに無責任だよな」と言い放って放したいほどなワケだ。
ちなみに仏教的には「望んで人間に生まれてきた」とされたりすることもあるし、こんな苦しい思いをするなら「もう二度と生など御免である」とも言える。だからこそ子供にそんな思いを継がせたくはないから子供は作っていない。絶望な世の中に作りたくないのだ。
また残念ながら前世の記憶も過去世の記憶もないので肯定的に捉えることはできない。が、無数の犠牲の上に今生きていることだけは確信できる話だ。

こんな状況で「恥」であることがわかっていて自分の持てるコミュニケーションツールを使って棚卸しをしながら開示したというわけである。話も大きくそれたりもしているように思えるが、12ステップに従うとこれからもまだまだ問題を抱えていくこと乗り越えていくしかないのだと思っている。

【AC・トラウマからの開放を目指して】マインドフルネスと仏教

正常な幼少期を過ごせず歪な自我形成してしまった人たちが、取り組む方法が仏教にはほぼなく、絶望的である。仏教的にアダルトチルドレンに近いのは・・・と探してみるに「阿闍世コンプレックス」からの解脱があり得るかどうかだが、『阿闍世の怨みが父王ではなく母へと意図的な「改竄」がなされた』ことで『涅槃経』と『仏説観無量寿経』の差違から混同されがちな「未生怨」は大乗だけの解消策である(その上未解決)とも言えてしまい、非常に根拠性の薄さに気が付く。
大乗は密教に「怨」という視点で言えば全く無いわけではないのだが、中院流日用作法集(大山公淳著 東方出版)に「内護摩作法」として紹介されていて『自らの本誓に違する者は諸の不祥の怨なり』として金剛光菩薩に加持感応し印を転ずるなど(仮に目で追うならば)古典的EMDRなのか?と思わせる修法があるようだが、真言僧でもない個人に伝授口伝されることは絶対にない特殊な方法しか残っていない(自行用の為のもであって祈願目的の修法ではないとしている)。
光の象徴として、それでも「阿弥陀如来」が歴史的には信仰を集めてきたわけだが、結局「他力本願」的で私には自力性を否定する形が自立性を失わせてダルマさんになるだけで心を潰えさせてしまった。また根本仏教的には説明する人もいないだろう。残るは「慈悲の瞑想」のみである。それまで抑えてきたことを考えれば最も効果があると思うが、実は根本解決にはなっていない(少し事足らないという方があってるだろうか)。
もっといえば酒害家族以外にも戦災孤児など特殊な例などもあるだろうに現在では自律訓練法や白隠禅など逃げ道もあると思われるが「うつは瞑想するな」で片付けられる。
更には「飲酒戒」への”甘さ”は、泥酔の正当化を助長し、言い訳としても見苦しい。今の喫煙者と同じで、せめて「飲んだら合うな・話すな、閉ざして一切表に出るな」と言いたいところ、タバコの「副流煙」論と同じで、泥酔によりハラスメントに始まり殺人事件にも暴力事件にもならないはずだろうにだ。

よって、仏教が信仰として、アダルトチルドレン自体やトラウマ自体・うつ自体を救えない

マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK1 著:伊藤絵美(医学書院)

上記の著書(P.22 『序章 認知行動療法の基礎知識』>『認知行動療法ー基本モデルを理解しよう』)を参考に、《環境・ストレッサー、認知、気分・感情、身体反応、行動》は様々な解釈ができるが私的には五蘊に言う:

  1. 《環境・ストレッサー》→「触」もしくは「色」蘊
  2. 《認知》→「識」蘊
  3. 《気分・感情》→「想」蘊
  4. 《身体反応》→「受」蘊
  5. 《行動》→「行」蘊

などとしてみることが出来る。こういうのは十二因縁にいう、行・識は逆環により「無明を滅すれば、行を滅する。行滅すれば、識を滅する。・・・」と言っていて、「触」で不十分だった心を充足させれば焼き直しが出来るともとれる。

「五蘊は非我である」ことがわかろうとそれが悪見・我見だろうと、記憶が吹き出してしまったものをどうするか、手も足も出ない達磨さんとはよく言ったものだと思う。ただ、教えはちゃんと指し示していることになるが、仏教には無明を滅す方法がねぇ、やっぱりないね。

 

【AC・トラウマからの開放を目指して】トラウマの洗出について

所謂、ストレスコーピングするにしても、カウンセリングという形が受けられないことが解っていた段階で、客観的に記憶の記録を残すことと記憶の改竄を避けようと客観的に書き残すことを意図した、台紙を作っている。

