下総国葛飾郡より

ここ(今住んでいるところ)に来て三年か、更に今の場所に引っ越してから丁度一年が過ぎました。そんな一年が過ぎたとたん、このひと月ほど、(冗談半分に)様々な怪奇現象・・・ミステリーをまとめてみます。

越してきた頃から気になっていたことなんですが、磁界が・・・そこは、持仏棚(仏壇)のある付近を中心に、富士の樹海に紛れ込んだかのようにコンパスが効かなくなるところがあるんです(がくぶる)。といってもコンパスがくるくる回りませんが(笑)、北をさす方向が違うんですね。・・・・仏様のせいで・・・ここは空間が曲がっているのかもしれません!。・・・いやいや・・・どっかに磁場でも狂わすモノがあるんでしょうね。「ハッハッハ、んなばなな」な方もおられるでしょうからタネを明かすと、コンパスもって、そうですね。。。冷蔵庫のそばにいってみてください!「あれ?」な事がおきます。最初は裏に配電盤があるのでフレミングの法則(右手の法則や左手の法則)を思い出して「んーこれかなぁ?」と思っていたんです。で、休日、コンパスもって歩き回ってみて、風呂場や洗濯機などが最も強い原因というところ。まぁ、面白いことに自然に本尊のそばは綺麗に北をさすコンパス、偶然の一致にしては面白すぎること、だって別の所からそのままの状態とはいえ越して持ってきたんですから、偶然の一致にしては希な事ですし。そして坐るとホントは真北じゃないけれど、磁界・・・コンパスの上では北になるので、「ま、いいか」なことです。なんか曼荼羅みたいですね。

そんな持仏棚の目の前にはベランダがあります。いつも帰ってくるとはいえ、この数週間、ベランダを開けることがなかったんです。先週のよく晴れた日、ふとベランダに出たんです。目の前にバッタが・・・死んでました。確かに雨樋もありますが、ここ3階なんですよ、まぁ、ここひと月ほど前、コオロギが部屋に入ってきたこともあるので・・・最初は黒い影、「G」かと思いましたが・・・殺虫剤なんてないので、捕まえて外に逃がしたりもしていたんですが、コオロギの恩返しでしょうか?!・・・タネを明かすと、先日の台風15号の爪痕だと思われます。羽に乱れもないので、どこかに叩き付けられたわけでもなく、そよそよ風の赴くままに巻き上げられてきたのかもしれませんが、力尽きたのがここだったのでしょうね。しばらく1週間ほど放置(ただ構っていられなかっただけ)していたんですが、コンクリートジャングルだから本来は虫すら立ち寄らない所でもありますけれど、なかなか腐敗が進まなかったので、若かったのに偶然の事故にでも遭われたのでしょうかね。

更には、”比較的”、夫婦円満な二人暮らしですが、つい先日大げんかとなりました。私は原則、引っ張る方ではないので、私が一旦家出するも、数時間後には奥方が「食べたい!」といっていた「焼き芋」をゲットして帰宅。気にはしつつも、のほほんとしてましたが、奥方は一回は完全ピークに達してしまったので甄権恐々としていたんでしょうね、「ぷんすか」しつつもお互い気を使いながらも翌日には普通におしゃべり。しばらくすると「まだ怒ってるんでしょ?」と言われ、「うううん」とそれとはなく。基本「自由人」な奥方も、会社にはこっそり転職活動していたり(なかなか進まず)、気候の変化やらで、結構気疲れしていたんじゃないかと。本人自覚はなかったようですが、そう伝えると何か思い当たるモノがあったのか・・・かくいう私自身がそう自覚していた事も話をしました。仕事柄、合う方々を総合してみると、やっぱり「夏」が終わり「秋」に入って「台風」が来て・・・そんな時は「認知症」の方は起伏が激しいし、ご高齢の方は体調も下降気味だったり、または「揺り戻しうつ」の様な方が増えていたので、まぁ、そんなところじゃないの?と、犬も食わない夫婦喧嘩に至っていたりしました。

そして、パソコンも一台壊れました(笑)。ファイルサーバ兼録画用パソコンだったんですが、越してきた時、一台余っていたハードディスクをテレビに外付け増設したので、奥方も簡単に録画できる環境が整って、私自身も坐って瞑想する内に、時間も無いし、録画して見るものも単なるコレクション化していたのも事実で志向もズレ始めていたのを気付いていたので、今は他が動いているならいいかって事で、そのまま諦めることにしました(苦笑)。時期も丁度台風が来てパソコンの空冷方法も考えつつUSBファンを設置したりなんてした後で、そのパソコンは放置していたんですよね。夫婦喧嘩のその前日だったかひどい落雷のある日もありまして、近くの地域では瞬間停電もあったそうで、過電流かな、火を噴かなくてよかったのかも。

