【AC・トラウマからの開放を目指して】酒宴の暴力の始まり

【AC・トラウマからの開放を目指して】父の酒宴

酒宴のある日。
酒が入り泥酔してべろんべろんの状態で父は反抗する姉をねじ伏せようと暴力に出た。
髪の毛を掴んで今から引きずり回し玄関へ引っ張り出し、
「言うことをきけないなら、(家から)出ていけ」
と怒鳴りちらした。殴ったりもしただろうか。記憶が飛んでいる。
母は号泣するばかり。
私は恐怖で動けず立ち尽くした。
髪の毛は散乱し、大の字で泥酔の父は玄関に横たわり、姉は多分部屋に逃避。
誰も守られることなく、誰にも認められず、事件の渦中の部屋の真ん中にぽつんと、傍観せざるえなかった。
私は泣いていたのか恐怖でおののいていたのか一切の感情が思い出されない。
以来、誰からも守られなかったことは「捨てられる」恐怖に変わり、怯え育つ事になった。


姉の家出が中学二年生であったことから、8歳下の私が六歳の時の出来事だということになる。小学一年生、未だに卒園式やら入学式やら記憶に全く思い出されない。ぽつんぽつんと負の記憶があるだけだったり、記憶障害があるか、よっぽど楽しくなかったか、よっぽど大事ではなかったか、であろう。
兄?兄は我関せず、知らんぷりだったようで、部屋でひっそりしてましたわ。
この後姉の家出を兄の受験の失敗の原因と逃げをうつことになる。この頃から残念な人だ。父を見習って私にも暴力で事を片付けるようになりましたかね。あぁ、そうして、更に家での逃げ場がなくなっていったんだわ。
一見するとすべて姉のせい、父の酒のせい


“【AC・トラウマからの開放を目指して】酒宴の暴力の始まり” の続きを読む

【AC・トラウマからの開放を目指して】「連帯責任」について

「連帯責任」教育について洗脳手法として調べたことがあり、そのメモを載せる

「連帯責任」は、『どこそこに所属すること』が前提となり「暗黙の前提の絶対化」により『一員として行動することを疑わず、生活すること』という「徹底した相対化」による洗脳である。

不安を煽り、真面目で向上心のある人ほど操作しやすく、養育環境の理不尽なコミュニケーションの繰り返しの結果「『自分』がおかしい」などという思考になっていく。

洗脳の手法として①安心②驚き③嫉妬④囲い込み、の手法を用いる。

①安心…理解者・支援者だと安心させる
②驚き…占いなど予想を的中させたり、心の底を言い当てたりするトリックを使う
③嫉妬…他のメンバーを登場させ互いに競わせる
④囲い込み…家族や社会から分断、帰り場所をなくす

洗脳の三段階
①解凍…これまでの人格の破壊
②変革…「教え込み」の過程
③再解凍…新しい人格を作り上げ強化していく過程

これを残すことは、過去実際にあった事実を記す目的であって、単なる批判の対象としてだけではない。現状いじめですら隠し握りつぶす教育現場で、教員個人の責任放棄の一手として使われることが予想されるし、人格破壊を行うかなり卑劣な手段として今後も使われう可能性が高い害悪の側面そのものとして今後の善導者に委ねたいと思う。そしてもっといい回避方法を教育に関わる人達がひねり出してもっとよい環境にしていってくれることをただただ願うこととする。

【AC・トラウマからの開放を目指して】参考文献など

当初苦しみながらどうやって解決するか模索していたときに読んだ記事に紹介されていた本である。

あなたのままで、大丈夫。精神科医が教える自分で自分をケアする方法 著:増田史(主婦と生活社)
https://www.shufu.co.jp/bookmook/detail/978-4-391-16025-3
自律訓練法やTFTといった紹介とともにスキーマ療法の一片や紙にアウトプットをするして捨てるという方法を紹介している。ひたすら元気づける言葉が印象的。

