姉は家出した。
幼馴染だったBさんは、当然ながら小学校にはいると友だちもできて外出など行き違いが増えていくこととなった。
母は兄のことを贔屓気味に優先、兄は常に私をマウント、私から自立を奪う存在で、そして父には逆らっていけない。
更には私は「できない子」の構図
毎日の父の酒宴
ある意味家訓・規範は「世間体」
自立性無視でただ存在生存し続けるだけの学童期が始まっていた。
【AC・トラウマからの開放を目指して】踵の痛み
そもそも、こういう気持ちだったという話。
私ののっていた補助輪付き自転車にはそもそもブレーキも付いていない代物だったと記憶している。なので補助輪を外してさぁ乗れるねと練習していても、外(公道)には出られずしばらく放置されていった。妙なところガチガチの真面目さんお宅(体裁主義家庭)だったので、出る度に私は母の自転車の荷台に載せられ自由は許されなかった。2人目3人目の子どもというのはこういう扱いなのだろう、要は私用の自転車は与えられなかったということがポイントで、「怪我したら大変」とか色々言えるが、しばらく放置されていったというのが現実だ。
ある日、ずっと心の奥底で抵抗して私は行動に出た。
車輪に足を突っ込み反発を示したわけだが、母は気が付かず家について事の重大さにやっと病院につれていくという、何とも痛いだけの大損をすることになった。
痛い思いをしただけで母には全くこの想い(自立心)は通じなかった。
【AC・トラウマからの開放を目指して】荷物と同じ
やっと思い出された派生した記憶である。
帰宅するやいなや、怒りに満ちた顔で待機していて、引きずり回すように、母の自転車の荷台に載せられ連れ回された記憶がある。
「怪我させたんでしょ!来なさい!」的な説明はあったかもしれないが、ついていくとかそういうのはこっちにおいておいて、もう「いく」なら「ひとりでやらせて欲しかった」、私は外用の自転車に自分で乗って運転して謝りに行かせて欲しかった。
こういう、自立心の削がれ方はこの件に代表されるようにずっと続いていた。
その時にも感じましたが、私って「お荷物」だったんでしょうね。
【AC・トラウマからの開放を目指して】酒宴の暴力の始まり
酒宴のある日。
酒が入り泥酔してべろんべろんの状態で父は反抗する姉をねじ伏せようと暴力に出た。
髪の毛を掴んで今から引きずり回し玄関へ引っ張り出し、
「言うことをきけないなら、(家から)出ていけ」
と怒鳴りちらした。殴ったりもしただろうか。記憶が飛んでいる。
母は号泣するばかり。
私は恐怖で動けず立ち尽くした。
髪の毛は散乱し、大の字で泥酔の父は玄関に横たわり、姉は多分部屋に逃避。
誰も守られることなく、誰にも認められず、事件の渦中の部屋の真ん中にぽつんと、傍観せざるえなかった。
私は泣いていたのか恐怖でおののいていたのか一切の感情が思い出されない。
以来、誰からも守られなかったことは「捨てられる」恐怖に変わり、怯え育つ事になった。
《第0感情》
- 「暴力やめて」
- 「私を認めて守って欲しかった」
- 「私は私を捨てないから、私であっていいんだよ」
- 「私はここにいていいんだよ」
- 「辛かったね、私が私を守るから、もういいんだよ、どうか心を閉じないで」
さらには、暴力・理不尽に対する抵抗の現れが記憶の一番目となったようだ
【AC・トラウマからの開放を目指して】《背景》:祝福されない
「《背景》:」には実際の背景だけでなく愚痴も含まれるし関係状況の変化によって反応も変わる為、トラウマやACの記憶に並列して書くのは不適当であると感じ分けることとした。
毒母へ
だから家族一人一人から避けられ離れていったんです。どうぞご自分の世界だけ美しく正しい世界を描いていただいて結構ですが、私に、泥を塗り、溝を掘ったのはのはあなたですよ。どうぞあの世までその「ワガママ」もっていって是非楽しんでください。そして何よりも今後も思い通りにならない、どうにもならない世の中をお楽しみください。
【AC・トラウマからの開放を目指して】「連帯責任」について