色々、謎も、わだかまりも、「融(解)け」て、まぁよいかなと。

そうそう、最近ひとつだけ嘘になっちゃっていることもあったんで告白すると、「仏滅」はナイトスタンドブッディストお休みデーとしていたんですが、そういう時に限ってなんかしら、「やらねばのぅ」な事がおきて坐ることが多くなってきました。なので、「仏滅」に限らず休みは不定期とします!(単に気分)。「仏滅」で思い出しましたが「大安」って「泰安」って書いてたんだそうで、字からすると、個人が大安の恩恵なんではなくて、大抵「大安」の日はイレギュラーな珍事が多く、まぁ大抵は丸く収まって皆さん笑顔を見ていることから、社会や地域にとって「泰安」なんじゃないの?、つまりみんなハッピーデーって事なんじゃないの?と思う今日この頃です。ま、占いなのでどうでもいいことなのかもしれませんが、まぁ、欲をかいて動いても何になる日でもないんじゃないかということ、それより周りに好くなるように行動するための日なんじゃないかと。こういうのって験担ぎってのあるので。

台風15号、下手すると昨年の引っ越しの時期に、足の踏み場・・・コマ間違えると、上総国・安房国あたりに飛ばされていたかもしれないので、今頃とんでもない目に遭っていたかもしれません。今だ困っておられる方もおられるらしく早い復旧お祈りすることしかできませんが、正直、人ごとじゃないですね。当日、倒木やらあって道がふさがれていたりしたこともあったんです。よくいく施設の目の前には神社があるんですが、社の裏の大木の枝がポッキリ折れてしまったりと結構いろんな所に爪痕が残っていました。落ち着いた週末、そこの神社に紙幣一枚奉納してきましたよ、早い復旧を願ってお役立てくださいと。いつも願うこともないまま「無事過ごせました!ありがとうございます!」と思いつつ「祓え給い、清め給え、ながら守り給い、え給え」と手を合わせてくるところなのですが。。。痛々しいじゃないですか、地域守って鎮座されているのに、もしかしたら周りを守っての一本だったのかもしれませんし。「風吹けば桶屋が儲かる」なんていいますしね。そんな事を心の鏡に映して思いはせると、まぁ、気づかないうちにしょわされていたモノも少し見直してもいい時期なのかもしれませんね。ま、お暇はありませんがね(遠い目)。

元気ですよ!

いや~、元気ですよ!

多分、皆さんと同じで。。。仕事も頑張りまっすノ。

けれども今日も理趣経読んで、アーナパーナで坐って、その後は念持仏にご供養して、・・・「今日も一日ありがとう!」して・・・もとい、その頃には空っぽになって、「皆ともに仏道を定ぜんことを」で・・・寝ます(笑)

いやいや、反応してしまいました。おやすみなさ~い。

佛法僧

つらつらと書きつつ、一応、必要に応じて「旧字」を使うことがあるのは、敢えて省略されない「字の元の意味」に帰る気持ちを込めて「旧字」で書いていたりします。(あくまでも私の認識していて解る範囲で)一つの法則性を出来るだけ保つ様にはしていますが、なかなか全部は難しいものです。校正の作業って大切なんですよね、多分。

『空性』を読み解くのにいくつかの経典を指し示してみましたが、様々な邦訳のある『小空性経』については今一歩どれ(「光明寺経蔵」様訳「マニカナ」様訳)も納得(合点)のいく内容で訳されていないなぁという違和感を持ちます。あ、否定しているのではなく、ここまで訳してくださったことに本当に感謝しているのですが、言葉遊びだったり哲学だったり、何かが足りないな。。。と思えてしまうのはアプローチの違いなのだと思います。物語のように読むと「釈迦」と「阿難」とのキーパーソンが出てくるのですが、大抵の訳されている経典の邦訳や漢訳をみると、キーになる「質問」ないし「設問」に韻を踏むように「偈」の様にして返してお釈迦様は答えていることが多く見受けられます。(原文ないし訳者が思う)大事なところを印象づけるためなのでしょうね。少なくとも小学校の国語の成績は「アヒル」(=「2」)の人なので私の戯言でしかないでしょうが(笑)。今思えば、詰め込み勉強・・・嫌で嫌でしょうがなかったですわ。

ここに気がつくのはそれぞれの原文(「光明寺経蔵」様)と漢訳との対比と邦訳を眺めてみると長短や余計なつけたしがあったりと(おそらく当時の理解上必要だったとも思える)、合点がいくのではないかと思いますが、少なくともこれらの付け足し・・・方便が解釈の仕方で様々な歪みも後世生んでしまったのか・・・核心は同じだったはずなのに、様々な部派や宗派が生まれ・・・、核心から外れたものを尊んで・・・、『歪み』のようなもの・・・、まぁ、そもそも論で、本職でもない、学者でもない、途上にいるかすら解らない、私の言うこと、そういう「う○こ」な戯言なので気にとめてもしょうがないでしょ、ってことで。