スキーマ療法の紹介や実践として伊藤絵美先生のご著書を参考にした。

マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK1 著:伊藤絵美(医学書院)
https://www.igaku-shoin.co.jp/book/detail/91512
マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK2 著:伊藤絵美(医学書院)
https://www.igaku-shoin.co.jp/book/detail/91513
自分でできるスキーマ療法ワークブック Book1 著:伊藤絵美(星和書店)
https://www.seiwa-pb.co.jp/search/bo05/bn852.html
自分でできるスキーマ療法ワークブック Book2 著:伊藤絵美(星和書店)
https://www.seiwa-pb.co.jp/search/bo05/bn853.html

著者のfacebookはこちら
マインドフルネスについては通院先の治療プログラムで行ったものと同じでよいようだ。マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK1に紹介されているストレスコーピングと行動認知の基本モデルが重要視し《ストレッサー》《認知》《気分・感情》《身体反応》《行動》の分け方に忠実に行うようにした(五蘊の現代語訳だと思うとそのまんまであると言える)。いずれにしても手放す手法がとても難しいようで、たどり着いたのは繰り返して慣らすという最も辛い方法なのかもしれない。
実践していったものの行き詰まりを感じたのは、安全地帯を作れなかったこと・安全地帯になり得なかったとも言える。もう一つは、途切れた記憶、小学校低学年の数えるほどの記憶しかなかったことで行き詰まってしまった。また、他者にサポートを求めことはできず、そもそも前述の通りセラピストもおらず難しい局面となっている。
ただし、「スキーマ」があるという仮定から入るこの方法は、トラウマを洗い出していくには心当たりに目星をつけることで良策で調べるうちになんとなく解ったもののやはり「人気」というより実際にそこまでたどり着けない人が多いから「自分でできる」シリーズに至ったのでは?と推測してしまうところで、それならばということでシリーズモノは一応網羅して著者の伝えたいことに忠実に行うこととした。更にストレスコーピングと行動認知の基本モデルの実践と紙にアウトプットをするという方法をここ数年続けている。
紹介もされているように行動認知療法で成果が出ないケースに該当しているのでは?と手にとって読み込み、ワークブックもはじめてみるというところまで、向き合う体制を作れたという意味で大変良かった。
上記の著書の仮想の主人公さんもそうであるが幼少の頃の記憶が原因になっているのは分かった。

医師に相談しているが通院先のカウンセラーの余裕なく、一人実践せざるえないという状況だったりするが、ヒントとして「アダルトチルドレンでは?」ということから矛先を「アダルトチルドレン」による「トラウマ」ほどきと方向性を変えている。「アダルトチルドレン」といえばこの本かなと思い信田さよ子先生のご著書を選択した。

アダルトチルドレンについては以下の書籍を参考にしている 著:信田 さよ子(学芸みらい社)
アダルト・チルドレンへの誤解や背景、古典~最新事情といったところだろうか。酒害家族とその子どもの概念がよく分かる。最近はアダルト・チルドレンという言葉も「毒親」として書き直されているようだが結局は何なのか知らないと手が出ないだろうというところで読了した。

SNS(インスタグラム)を通じて克服実践を配信している方の著書であり、様々な気付きを与えていただいている。

“メンタルヤバめ”をやめられる本 著:池田由芽 (大和出版)

第一感情、第二感情として説明されている内、特有の造語で満たされなかった想いを充足させることを教えている。更には脳の3重構造の話題に至るまでなかなか深いと思った。著者のインスタグラムは@yume_ac_kokufukuさんです。

酒害家族自助グループに参加もしたりしていた

Al-Anon アラノン家族グループ
残念ながら生きなきゃいけないこの世の中で時間を割けなくなってしまい、吐き出すことアウトプットを目的としてこのカテゴリを作り、紙に書き出したことを、もう一回平旦な目で見つめつつ書き出すということをしている。「いいっぱなし」を目的とした。特に12のステップは重要な部分であり、AC・鬱が発症してしまうと今直面している諸問題に向き合うどころか気付けなくなり、世の中からおいて行かれてしまう深刻な問題が生じる。傷となったトラウマ自体を整理して、直面している諸問題=即ち「生活」を流れに委ねて、ひたすらトラウマから生じた性格や不合理を自省し祈る。「祈りを信じる」事自体が難しいし、神だのハイヤーセルフだの霊的だの、一見頓珍漢な部分もあって、とてもキリスト教的である。同じ悩みを持つ人達と集団を形成することに於いては仏教にも通じるが、正常な幼少期を過ごせず歪な自我形成してしまった人たちが、取り組む方法が仏教にはほぼなく、絶望的である。