記憶を何度も思い出していくうちに追憶で記憶の追加をつなげていく場合や一つの大まかな記憶から分岐していく場合はおいておいて、一つの大まかな記憶から分割して分けて書く場合は破いて捨てるなりで、置き換えていくほうが良いと思う(時系列や一点化することで《認知、気分・感情、身体反応、行動》などが変わる)。

使い方については、あくまでも下記の著書(P.22 『序章 認知行動療法の基礎知識』>『認知行動療法ー基本モデルを理解しよう』)を参考に、《環境、認知、気分・感情、身体反応、行動》を記述していった。

マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK1 著:伊藤絵美(医学書院)

これをひたすら繰り返し残したものに注釈・背景・トラウマではない別の記憶とのつながりなどを加えてブログに記載している。《認知、気分・感情、身体反応、行動》が欠けているのは上記のように追憶からの追加で後から記載したものだったり、根が深く固く閉ざされた感情があったりして明らかではないものについては、あまり追求しないようにしたため、コーピングのその時々でそのまま味わうこととしている。

【AC・トラウマからの開放を目指して】NRSによる気分評価

“メンタルヤバめ”をやめられる本 著:池田由芽 (大和出版)

つまりは『ネガティブ感情の根本にある「幼少期の満たされない願い」』の充足が足らないということだったりするようだった。

今の時点では書き殴っていく工程(5月末時点)なので、もう一回、見直して補完することで整理していこうと思う。そしてもう一回コーピングのし直しも必要と思われる。

「書き殴っていく工程」といっても結局、思い出して文字化は怒りに変わっていってしまうし、辛い追想と体験だった。

【AC・トラウマからの開放を目指して】メモ書き

メモ書きとインデックス用の項である。
よって必要に応じて更新するので日付は関係ない。

「【AC・トラウマからの開放を目指して】」については思い出し順もあるため、日付を被らないようにわざとずらしている。

インデックスページはこちらから

【AC・トラウマからの開放を目指して】インデックス

 

●参考文献について

【AC・トラウマからの開放を目指して】参考文献など

●トラウマの洗出について

【AC・トラウマからの開放を目指して】トラウマの洗出について

●マインドフルネスや宗教など

【AC・トラウマからの開放を目指して】マインドフルネスと仏教

【AC・トラウマからの開放を目指して】厨二病的仏教

●自助グループ(12のステップ)

【AC・トラウマからの開放を目指して】12のステップ

おまけ

【AC・トラウマからの開放を目指して】祝福されない

●「連帯責任」について

【AC・トラウマからの開放を目指して】「連帯責任」について

●纏めきれなかった想い:序章《序》

【AC・トラウマからの開放を目指して】序・脚下照顧

以上が、当初のトラウマでACとの関連が深いものも多い。
ここに載っているもの以外に何度も追想して行くうちに記憶のブロックが瓦解したのか、小学校低学年のところでボロボロでてくることにもなる。インデックス中の番号の割り振りで『-追憶-』として結んだものが、後にボロボロ出てきたものになる。

【AC・トラウマからの開放を目指して】命を頂く「雄鶏」

【AC・トラウマからの開放を目指して】命を頂く「鯉こく」

この記憶と対となっているのが、鶏の屠殺だったりする。毎年恒例なのかはわからないけれどもボーイスカウトに入っていると誰でもが経験する行事かもしれない。他の人にとっては、「命を頂く」とはどういうことかということを学ばされる良い機会であって、今日こうして頂ける工程を体験することになる。これ自体は普通に覚えていた記憶なのだが、「鯉こく」と繋がっていた記憶だったので、あえてこちらに載せることにする。

キャンプに何羽か鶏がやってくる。じゃんけんだかしてオス・メスを班ごとに引き取っていく。私のいた班はじゃんけんでハズレて雄鶏だったのを覚えている。手順は決まっていて、足に罠かけて逆さまに吊り上げ暫くすると頭に血が上って気絶するのを待って、ナタで首を落とす。首を落とすのは班長がやっていた。中途半端に切れ薄皮一枚残ってしまった鶏は、ブラブラな首を血しぶきを散らしながら暴れて引きずりまわる。絶命まで時間がかかるのだがその哀れな鶏を皆んなで押さえて、確か、ブラブラになった首もちゃんと落としてあげたと記憶している。血抜きのの為にまた逆さ吊りにする。地面に広がらないように逆さ吊りの真下に穴掘って血抜きする。私は青くなりながらまだ生暖かい鶏の体から絞った記憶もある。