「連帯責任」教育について洗脳手法として調べたことがあり、そのメモを載せる
「連帯責任」は、『どこそこに所属すること』が前提となり「暗黙の前提の絶対化」により『一員として行動することを疑わず、生活すること』という「徹底した相対化」による洗脳である。
不安を煽り、真面目で向上心のある人ほど操作しやすく、養育環境の理不尽なコミュニケーションの繰り返しの結果「『自分』がおかしい」などという思考になっていく。
洗脳の手法として①安心②驚き③嫉妬④囲い込み、の手法を用いる。
①安心…理解者・支援者だと安心させる
②驚き…占いなど予想を的中させたり、心の底を言い当てたりするトリックを使う
③嫉妬…他のメンバーを登場させ互いに競わせる
④囲い込み…家族や社会から分断、帰り場所をなくす
洗脳の三段階
①解凍…これまでの人格の破壊
②変革…「教え込み」の過程
③再解凍…新しい人格を作り上げ強化していく過程
これを残すことは、過去実際にあった事実を記す目的であって、単なる批判の対象としてだけではない。現状いじめですら隠し握りつぶす教育現場で、教員個人の責任放棄の一手として使われることが予想されるし、人格破壊を行うかなり卑劣な手段として今後も使われう可能性が高い害悪の側面そのものとして今後の善導者に委ねたいと思う。そしてもっといい回避方法を教育に関わる人達がひねり出してもっとよい環境にしていってくれることをただただ願うこととする。
【AC・トラウマからの開放を目指して】参考文献など
当初苦しみながらどうやって解決するか模索していたときに読んだ記事に紹介されていた本である。
あなたのままで、大丈夫。精神科医が教える自分で自分をケアする方法 著:増田史(主婦と生活社)
https://www.shufu.co.jp/bookmook/detail/978-4-391-16025-3
自律訓練法やTFTといった紹介とともにスキーマ療法の一片や紙にアウトプットをするして捨てるという方法を紹介している。ひたすら元気づける言葉が印象的。
スキーマ療法の紹介や実践として伊藤絵美先生のご著書を参考にした。
マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK1 著:伊藤絵美(医学書院)
https://www.igaku-shoin.co.jp/book/detail/91512
マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK2 著:伊藤絵美(医学書院)
https://www.igaku-shoin.co.jp/book/detail/91513
自分でできるスキーマ療法ワークブック Book1 著:伊藤絵美(星和書店)
https://www.seiwa-pb.co.jp/search/bo05/bn852.html
自分でできるスキーマ療法ワークブック Book2 著:伊藤絵美(星和書店)
https://www.seiwa-pb.co.jp/search/bo05/bn853.html
著者のfacebookはこちら。
マインドフルネスについては通院先の治療プログラムで行ったものと同じでよいようだ。マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK1に紹介されているストレスコーピングと行動認知の基本モデルが重要視し《ストレッサー》《認知》《気分・感情》《身体反応》《行動》の分け方に忠実に行うようにした(五蘊の現代語訳だと思うとそのまんまであると言える)。いずれにしても手放す手法がとても難しいようで、たどり着いたのは繰り返して慣らすという最も辛い方法なのかもしれない。
実践していったものの行き詰まりを感じたのは、安全地帯を作れなかったこと・安全地帯になり得なかったとも言える。もう一つは、途切れた記憶、小学校低学年の数えるほどの記憶しかなかったことで行き詰まってしまった。また、他者にサポートを求めことはできず、そもそも前述の通りセラピストもおらず難しい局面となっている。