マインドフルネスについては以下である。

呼吸によるマインドフルネス 著:ブッダダーサ 比丘(法藏館)
当初からお世話になっている書物。個人的には2008年に静慈彰氏が主催されていた「東京ヴィパッサナー瞑想道場」などでも導入で習っていたり、長く参考書として「呼吸によるマインドフルネス」を実践に用いてきたいるが、中に紹介されている短縮した実践方法を用い第一禅定に入いる方法はよく使っている。

【AC・トラウマからの開放を目指して】当初:インデックス

【AC・トラウマからの開放を目指して】うつをかくして

なかなかその時も治らず復帰できず時間がかかったのを覚えている。今のようになんでもネットにビジネス紹介をする時代ではなく情報が溢れている時代から一歩手前というところだろうか。うつ病や睡眠障害・発達障害など、不利となる時代なので入社時その事は伝えていない(まぁ、中途採用なんて「場合によっては何かしら問題抱えていることぐらいわかるでしょう」というのが現実かと)

L社に勤めてたときは、前職場でうつになってしまったことを隠して入社している。気持ちが完全に危険域に入ってしまい、一日全休して、通院(有楽町)帰り秋葉原によった時、気晴らしで歩いていたのを関係会社の方に見掛けられ、「サボり」とみなされて、追求を受けることになったことがある。暗い雰囲気の個室のある喫茶店で囲まれて萎縮も助長された。すぐ疑われるというあまりいい思い出ではない。有楽町に通院していて途中立ち寄ったという事実をありのままに伝えて不問となった。それ以上の追求もなかった。
《認知》「どうしよう困った」「何でこんな事になっている?」「うつ病のこと言えない」
《気分・感情》不信への心配、首切りの不安、諦め、苦痛が更に増えた
《身体反応》心配と不安と恐怖でドキドキバクバク、頭痛、萎縮
《行動》思考停止、やる気の低下、負のループ

【AC・トラウマからの開放を目指して】テレアポにうんざり

大学に通っている時、卒業云々ではなく「もう出たい」という思いに駆られて就職活動していた事があり、アイ◯ムに載っていた会社に応募したことがある。

今でも「美術商」というと「絵画商法」など悪徳商法があるが、今ではありえないが、電話でアポ取り、絵画を買ったオーナーに美◯商連合だかの福利厚生サービスを提供するいわゆる「ぶら下がり商法」+「アポイントメント商法」でした。今は会社名すら忘れてしまったのでどうなったかはしりませんが、応募すると即日、面接もなく、名簿と台本を渡されテレアポさせられました。その日一日テレアポしながら正しいことなのかどうなのか考えて即日辞めました。
《認知》詐欺じゃないのか、テレアポはどこのリストだ?相手が迷惑がっているのが伝わって苦しい、ごめんなさい、いつまで続ければいいんだ?おかしい
《気分・感情》怒られて萎縮、緊張、イライラ、お腹が痛い、感情抑制、諦め
《身体反応》ドキドキ、自我喪失・自己抑圧で不安と心配と恐怖で心拍数も上昇
《行動》たかを括ってルーチン作業、逃げられない