さて本題。

対比には「光明寺経蔵」様訳「マニカナ」様訳は分類とつじつまなど、それぞれ、よくまとまっていて、詩句のように読んでいって、そういう読み方の中で、核心部分に違和感があったのでさらってみると、所謂、「教科書読み」の方法で結論をかいつまんでみると『小空性経』からは間接的に、三宝、つまり「佛法僧」の文字が浮かんでくるともいえる。

原文の「すなわち」(yadidaṃ)を追ってみると(ここでは、「光明寺経蔵」様訳に拠って、「マニカナ」様訳の段落分けに拠ってみます)

閑林想
176-13.比丘僧伽による単一性が。
176-18.閑林想による単一性が
176-20.閑林想による単一性が

地想
177-8.地想による単一性が
177-10.地想による単一性が

空無辺処想
178-4.空無辺処想による単一性が
178-6.空無辺処想による単一性が

識無辺処想
179-5.空無辺処想による単一性が
179-7.識無辺処想による単一性が

無所有処想
180-5.無所有処想による単一性が
180-7.識無辺処想による単一性が

非想非非想処想
181-5.無所有処想による単一性が
181-7.非想非非想処想による単一性が
182-5.まさにこの六処ある身による、生命を縁とする〔煩いが〕
182-7.非想非非想処想による単一性が

無想心三昧
183-11.まさにこの六処ある身による、生命を縁とする〔煩いが〕
183-13.まさにこの六処ある身による、生命を縁とする〔煩いが〕

そして、最上の空性に至るワケなんでしょうが最初に「比丘僧伽による単一性が」の説明は非常に浮いた始まりですよね。もう一つの訳に拠ってみても同じで「単一性が」が「独住が」に置き換わるだけです。そう感じるのは私だけなんでしょうか?。漢訳を参照してみるとはっきりしてきますが、「唯比丘衆」といっているだけなんですよね。三昧に入って住しているといいたいところなんでしょうね。

つまり、「僧伽」に始まり「法灯明自灯明」で「法」に触れ最上の「空性」を以て解脱に至る「佛」に向かう指向性を導いている「三宝」のお経なんだなぁ、と勝手に解釈していました。つまり、空性にも段階があると。段階があってだんだん育っていく菩提心のように。

苦しいなと思って方便に触れてみたけれども、苦しみは解決されずその方便が「法」ではないと気がついて、いったい何が本当のことなのかと、身体を観察して、心を探ってみるようになり、最初に戻って足りないものを補完して、更に心を探究してみると、結局「欲」にぶつかり「三毒」が原因であることに気がつき、わだかまりを溶(解)きつつ、また心を探究してみると、強い「我執」に突き当たり、複雑に絡み合った「自我」との向き合いから、全く以て自分だと信じていたものが「思いどおりにならない」無常無我だと気づき、心もまた「かりそめ」の仮名で「無常無我」を確信して・・・、まさに

我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従身語意之所生 一切我今皆懺悔

残念すぎるほど最初は全く解らないけれども過去も解らないけれども三業で作り出された悪業にまみれて生き、世間の慣習だ常識だ道徳だの無明にまみれて、それを繰り返し続ける「輪廻」のようなもの・・・ですね。自分のものでもない水やミネラルやタンパク質などでできあがったこの身体も、科学の目で見たら絶対に解けない「我」というプログラムで執着し続け、自他を切り分けて勝手に世間のものさしで割り当てて分別し・・・絶対に苦しみの原点を捨てきれない、まさに絶望してしまいますよね。私のように弱いものは、本当はちゃんと戻るべき場所として「佛法僧」が必要なのか・・・と思えた経典でした。

その当時、物語に戻って阿難が釈迦に質問した時の段階に自分が達しているかも怪しいなと思えていますし、唯、先に必要な気づきのポイントを指し示しているのはよく解るようになっていると思うんですよね。一応知られている史実ではお釈迦様が生きてらっしゃった時は阿難は悟りにいたっておらず、根本分裂が起こる遙か昔、第一回結集で経蔵がまとめられる時になんとか間に合ったという物語があります。あ、ちなみに巷に言う「空無辺処想」にすら、ちゃんと私は達していない(理解できていない)と思ってますので誤解のなきよう。。。

死の王

前回の続き、スッタニパータ「第五 彼岸に至る道の章 学生モーガラージャの質問」より、元々、バラモンのバーヴァリのお弟子のモーガラージャ(Mogharāja摩訶羅倪、面王)の質問ですが、『死王』(maccurājā)とはなんぞや?だったりします。別訳があるのでそちらも参考に