ただし、「スキーマ」があるという仮定から入るこの方法は、トラウマを洗い出していくには心当たりに目星をつけることで良策で調べるうちになんとなく解ったもののやはり「人気」というより実際にそこまでたどり着けない人が多いから「自分でできる」シリーズに至ったのでは?と推測してしまうところで、それならばということでシリーズモノは一応網羅して著者の伝えたいことに忠実に行うこととした。更にストレスコーピングと行動認知の基本モデルの実践と紙にアウトプットをするという方法をここ数年続けている。
紹介もされているように行動認知療法で成果が出ないケースに該当しているのでは?と手にとって読み込み、ワークブックもはじめてみるというところまで、向き合う体制を作れたという意味で大変良かった。
上記の著書の仮想の主人公さんもそうであるが幼少の頃の記憶が原因になっているのは分かった。
医師に相談しているが通院先のカウンセラーの余裕なく、一人実践せざるえないという状況だったりするが、ヒントとして「アダルトチルドレンでは?」ということから矛先を「アダルトチルドレン」による「トラウマ」ほどきと方向性を変えている。「アダルトチルドレン」といえばこの本かなと思い
SNS(インスタグラム)を通じて克服実践を配信している方の著書であり、様々な気付きを与えていただいている。
“メンタルヤバめ”をやめられる本 著:池田由芽 (大和出版)
第一感情、第二感情として説明されている内、特有の造語で満たされなかった想いを充足させることを教えている。更には脳の3重構造の話題に至るまでなかなか深いと思った。著者のインスタグラムは@yume_ac_kokufukuさんです。
酒害家族自助グループに参加もしたりしていた
Al-Anon アラノン家族グループ
残念ながら生きなきゃいけないこの世の中で時間を割けなくなってしまい、吐き出すことアウトプットを目的としてこのカテゴリを作り、紙に書き出したことを、もう一回平旦な目で見つめつつ書き出すということをしている。「いいっぱなし」を目的とした。特に12のステップは重要な部分であり、AC・鬱が発症してしまうと今直面している諸問題に向き合うどころか気付けなくなり、世の中からおいて行かれてしまう深刻な問題が生じる。傷となったトラウマ自体を整理して、直面している諸問題=即ち「生活」を流れに委ねて、ひたすらトラウマから生じた性格や不合理を自省し祈る。「祈りを信じる」事自体が難しいし、神だのハイヤーセルフだの霊的だの、一見頓珍漢な部分もあって、とてもキリスト教的である。同じ悩みを持つ人達と集団を形成することに於いては仏教にも通じるが、正常な幼少期を過ごせず歪な自我形成してしまった人たちが、取り組む方法が仏教にはほぼなく、絶望的である。
マインドフルネスについては以下である。
呼吸によるマインドフルネス 著:ブッダダーサ 比丘(法藏館)
当初からお世話になっている書物。個人的には2009年に静慈彰氏が主催されていた「東京ヴィパッサナー瞑想道場」などでも導入の初歩の段階のみで習っていた。ヴィッパサナに関してはその当時参考になる本は選ばずアルボムッレ・スマナサーラ長老の沙門果経(下記)、瞑想経典編(下記)などを参考にした後は、実践として「4つの組・各4ステップ」の参考書として「呼吸によるマインドフルネス」を実践に用いてきている(初版が2016年なので10年には満たないが)。現在的には中に紹介されている短縮した実践方法を用い第一禅定に入いる方法はよく使っている。
瞑想経典編:ヴィパッサナー実践のための5つの経典 著:アルボムッレ・スマナサーラ長老(サンガ文庫)
沙門果経:仏道を歩む人は瞬時に幸福になる 著:アルボムッレ・スマナサーラ長老(サンガ文庫)
ヴィッパサナ瞑想が流行り始めた頃、実践は「東京ヴィパッサナー瞑想道場」と考えていたことから参考書を手に取ることはなかったが、主催者の都合により一旦閉鎖となった後、途絶えてしまっていた時、黙々と座っていた頃読んでいたもの。体系化されたものの解説書ではない。