30年前にはこんなのもあったということで。闇バイトが問題となっていますが、昔からこの程度のはありましたし、新しいと思いついてやりだすとんでも商売

【AC・トラウマからの開放を目指して】虚言癖社長

2020年の秋突然の発熱から感染症でダウンしてしまい、丁度、コロナの時期とも重なって、体調がすぐれず、定期的に有給は消化していて余裕があったとはいえ有給がなくなってしまうほど休まざるえない状況になってしまった。体調不調が続いて復帰し無理くり職場に復帰して数ヶ月経ってからある日のことだった。無能な営業がスケジュール空白を作り、そも私のせいである、として、また同僚からも不満が出ている、というK社の社長自らの虚言で減給処分にしようとしたことに始まる。「社労士とも相談し、君の休職も考えたが、それはできないから減給にする」という話であった。いわゆる肩叩きの罠にハマって、頭にきてしまった私から「退職」の言質を取られてしまう。私は私で同僚に当然ながらこういう話をされ辞めるしかない事態になったことを伝え挨拶してまわって帰った。一瞬でこの話は仲間の同僚に広まり、不満を言った同僚探しが始まったようで、更には、「まずは体調不良なら休職期間を与えるべきだろう」と同僚から社長に申し入れが入って、事は急変した。翌日には減給処分の話も撤回したのか録音しながらだったので言質不利になる話は「しらない」「いっていない」と嘘を突き通し、「急遽、休職してもらいたい」として、会社の都合の悪いことにならないよう誰ともあわせないようにして休職が始まることになった。
《認知》「陥れて嘘までつくのか、コイツラ終わってるわ」「本気で頭きた」「嘘までつかれて頭がおかしくなりそうだ」
《気分・感情》怒り、恨み、虚をつかれ頭の中真っ白
《身体反応》ひどい落ち込み、うつ
《行動》棒に振らされた、怒りフツフツおさまらない


元々、この会社に所属するときに宣言したことは「私は営業はしないんでその部分は(御社に)任せますよ」でした。営業とは何度か衝突していますが、よくある営業の手柄のみの会社、社長に国家資格も持たない現場をしらない御仁なのでやり方も幼稚・下手だからツッコミどころ満載なやり方をしたのでしょう。当然対策や周りとの相談もなく社長自らの謀略だったのでしょうね。まぁ、「組織は人を救わない」の時代、退職代行が増えるのも当たり前で、まんまと引っかかってザマァというところでしょうか。
この後、検査三昧で、原因のわからない(アレルギー元がわからない)咳喘息と食道裂孔ヘルニア(逆流性食道炎)、男性更年期障害による不眠症と鬱、などなどがベースで、他もどっと重なっていたようで感染症なども特定できないこともあったり(コロナでもインフルでも食中毒でもないということ)、色々つんだ状況というのが本音。咳喘息も一時は百日咳じゃぁ?と疑われたりもしたが、血液検査では該当せずである。昨年は救急車呼ぼうかと思うほど窒息しそうな咳に踞っていた。喘息治療薬は「前立腺肥大」があるので吸入ステロイドもギリギリ最上のレベルの処方と共に飲み続けることになった。一日10種類程度だが何十定とはならないにしても基本的には対処療法になっている。
「治りたい」、できないなら「コントロールしたい」、というところで喘息なのか何のアレルギーなのかわからないまま「コントロールする」しか手立てがない状況だったりします。

【AC・トラウマからの開放を目指して】また邪魔はいるかもね

真言宗をうたったカルト集団との別れと書くのがよいだろうか。
既に休職状態になっていた時、真言宗醍醐派の僧を語るJが立ち上げた集団のカルト化・マインドコントロールに付き合わされていた訳だが、期間が空いていたところにいきなりコンタクトを取って来たと思ったら、意にそぐわないと思ったのであろうが、今度はグループLINEで脱退を即すように誹謗中傷を始めるという一連の煩わしい出来事であった。
カルトとの関わりは勘弁いただきたいのでLINEのアカウントの消去という形で対応した。
しつこく粘着もされうんざりしている。


さて、私は元々仕事上だったりLINEは付き合いでやっていただけなのでアカウント削除は痛くも痒くもない。ゴミも溜まってきていたので綺麗さっぱりだった。
当初は真言宗醍醐派の僧を名乗るJがということで2017年頃に相手のブログで知り合った方だったが、Jの信じる「地域密着型生まれ変わり論:開発の進む地域で、過去の生まれ変わる前の人生(過去世)で現在の廃寺を囲む地域に過去の”同時期に生活”を共にし、Jとの結びつきや地位(?)の近いものを優位とした集団」とでもいいだろうか、それをも「法」と尊び、本来の仏教の路線からは何とも疑問符しか浮かばない。2020年頃にはブログのワンパターンなところや帰点の定まらない強い過去世物語への執着とそれを利用したマインドコントロールによる支配から少し距離を置き始めていた。おもちゃのロガーで追跡もどきをして読者に私がいると勝手に確信していたらしいのだが、ネットワーク素人なのだろうが本来のFTTHやマンションDSL環境の構造を知っていれば同じホストだからといって同一人物であるとは限らない訳だ。他にも離れていった方がいたらしいがあんな状態では当たり前だと思っていた。
私は人様の「やれ幽霊だ」の「やれ占いだ」の「やれ不思議だ」の他人の「それ」らを否定するつもりはないが、マインドコントロール支配で利用されかけた私としては、「探求」するうえでそういう執着は邪魔でしかないと思っているし、ずっとこれを訴えてきた。
Wikipediaは「カルト#概要」の「精神科医ロバート・J・リフトンは、カルトの特徴」にあるように以下が該当した