同じく『死王』についてスッタニパータと同じくこのように世界を観ずる人を、〈死の王〉は見ることがない。(Evaṁ lokaṁ avekkhantaṁ, maccurājā na passatī)」といつ一文でダンマパダで発見できますが、併記してみると。

「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空(くう)なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、〈死の王〉は見ることがない。」(ブッダのことば―スッタニパータ  中村 元訳 (岩波文庫))

「世の中は泡沫のごとしと見よ。世の中はかげろうのごとしと見よ。世の中をこのように観ずる人は、死王もかれを見ることがない。(ブッダの真理のことば 感興のことば  中村 元訳 (岩波文庫))

本来「空(suñña)」「空性(suññatā)」の事でしたのでここから読み解けるのは勘のよい方なら言わずとも、読み解けてしまうと思います。後者の『泡沫のごとし』『陽炎のごとし』は大乗経典で「空性(suññatā)」のキーワードとして使われています。

こうやって併記して考えていくと『死王(maccurājā)』という表現は、どうしても克服できない「死への恐怖」ぐらいの意味(死苦)を比喩しての表現だったのかもしれませんし、本当に当時『死王(maccurājā)』を信じられていたのかもしれませんし、定かではないです。しかし面白いですね!こんなこともあって、前回、スッタニパータとダンマパダがごちゃごちゃになってしまった私でした、お恥ずかしい(苦笑)。先生にご指摘頂いて速攻で直したのですが、「残しておいた方がいいよ」というのもあって訂正線で処理させて頂いてます。

さて、「空性」のキーワードは、「諸法無我」と結びつき、更に発展していって十縁生句となり、所謂「大日経(大毘盧遮那成佛神變加持經)」で

深修觀察十縁生句。
當於眞言行通達作證。
云何爲十。謂如幻。陽焔。夢。影。乾闥婆城。響。水月。浮泡。虚空華。旋火輪。

となっていったのでしょうね(つまりは、縁起)。

「自我に固執する見解をうち破る」といえば「無我相経」(雑阿含経 求那跋陀羅訳)や「五蘊皆空経」というのがあるのですが、経題からして、般若心経とリンクします。初っぱなで「五蘊皆空」と出てきているのは、『空(शून्य 梵:śūnya/巴:suñña)』で「法空」、般若心経の残りの「空」は『空性(शून्यता 梵: śūnyatā/巴: suññatā)』なのも意味があるのでしょうね。

「いや~、うん○!」な駄文で補足となりました。

毘盧遮那考察(7)

あれから半年が過ぎてしまいました.。o○

そろそろ眠りから覚めねばということで続いて熟々と綴っていこうかと思います。

書物など「空」を探求すると、膨大になりすぎてよく解らなくなってしまうもので、特に大乗の思考に捕らわれるとギブアップな感じもしてくるワケで、今回は根本仏典から少し整理してみようと思います。

根本仏教で「空」について触れるものとして代表的な仏典に、スッタニパータ法句経(ダンマパダ)と中阿含経の空小経(チューラスンニャタ・スッタ、=小空経=小空性経)とがよく引用されています。

スッタニパータダンマパダ(法句経)では、「第五 彼岸に至る道の章」の「学生モーガラージャの質問」:

モーガラージャさんがたずねた、「わたくしはかつてシャカ族の方に二度おたずねしましたが、眼(まなこ)ある方(釈尊)はわたくしに説明してくださいませんでした。しかし『神仙(釈尊)は第三回目には説明してくださる』とわたくしは聞いております。<1116>
この世の人々も、かの世の人々も、神々と、梵天(ぼんてん)の世界の者どもも、誉(ほま)れあるあなたゴーダマ(ブッダ)の見解を知ってはいません。<1117>
このように絶妙な見者(みて)におたずねしようとしてここに来ました。どのように世間を観察する人を、死王は見ることがないのですか?」<1118>
(ブッダが答えた)、「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空(くう)なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、〈死の王〉は見ることがない。」<1119>

(ブッダのことば―スッタニパータ  中村 元訳 (岩波文庫))

チューラスンニャタ・スッタ(空小経)からは比較的長いのでピンポイントで以下は一部分をを抽出します:

たしかに、このことは、アーナンダよ、善く聞かれ、善く受け取られ、善く注意せられ、善く知られた。かつて、わたしは、アーナンダよ、そして、今も、空性の住処に、多く住している。
あたかも、この鹿母堂が、空(=中にいない)であるのは、象や牛や馬や騾馬についてであり、空であるのは、金や銀についてであり、空であるのは、女と男の集まりについてであるが、この比丘の教団による独住だけは、空ではないように、