以降「東京ヴィパッサナー瞑想道場」情報源がSNS(mixi)だけだったため、2019年まで主催者の方のご著書を拝読することになるまで連絡すら途絶えてしまっていました。
私自身も2012年に火災にあい、時代の変化に自ら向かうことだけになってしまったため、身近に師や出会いが仕事関係に限定されるようになって時計も止まってしまっていたような状態です。昨今もトンでもない宗教家との出会いで完全に脱線しているのでしょうね。
イライラ、不安、無気力、トラウマ……負の感情がラクになる 「ポリヴェーガル理論」がやさしくわかる本 著:吉里 恒昭 (日本実業出版社)
元々自律訓練法など注目している自己調整法や自律神経に関しては、その心理状態や気分など喜怒哀楽を身体の状態に置き換えた理論で別の理論と言えると思う。「喜」に関しては脳内物質ドーパミン・セロトニン・オキシトシン、加えてβ-エンドルフィンなどで説明できるが、「怒」や「哀」に関しては脳内物質で考えるのは少し足りないと思っていたところ行き着いた理論で、脳の三位一体論の仮説にも繋がりもあるようだ。
タッピング入門 シンプルになった〈TFT&EFT〉 著者:R. テムズ 訳:浅田 仁子(春秋社)
感情開放テクニック(ETF)についても参考になる本
【AC・トラウマからの開放を目指して】祝福されない
2017年12月24日籍を入れるつもりで、2017年7月、結婚の日時の報告という形で、私側は、毒母、姉、妻側から、母、弟、を呼び両家の顔合わせを組みました。
確かに、古いしきたりを無視した、顔合わせという形もありますが、所謂、結納やら挙式などやるつもりもない二人、当然、指輪の交換なんてありませんしそこにあるのは「絆」です。
そうクリスマスイブなんです。なぜそうしたかというと、お互い仕事を持ちお互いの中でこの日であれば、キリスト教信者でもない日本の新しい風習にかこつけて結婚記念日としようという糸がありました。
2017年12月24日、当日、改めて挨拶の意味も込めて、母に電話します。
毒母:「私はきいてない」
私:「何いってんだ、2017年7月にそういう案内しただろう!
毒母:「私はきいてない、ゆるしていない」
こうしてここでも毒母のわがままで私に泥を塗ったくりました。
「ふざけるな」そんな気持ちでいっぱいでした。
無視して入籍する方法もありましたが妻のお母様からストップがかかり、翌年の1月7日に変更することになりました。
おかげさまで、令和7年(2025)は青銅婚式(8周年)、また、祝えず祝われず、思い出す度に「毒母のわがまま」で苦い顔をしています。
【AC・トラウマからの開放を目指して】うつをかくして
なかなかその時も治らず復帰できず時間がかかったのを覚えている。今のようになんでもネットにビジネス紹介をする時代ではなく情報が溢れている時代から一歩手前というところだろうか。うつ病や睡眠障害・発達障害など、不利となる時代なので入社時その事は伝えていない(まぁ、中途採用なんて「場合によっては何かしら問題抱えていることぐらいわかるでしょう」というのが現実かと)
L社に勤めてたときは、前職場でうつになってしまったことを隠して入社している。気持ちが完全に危険域に入ってしまい、一日全休して、通院(有楽町)帰り秋葉原によった時、気晴らしで歩いていたのを関係会社の方に見掛けられ、「サボり」とみなされて、追求を受けることになったことがある。暗い雰囲気の個室のある喫茶店で囲まれて萎縮も助長された。すぐ疑われるというあまりいい思い出ではない。有楽町に通院していて途中立ち寄ったという事実をありのままに伝えて不問となった。それ以上の追求もなかった。
《認知》「どうしよう困った」「何でこんな事になっている?」「うつ病のこと言えない」
《気分・感情》不信への心配、首切りの不安、諦め、苦痛が更に増えた
《身体反応》心配と不安と恐怖でドキドキバクバク、頭痛、萎縮
《行動》思考停止、やる気の低下、負のループ