  • 説得のテクニック – 新たな信徒を獲得し、現状の信仰心を補強するために、寛大なものから威圧的なものまで手段はさまざま

  • 秘密の計画 – 集団は絶対的な真理と道徳観を持ち、信仰の真の目的と計画が曖昧であり、新規入信者や一般大衆には明確に提示されていない

  • 欺瞞 – 入信者や信徒は、指導者や集団の中枢部に関してすべてを知らされるわけではなく、また大きな混乱を招くような不備や厄介事に発展しそうな事件、あるいは状況は隠蔽されている

  • 金銭及び性的な利用 – 金銭およびそのほかの資産を差し出すよう説得される。指導者には一人かそれ以上の信徒との性的関係が許されている

  • 絶対的な真理 – さまざまなテーマにおいて、指導者、あるいは集団が見出した究極の知識に対する自信

  • 絶対的な道徳観 – 指導者、あるいは集団が確立した、組織の内外を問わず等しく当てはまる、思考および行動に関する善悪の基準への盲信。その道徳の基準にきちんと従えば、組織の一員としていられるが、そうでない者は破門されるか罰せられる

「金銭及び性的な利用」については直前パトロン的存在を示唆していたし、各人の存在の決定はJと別の1名による「予言」のようなものによって決定していく構造にも危険性を感じていた。また人の出入りも激しいのはJと予言者の好みによるものであろう。そしてなにより加担することが嫌だったので、この一連の一件は一種の事故のように捉えるしかないだろうと思っている。
本件がトラウマやACと関係あるのかという部分においては、足元をすくわれそうになるという意味で全く関係ないことではなく、足元に自分がなかったんだということの発見の機会になった。
問題はこのJという人物、妄想と酒癖が悪く、かなりしつこいということだ。

【AC・トラウマからの開放を目指して】NRSによる気分評価

当初「トラウマ」をピックアップしていく過程で一番最初に引っかかる不思議な心理がこれでした。

元々医者から行動認知療法をしていく際、「いつは何をした」+「気分はどうだった」で状態を評価していくのですが「よい」「悪い」「どちらでもない」的な評価が可能だったのだが、NRSによる気分評価の際の数値化しようと、詳細に評価しようとすると何故かパニックになってしまいました。

《認知》イライラ、五里霧中、雲がかかった感じ
《気分・感情》不安、心配、苦痛
《身体反応》血の気が引く、脱力
《行動》思考停止、やる気の低下、負のループ


NRSによる気分評価しようとすると気持ちに何かしら心でブロックがかかっているように思えました。今から考えると「正直に眺めなければ」ならず、幼少から「いつわらざるえなかった心」の習慣はおとなになっても続いていた悲しい側面が、「NRSによる気分評価」現れているんじゃないかと思えます。「親(養育者)の目」という「〇〇すると嫌われてしまう」という思考フィルターでもう一回今の心の状態を再評価しようとするわけで、「そうしないと己の存続が脅かされる・存在が許容されない/否定される」と本来いらない思考が先に走ってしまいます。本来足元にあるべき「自己」という「個体」ではなく「他人軸」、「親(養育者)」からせっかく離れてもその対象が「世間」など「周りの人」に置き換わっているようで、それを知った今でも、そもそも本当の「私の気持ち」にたどり着くには時間を要します。
付け加えると、単純に「気分がいい」「気分が悪い」で評価できるものではなく、「楽しい」「好き・嫌い」「驚き」「欲しい・執着・興味ない」など複合した状態を一元的に「気分がいい・悪い」に当てはめるので、そこには負の感情ももちろん含まれるわけで「楽しい」けど「怖いな」そして「心配」などスケール化しにくいものも出てきます。AC的には負の感情ほど「~ねばならない」「~べき」で潰されて隠してしまって掘り起こす際の「蓋」が当時何であるかわからなかったこともあります。「トラウマ」段階の傷でなくなってしまっているのかよくわかりませんでした。