そのように、実に、アーナンダよ、比丘は、村についての想いに集中することはなく、人についての想いに集中することなく、森についての想いによって独住に専念する。
かれの、森についての想いに向かう心は、躍進し、喜び、確立し、信に向かう

心にしみる原始仏典>小空経(『マッジマ・ニカーヤ』第121経)

同じく、チューラスンニャタ・スッタ(空小経)を訳したもので、

アーナンダよ、私は以前もいまも、空性の住法によって、しばしば住しています。
例えばアーナンダよ、このミガーラマータル高楼は、象、牛、馬、驢馬について空であり、金銀について空であり、男女の集合について空であり、しかしこれのみは空性ならざるものとして存在しています。すなわち、
比丘僧伽による単一性が。
まさにそのように、アーナンダよ、比丘は、邑想を作意せず、人想を作意せず、閑林想による単一性を作意します。
彼の心は閑林想に跳入し、浄信し、確立し、志向します。

光明寺経蔵>『中部』「後分五十篇」>「空性品」>「小空性経」)

5月の合宿で散々、坊さん(静恵先生)を付き合わせて(今更ながら、ありがとうございました!)この部分お話ししていて思ったのですが、瞑想体験も通じて「やっぱり『空』は『無』ということだよね」ということで一致していたんです(更に深い秘密については言及避けますが)。チューラスンニャタ・スッタ(空小経)も読むと解りますが、「無」といっているのは「○想(邑想、閑林想、人想など)」で、実際に「そこ」に実体の無いものを「無」と言っているので、ダンマパダスッタニパータとチューラスンニャタ・スッタの二つから読み解けるのは、『空』は「空っぽ(英:emptiness, voidness, openness, thusness等)」とか「欠如」とか「無」で、『空性(梵: śūnyatā/巴: suññatā)』と『空(梵:śūnya/巴:suñña)』を使い分けているのがわかります。

漢訳の経典を見ると全てではないですがこの二つをあまり使い分けず、『空性(梵: śūnyatā/巴: suññatā)』も『空』と訳していたりするので、混同しやすいところなのかもしれないです。

『邑』にせよ『閑林』にせよ『人』にせよ、言葉ありきで考えれば、実際は認識の上で形而上的要素の集まりの抽象概念でしかない、『仮名』です。つまり、諸法(『邑』にせよ『閑林』にせよ『人』にせよ)の実相(言葉ありきで考えれば、認識の上で要素の集まりの抽象概念)だったりします。無いものは無いんです(無我/非我)が、「私(我)」という要素の集まりの抽象概念が、認識の上(心の中で)で存在してしまいます。

散々書いたので「もういいや」というところですが、法の有為と無為や法有我と言うことを考えると、有為法も無為法も、本来認識の上の形而上的概念でしかなく、実体は「無」んです(実相)。名付けられた概念(仮名)を仮に「袋」や「器」に譬えたら、諸法のその中身は「無(空っぽ)」とでも言えばわかりやすいでしょうか。そうやって考えると、「空性」を、中観派の祖である龍樹が「中論」で、一切有部が主張し始めていた「有為法・法有我」に対してのアンチテーゼとしたのも頷ける部分です。更に「法」なるものも「形而上」的なものであって「実体(実相)」もない≪不生不滅≫。

スッタニパータダンマパダとチューラスンニャタ・スッタで敢えて「ある」とか「ない」とか「存在している」とか言ってはいるけれども、それを解っているであろう人(常見も断見も絶てた人)に対しての表現であったと思われ、本来は「ある」とか「ない」とか「存在している」とか、「ことば」で言い表すべき部分ではなく、事象はそれぞれによって(相互依存性=相依性縁起)自立的・独立的には成立しない(無自性)ともいえますね≪不一不異≫。常見も断見の真っ只中の言葉ありきの私のごときには、戒めておく方がよいのだと思っています≪不断不常≫。過去現在未来という一切有部が主張する「三世実有」も同様に時間軸に対しても「縁起」で説明する≪不去不来≫。

結局は、「時間軸」や「全体と個」とか縛られている私たちがもう一度考え直さなければいけない、「諸法無我」「諸行無常」という「概念」を『空性(梵: śūnyatā/巴: suññatā)』と言う言葉に置き換えて、中道という原点(釈迦の教え)復帰を説明してくれたのが、上で言う、龍樹その人だったのだろうと思います。