「今さっきまで生きてたんだよな」
「今しがたまでからかってたんだよな」
「あなたの命いただきますね」

そう教わりそう思いそう考えさせられた。

ボイルして毛をむしり皮をはぎ内臓をくり抜き肉に分け一部は骨付きだったりのまま調理していった。

美味しくいただいた。

そんな一連の出来事であった。


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【AC・トラウマからの開放を目指して】《背景》:命を頂く「鯉こく」

小さい頃は魚を食べようとしたら、ひょっと出てきた骨が食べにくさを覚え、ちびちび食べるのが嫌で苦手で、魚嫌いとなった。

ボーイスカウト・カブスカウトの頃の楽しかった思い出ってなく、割れるように頭痛くなって気持ち悪くなって(熱中症などで)日陰で休んだり、荷物に背負われるかのようにでかい体重より重いリュックを背負って行軍したりネッカチーフのムチでシバかれたり体が小さくていぢめられたり、仲のいいヤツなんてひっとりもいなかった。気がつくとボーイスカウトになる頃には周りは全部「敵」でした。

そんな状況に置かれていたんです。なのでいつやめたのかも記憶になく、フェードアウトしていったんじゃないかと思います。

さて「鯉こく」事件ですが隊長さんのとった驚きの行動は今から考えると「食べなきゃいけないもの」を眼の前から投げ捨ててくれることで、『取り去ったから無理して食べなくていいよ』と、そんな粋な取り計らいだったのかもしれないですね。一見すると皆んなの前ですごい怒られたようにも見え、示しがつきますから。

実際、給食でもこういうボーイスカウトでの食事にしても食べれないということはあまり記憶がなくてもっとショッキングな時でも食べれていたんです。嫌ならはなっから嫌だと断っていて、外では減らすが無くすかして避けてそれでも食べれないときには目を瞑って口に入れ・・・としてきていて、本当に食べれなかったのはすごく少なく記憶に残っているのはもっと少ない。魚だとただ喉に引っかかる小骨を繰り返してチミチミより分ける記憶が面倒さを生みやがて嫌いな食べ物になっていったんでしょうね。それはフライだろうと何だろうと原点は小さい体で受け止めた小骨は大人のそれとは同じじゃなかったんです。

ちなみに子供がいない猫好きな仲の良い夫婦の友人宅で「晩御飯食べてきなよ」と誘われ、それまで頑なに食べなかった焼き魚を食べたとき感動したのを覚えています。単純に美味しかったのだ。こうやって魚嫌いな部分は食べた30代ではすでに克服されていて、40代で「小骨の代表格『うなぎ』」も完全克服=寧ろ好きになってます。今の奥さんに連れて行ってもらった神田の鰻屋が美味しくて、本気で感動したんです。

本当はこうやって傷ついたインナーチャイルドは新しい事実に上書きされて育っていくんだと思います。『傷ついたその時のまま時間が止まった人格』は一つの体に『当時のママ』といういびつな形で共存するのだそうです。とある背景や受動的感覚がマッチした時突然その人格が顕れてそれを受け止めようとしてやっぱり拒否反応(フリーズ)を起こし更に深化していくように思えます。その傷ついた記憶のしがみつく人格は「なくならない」し「死なない」し「消えない」です。インナーチャイルドと呼ばれる由縁なのかもしれません。

強引に忘れようとか忌避して滅してしまおうというアプローチは寧ろその歪の人格は自ら「消えたくない」から抵抗し負荷がかかって負担になっていく疲弊してしまうことになる。

今を生きている私がその『小さい私』を真正面から受け入れて信頼しそんな『駄目』と卑下している『小さい私』を受け止めて完全に受け入れてあげることと、更に『小さい私』が変容(=成長)することが対策なのかもしれません。


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【AC・トラウマからの開放を目指して】命を頂く「鯉こく」

学習性無気力というのがある。記憶を掘り下げても「どんなに努力してもダメであった」逆上がり酒宴への抵抗とその失敗、就職後のトラブルも追っていくと、忘れ去られた記憶が出てきたので記載する

そのキャンプは自分たち(先輩たち中心)で鯉を捌いて「鯉こく」をつくり、食べるというのが一つのイベントでした。

只でさえ魚が嫌いな私には、色々記憶をたどると「泥吐きの過程」済みだったような気がするのだが、それでもやっぱり素人の捌いた鯉は生臭く泥臭く、涙してしまうほどのものだった・・・。

それを見た隊長さんは私を説得しようと話に来たのだけど、さすがの私も生臭く泥臭いのはどうしても受け付けなかったのだ。隊長さんは怒って「そんなに嫌だったら食わんでいい!!!」と鯉こくの入ったお惋を投げ捨てひっくり返してぶちまけてしまう。