【AC・トラウマからの開放を目指して】旗竿地

【AC・トラウマからの開放を目指して】検証結果とは関係なく

共同所有になっていた土地は、すでに母の一存でどうにかなる状態ではなく、兄の反対により、更地にしても母屋を立て直すことすらできない、負の資産となる。更地になると税金もたいへんかかるわけだが、あわよくば全部せしめようとしたのが元々の兄の画策だったようだ。
複雑な状況になっていた土地の権利は結果的に弁護士さんに頼み、解決への道へ一歩踏み出すことになる。
・兄に一部の土地を買わせることで複数人の共同所有となり、連帯保証から回避
・兄夫婦の口座に110万ずつ何年かにわたり返済し済みである
・弁護士が立ち係争中であるにも関わらず足繁く兄嫁に会いに行きご様子ご機嫌伺い
そこで「なぜこうなったのか?」から始まり旗竿地にして私道を設けることで分割し、出入りのしづらい、「まぁ、残った2人に分割できない形」にしてそこをとる羽目となったわけだ。
こうして 母 vs 兄+義姉 の構図は 兄+義姉 vs 母 vs 姉+私 という形に置き換わる。間には弁護士を介して提案し、弁護士同士の話し合いとなって係争していくことになる。
さすが母である、ただ自分が満足すればいいから、その旗竿地を更に分割することなんぞ考えていない。「あとは好きにしたら?」というわけだ。
考えてみれば、いつもこうであった。さも、私に与えられた選択肢は私が選んだかのように見せ結局は母のわがままを押し付けられる。全ては八方美人のわがままを押し通す母ご自身のための旗と竿・・・つまりは「駒」だったわけである。

しばらく我慢し、姓も捨てて私は家を出ることにした。


母には長兄と姉と妹がいて、戦時中の昭和のお家の時代でもあり、子どものいない家庭に養子に出すということが珍しくなかった時代の人で、一番無難な立場にいた母は「I」家に養子にでている。そんな「I」家の養子で収まればまた違った人生になったのかもしれないが、「I」家に跡継ぎができ、出戻ることになる。「一番無難な立位置」とはいえ、戻った家で微妙な立場となり確執が生まれていたようでかなり卑下していたという。
姉は一見すると自由奔放であけっぴろげの少しおかしな人に思わせるが、内実ものすごく外部と壁とはみせない僻地を保っていてあるかのような人で、家出することで酒宴(酒害)から離れた人だった。
早々にこの「駒」から脱出した人なわけだが、距離の取り方が極端なのは酒害に関してはかなり傷を追った人でもあろう。酒害がなく家にいたとしても、「駒」のような役割、変な話だが母の足らない部分を補完した存在でもあったことが、後で分かる。
G案件の数年後、私は不登校になってしまったのだが、この引き金は「酒害家庭」だけではなかったのでは?と思う。少なくともいい意味で「やなこともやらなきゃならない」「債務・仕事・責任の肩代わり」社会は「共同責任」とやらで学びになったとしても、担任G教員のしつこくストレスを継続的に掛け続けることが”全く正しい”とは思わない。「自らを裁かれることはない」と豪語した担任G教員もどこかで折り合いをつけねばならない時が来るのだろうし放っておけばよい。
様々な「教え」では救えない、還される時間もない中、私の中でどう折り合いをつけていくか、一つの事例であり、家も学校も逃げ場がなくなり継続され続けたストレスに私が負けた弱い人間だと決めるのならばそれもいいと思う。それを覚悟の上で【AC・トラウマからの開放を目指して】を書き始めたので好きにすればいいという思いはここに残しておく。
ちなみに姉は「酒害家庭」の責任が自分にでもあったかのように私の不登校を自分の責任と思って、沢山の子どもたちの将来へ導こうと、有名小学校合格請負人の如く子どもの絵画教室をすることとなる。

 