さて、敢えて≪≫で括った、『不生不滅』『不断不常』『不一不異』『不去不来』は、龍樹(龍猛)菩薩の著した「中論」で「八不」といわれています。上の説明では足りない部分で、私の語彙では書ききれないという残念な話ですみません。ただ、『空性(梵: śūnyatā/巴: suññatā)』という単語はお釈迦様や阿羅漢達の境界であろうこと、弘法大師が伝えてきた浄三業の真言「ओं स्वभाव शुद्धाः सर्व धर्माः स्वभाव शुद्धो ऽहं॰(一切諸法は自性清浄なるが故に我もまた自性清浄なり)」にたとえられる様に『「わたし・わたしのもの」といったようなとらわれから解放された状態』ということを、「目指すこと」を示しているのであるのだと思います。とある書物の用語集から引用すれば

『「私」や「私のもの」といったような自我意識や魂といった概念から自由であること、煩悩からも自由であること、空である状態のこと』(「呼吸によるマインドフルネス」ブッダダーサ比丘著

という表現がぴったりだなと思うのでした。

また単に『空』と漢訳経典に一致させて表現していますが、二つの経典からは敢えて混同を避けて『空(梵:śūnya/巴:suñña)』と『空性(梵: śūnyatā/巴: suññatā)』は別物としてとらえた方がよいのでしょう。

でも人(少なくとも私自身)というのは「無」に物質的な何かを与えたがる生き物で、ダークマターの存在を追いかけるがごとく、実体にしがみついてしまいながら科学を追いかけてしまうのでした。GIGAZINE「触れるだけで惑星が崩壊するといわれる「宇宙で最も危険な物質」とは?」という記事に紹介されている動画を見ながら、「有」という存在に惹かれる自分にハタと気がつきました。まさに「顚倒夢想」ですね。

これも一つの我執なのでしょうね。ほど遠い。。。

「東寺-空海と仏像曼荼羅」展行ってきました

「東寺-空海と仏像曼荼羅」展行ってきました。

いやいや、奥方が珍しく誘ってくれたので、断るはずもなくGo!ノ

流石に1200年も経ってると・・・展示品も劣化が止められるわけでもなく結構すり切れてしまったり、保存するのは大変だなぁと、そして何よりその展示物一つ一つ大きさが結構あったり。

結構な混み具合で一つの展示物も人だかり、熱気(熱意?)もすごくて結構当てられてしまいましたわ。どこを観ようとか特に決めずに行ったのもあって貴重な展示物、大抵は生で見て記憶に残すだけで楽しむのが私の流儀なんですが、もしかしたら、色々思うところもあって、またそれどころじゃないかもなぁと予測はしていたので「公式図録」も買って来ちゃいました。

毘盧遮那考察(6)

新年明けましておめでとうございます。
今年も、弁天さんで「凶」をいただいてきました(`д´)ゞ相性がすごいですね!

さて、「架空」と書きましたが、その「空」の思想の元となったのは般若経で、さらには龍猛菩薩の「中論」までたどれると思います。

先にも書いたとおり、「有」「無」といった二元論にどっぷりつかる中、私には「一切皆苦」が受け入れられず、一旦、仏教の思想を捨てた者です。そこには「空」や「中道」の理解が足らなかったのは言わずもがなです。それでも、龍猛菩薩は三法印に付け加えて四法印にはしなかったんですね。戻ってきた甲斐あったってもんです。

今の日本の社会は二元論で、それが実相でマイノリティ=異端は徹底してつぶされますから。ある意味それは貨幣経済+資本主義+科学の投影する副産物のようにも思えます。かといって共産主義や社会主義に傾倒する気もないです。その系統で「頭いいなぁ」と思ったのは唯一「不破哲三」ぐらいで今でも持ち上げているところからすると超える人いないんでしょうかね?今の責任のなすり合いを常套手段にしている政治の中はどうでもいい話ですが。ただこの貨幣経済は仏教には相当に毒でもあったように思えます。都内に住んでいるとこの「貨幣」がないとどうにもならないところがありましたが、ちょっとズレて隣県の外れに住むと、物々交換的なところの一端に触れられます。在りし日の下町の風景(聞いた程度で実体験していませんが)も近かったのかもしれませんが。

初期仏教教団は第二回結集の後、アショカ王の時代に根本分裂を起こして大衆部と上座部に分かれたとされます。アショカ王マウリア朝時代とされている(南伝ではさらに前のシシュナーガ朝時代とされているが、どっちであったとしてもすでにそういう流れであったのかもしれない)。インフラ整備を行い流通が盛んになり貨幣経済になっていったのがマウリア朝時代、アショカ王の功績ともいえる。根本分裂の原因が十の例外(上座部では十事非法とした)を認めなかったとしても時代の変革に対応できなかった教団側の問題なのかもしれず、私には腑に落ちない話でもあります。厳しい戒律を設けようとした時お釈迦様はどうされたのか頑なな弟子に何と説いたのか?。というのは、現代でも頂き物をするとき欲しくなかった物や意図しない物であった場合、断れるか否かだと思いますし、在りし日を懐かしんでいても理想は理想として時代の変化に柔軟に対処できるのも必要だったのでは?時の上座部のあり方に疑問もあったりもします。私が今のテーラワーダに排他性を感じるのもここら辺りからでもあるのかもしれませんが、学ぶモノは混じりっけのない確かなモノでもあるので、成ってしまったモノはしょうがないということで閉めるしかないところでもあります。