《認知》「なんて乱暴なんだ」「暴力やめて」
《気分・感情》恐怖、逃避、頭の中真っ白→凍りつく(フリーズ)
《身体反応》こわばり、首をすくめ立ちすくむ、思考停止
《行動》何もできない、怖くて手足も動かない、隠れたいけれど逃げたいけど逃げられない


《第0感情》

  • 「暴力やめて」「私は誰も守れない」
  • 「私を認めて守って欲しかった、私じゃない、やめてほしかった」
  • 「辛かったね、もう誰も邪魔しない、全力で逃げていい」

《背景》←   《インデックス》   →次へ

【AC・トラウマからの開放を目指して】酒宴の暴力の始まり2

【AC・トラウマからの開放を目指して】父の酒宴

酒宴のある日(居間と部屋との仕切りが新しくなっていたような記憶もあり、奥座敷ができてからなのかもしれない)。
酒が入り泥酔してべろんべろんの状態で父は反抗する母をねじ伏せようと暴力に出た。口論が次第に激しくなり、胸ぐらをつかみ組み付き壁に追い込むように押し付けて、殴りつけた。もう、何を言っているのか理解不能な叫びと罵り、
べいん・・・べいん・びち・・・べいん・びち・・・
口の中に頬が張付ける音まで記憶されている。

《認知》「何が起こったの?」「何んでそこまでしなきゃならないの?」「暴力やめて」
《気分・感情》阿鼻叫喚、恐怖、逃避、不安、心配、緊張、頭の中真っ白→凍りつく(フリーズ)
《身体反応》ドキドキ、ハラハラ、こわばり、首をすくめたり、余計な力が入る、立ちすくむ、思考停止
《行動》何もできない、怖くて手足も動かない、隠れたいけれど逃げたいけど逃げられない


《第0感情》

  • 「暴力やめて」「私は誰も守れない」
  • 「私を認めて守って欲しかった、私じゃない、やめてほしかった」
  • 「辛かったね、もういいんだよ、私はここにいていいんだよ」

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【AC・トラウマからの開放を目指して】酒宴の暴力の始まり

【AC・トラウマからの開放を目指して】野球は夢だった

【AC・トラウマからの開放を目指して】記憶の三(小学校低学年)

考えてみれば野球をやりたかった少年であったことがわかる。

私には選択肢はなかった。
「野球がやりたかった」「小学校に野球チームが置かれ、私はそれに入りたかった」のだ。
「野球がやりたい」とお願いした記憶がある。
結果は「ボーイスカウト」とやらに送られた。別の言い方すると「ボーイスカウト」という「監獄送り」ということだ。
後で理由を聞くと、兄の画策で「球拾いになるから」という提案が背景で、自主性・自立性を奪われていった。
もう、一人の人間として扱われることはなくなっていったようだ。こういうふうに希望はことごとく潰されていったし、私だけの努力ではどうにもならずに選択肢も狭まっていった。
選択してだめだったのとは全く意味が違う結果となって、たいへん落ち込んだし、未だにボール投げできませんから、まわりに運動を教えるなどできませんね。「ボーイスカウト」が意味のないものだとは言わないが、そもそも本人の意志はそこにはない。


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【AC・トラウマからの開放を目指して】《背景》:習い事

今となっては、子供の頃は我慢をさせることも必要というが、毎晩酒宴に強制参加させられ恐怖や感情を抑え我慢を強いられてきていた子供にそれ以上の我慢は必要?。もっとやることがあったでしょうに。
私も家出すれば(できれば)よかったわけでしょうが、それを選択する頭はなかったですよ、だから全て我慢したんです。結果、深い傷が残ったわけです。

さて、調べていくと「何とも言えない心の状態」を理解する一つのワードが出てきたんです。『凍りつき(フリーズ)』です。

アダルトチルドレンのうつ症状:自己犠牲と感情回復のプロセストラウマケア専門こころのえ相談室

多くは書きませんが、カウンセラーの方も商売ですからね、様々な方が様々な形で臨床経験から特徴などを表現してくれています。カウンセラーについて治療ができる環境にあるならば、そのカウンセラーの手法に従うのが筋です。が、私のようにそういう環境にない場合(そもそも余裕がない)、とにかく一人で調べます。自分で自分の心を理解に努めて氷解していくことだけが唯一の手段なので、その方が著書を出されていれば手にとって理解の手掛かりを入手に務めるなど、「藁をもつかむ想い」がそこにあります。

もっと元気になって行きたいですからね。今は自分を守ってあげるだけで精一杯です。

この「凍りつき」反応は、背側迷走神経複合体が強く働いた状態なのでしょう。


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