【AC・トラウマからの開放を目指して】検証結果とは関係なく

【AC・トラウマからの開放を目指して】火災にあう

鎮火し、現場検証の始まる頃には実兄も到着していて、現場検証の際には金魚のフンのようについて回ってきた。紙にある程度書いて「ココに本棚、ココにはパソコン、出火場所の前にはプリンターとかおいてある棚・・・説明して回る。火の手が見えたので水をこの辺にぶっかけた消化液も近くにあったのを使った」・・・など洗いざらい正直に話して、腑に落ちなかった部分も何度も話して焦げの強い部分と実際に消火した部分との違いも説明した。状況証拠と私の証言から警察と消防との話し合いも行われ総合して、「自然発火」だねと。金魚のフンもそれを聞いていたはずで、にも関わらず彼は別の答えを出していたようだ。
後日子どもを連れて火災現場を見たいという。私は何かの事情で行けないと断ると、「お前が出した火災なんだから犯人のお前がいないと説明にならないだろう!」と罵られる。
「はぁ?自然発火だろ!聞いてただろ!」。誹謗中傷も良い所だ。
焼け死んでいたら、「ここが火災を出した犯人の寝ていた場所だ!」と自慢げに話したのだろう。
さて、こんな人間達に火災時に頼ったことがいかに馬鹿だったか。いっそ焼け死んだ方がなんぼかマシだったようにすら思った。


あとから考えると、彼が土地分割で生前贈与するまでもめにもめる機会を提供し、私を口止めするには良い口実だったのか「火災出したお前は黙ってろ」とまで言われたのが現実だ。それから数年、その火災現場に工事が入ることもできず、数年別の場所で一人ぐらしをしつつ、卒業までこぎつけ、近くのUR住宅へ引っ越し母と姉と3人で暮らし始めた。
母と兄は互いに弁護士を立て、それまでの母の裏切り、兄との裏取引なども表沙汰になっていく。もともと土地は母方の祖父から分けられた土地で、祖父はちょっと有名な医者で文京区に土地とビルを持っていた。この事件の起こる10年ほど前だろうか、賃貸ししていたそのビルも立ち行かなくなり、母方の兄が家長を引き継いでいたため、その兄の子供の画策で借金が返せず持ち逃げ倒産をされ、連帯保証人だった母などの姉妹に矛先が向くことになる。一人(母の姉)は都内の家を手放し、もう一人(母の妹)は計画的に子ども一人だった為、相続関係をうまく使い回避し、我が家は兄に一部の土地を買わせることで複数人の共同所有となり、連帯保証から回避が成功し、裁判も終わっていた。実態として父母は確かに兄夫婦からお金を受け取り共同所有としてそれを証拠とした。ところが、そのお金は父と母が話し合い、兄夫婦の口座に110万ずつ何年かにわたり返済したという。実兄は実質ただで共同所有となろうと一時的に助けたのは事実で登記は残っているのから、それを使い有利な土地分割を目論んだわけだ。3年、弁護士はさんでの話し合いに時間を要し生前分与という形でカタがついたわけである。さてこんなにも騒いだ裏には別の事実があったらしく実兄は泡銭から博打に手を染めたらしく借金もあったということだが、手に入れた土地を売っていないところから彼が生きている間は実家の分割された跡にはアパートが建ち続けるのではないかと思われる。
相続だの贈与だの、天から降ってくる話、このことは私にとってはどうでもいいことで、うんざりしていた。しかしその3年色々気づいたこともあった。
その一つは、私は確かに生前の父が嫌いだったが、同時に母も嫌いだったことに気がついた。URマンションに住んでたときに思ったのは、私の帰るべきうちはそこではないということ、そこが嫌いであること、そして、母の無言の「押し付け」にうんざりしていたこと、そして、やっと、苦しかった酒宴に始まり母の無言の「押し付け」に抵抗するとを禁じられてきた現実から離れるには、家を出ることが先決だということに気がついた時間でもあった。
どうせ死んだ人間だ、もうここから離れようと自由になろう思った。もれなく親不孝者の看板も背負わされることとなったわけだが。
また、幼少期ではなく学生になってたとはいえ父の酒宴のよいおもちゃとして肴にもされてきた兄もまたACかそれに近い人格障害を起こしていたと想像に苦しくなく彼も被害者なのかもしれない。
ちなみにこの家5人の家族の内、父以外酒を好む人間はいない、兄姉弟がアルコールが怨みの対象でしかないことを付け加えておく。