ただ、この分裂により枝末分裂となり部派仏教の時代になっていくと、20の部派に分かれたとされています。大衆部に分類される部派の中には今の龍猛菩薩の中論の前身になったような考え方の部派(説仮部(Prajñaptivāda))も存在していたことがわかります。その名前に注目すると「Prajña(प्रज्ञ(般若=智慧))+pti(प्ति(夫))」は「仮の指定・設定」(「概念」)の意味であり、「vāda(वाद(主義))」という意味で、説仮部という訳は妙ですね。「Prajña(प्रज्ञ(般若=智慧))+pti(प्ति(夫))」の「Prajñapti(प्रज्ञप्ति 「仮の指定・設定」)」は「施設」とか、仮設・仮説(けせつ)、説仮(せつけ)、仮名(けみょう)という単語(漢訳)に置き換えられます。弘法大師が「三教指帰」の中で仏教者を「仮名乞児」としたのはこれらの事実も知っていてだったとしたら頷けますね。

敢えてお大師に倣って仮名(けみょう)とは「空」の概念です。大乗起信論の帰敬偈の法宝を意味するところ 「彼の身の体相の法性真如海、無量の功徳蔵」とありますが、「法性真如海」は「仏様の本体」を意味し、「真如」は「空性」です(「『大乗起信論』を読む」竹村 牧男著)。大日如来は法身です。毘盧遮那考察(4)で書いたとおり、「法身」の「実相」です。真如海は言い換えれば「空海」ですね。弘法大師に曰く、「五大皆響き有り 十界に言語を具す 六塵悉く文字なり 法身は是れ実相なり」です。龍猛菩薩は「中論」において、帰謬法で「法有」を否定していってたどり着くのが「衆因縁生の法、我即ち是れ無なりと説く。亦た是れ仮名(けみょう)と為す。亦た是れ中道の義なり」(鳩摩羅什訳)で「縁起」=「空」=「仮名(けみょう)」=「中道」が等号で繋がれた公式を生み出せると思えます。切り離さず思惟すると、中村元先生の説が、弘法大師の伝えたかったことに一致してくると思うのは私だけでしょうか。

それぞれ細かく触れていきたいところですが、ここまでにさせてくださいませ。ちなみに、正月の休みにシコシコ画いたものまで使うには至らなかった~。ごめんなさい。

いや~、うん○!

になってしまったのでした~。

まぁ、凶のおみくじも、またこれ空なのですよ。

Buddienceで面白かった件

いや~、うん○!

↑ちょっと気に入ったらしい。

先週のことか、ちょっと記事読んで試してみたら、岐阜大仏だった件。

個人的には携帯(iPhone)で撮ったら斜め下から見上げるような画像になって「う~ん(-~-)」とか思ってたんだけれど、意外とマッチングが気に入ったのでした。

ほかのも見てみたいので是非こっそり教えてくださいまし>奈良大学Buddience

関係ないですが、「reCAPTCHA」更新してreCAPTCHA v3に変えてみました。使い心地は変わらないと思うけどコンタクトフォームとか試してみてね~ノ

毘盧遮那考察(5)

いや~、うん○

え?どっかに染まっている?いやいや、気のせいです。当たらずとも遠からずなので。さて「どっか」といえば・・・坊さんブログの「クズでもオッチャンは)」を読んでいて『心痛むな』と思う今日この頃です。

身体を観察すると思うに内部恒常性(ホメオスタシス)といって、外部の環境に内部環境を一定に保とうとします。そういう外部の刺激に内部(身体)を一定の状態を保とうとする無意識の選択からすると、「変わりたくない自我」いても必然、開き直って「グズ(愚図)」なんですよね、自戒を込めて書くと。

さて、「うん○」ですが、お釈迦様は「またその九つの孔からは、つねに不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、(一九七)鼻からは鼻汁、口からは或るときは胆汁を吐き、或るときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。(一九八)」(『ブッダのことば』(中村元訳)第一「蛇の章」一一「勝利」)といい、他には「われは(昔さとりを開こうとした時に)、愛執、嫌悪、貪欲(という三人の魔女)を見ても、かれらと淫欲の交わりをしたいという欲望さえも起こらなかった。糞尿に満ちたこの(女が)そもそも何ものなのだろう。わたくしはそれに足でさえも触れたくないのだ。(八三五)」(『ブッダのことば』(中村元訳)第四「八つの詩句の章」 九「マーガンディヤ」 )と語られている。後世、この身体を「糞袋」や「九穴の糞袋」なんて表現しているのも真理なんです。昔私の時代なんかでは「アイドルだってうん○する」なんて言ったものです。私たちの身体は、現代的には「うん○製造マシン」ってところでしょうか。

大まじめに「うん○」を分析してみると、古くなった赤血球などを脾臓で分解した時に「ビリルビン」が代謝物になり、肝臓に送られ更に胆汁となって、更に腸の中で「ウロビリノーゲン」になり黄色から茶褐色のあの色になります。アミノ酸が分解されてインドール(C8H7N)スカトール(C9H9N)などがあの匂いですが、実はその匂い微量ですとジャスミンやオレンジなど花の香りに含まれています。内容物はと言えばたった5%の食物の残渣と、10~15%の腸内細菌の死骸、15~20%の腸壁細胞の死骸と、60%の水で出来ているそうです。とっても効率のいいことです。話はぶっ飛びますが、日本人の腸は欧米人に比べて少し長いんだそうです。欧米人にとって吉牛などの牛丼が「おやつ」というのも納得でその分日本人は吸収効率が更にいいんですね。昔の日本人が少しのおかずと沢山のお米で生活していたなんて話もありますから、その過程で腸が長くなったんでしょうかね?!どっから出た話かもわからないので置いておきますが。食物の残渣は消化の過程で溶けなかった植物由来の細胞壁などだと言われています。サラダでダイエットなんていいますけれども先にサラダを食べて、絡めて出そうなんて言うのも「うん○」の原理を考えるとなるほどな話ですね。でも、95%は身体になっていき、新たな不浄物を産んで、掃除も頑張るわけです。必要以上なら肥えるし、そこはサラダを増やして量を調節しつつ・・・結局そこは小欲知足も必要なんでしょうね。

話は戻って、「うん○」の「うん」は「हूं(吽)」だとすると、梵語として日本に弘法大師が請来したわけです。「ん」の字を五十音にせよ、いろは歌にせよ、最後に加えたのも御大師様だったと聞いたことがあります。その時代をうかがい知ることは結構困難ですが、少なくとも貴族達の生活は文学の中でうかがい知ることが出来るかと思われます。ちなみに「ちん○」は・・・諸説あるなかで、昔、天皇猊下が御自分のこと「朕(ちん)」と称されていて・・・「朕子」・・・長くなるので止めましょう・・・、ある意味それと同じように、「うん」+「こ(○)」を付けていたのは、あながち疑わしくもなく勝手に納得している私でした。

どんなに美食の限りを尽くそうともどんなに綺麗に美しく盛り付けた食事も、結局最後は「うん○」になるので、「हूं(吽)」は「終わり」を意味しているようにもとれます。弘法大師の著された「吽字義」を読んでも、「う~ん」と考えるだけでなかなか筆が進まない私はその「終わり」の意味や「死」・「滅」への言語的表現に、ほとほと困り果ててしまったことも、結構長く更新できなかった理由でもあります(単純に忙しくなってしまったのも最大の理由ですが)。「吽字義」に書かれていることはどちらかというと「密教」の教えの解釈論の中の入り口のように思えます。つまり、実践の過程で説かれた原始教典をはじめとする経典群のようなもので、弘法大師が請来した「密教」の内実を「梵字」を借りて説いている様にも読めてしまいます。そこにブログで書けるような答えはないんですよね。そんな簡単に解ったら1200年もの間、口述や伝統を借りて一見すると仏教という宗教という形を借りて、もっと言えば、お釈迦様が入滅されてから2500年進化を辿りながら続くわけないんですね。お釈迦様達はおいておいても、私たち的には、はじめは『裕福になりたく』てなのかもしれないですし、『幸せになりたい』かもしれないですが、そんな入り口も、その根源には「苦しみ」からの「解放」であって、それに対するものの見方の訓練として「死随観」などから始まり、生活を通じて「実践」を行い「取捨」し選択し「四無量心」やら慈愛と共存を学び・・・、ライフワークですね。でも共通しているのは「菩提心」で「苦しみ」からの「解放」は自分の成長次第でもあり。悪い譬えで「一攫千金」の譬えで「宝くじは買わねば当たらない」わけですが、当たる率だけで考えていくと、買う宝くじにどれだけ大枚をツッコまねばならないか、儲かるわけないわけです(笑)。けれど真理で「買わねば」(実践)「当たらない」んですよね。そもそも「お金」が「幸せ」なのか?とも色々考えていく必要がありますね。思い描く「幸せ」の中にもっと沢山の「お金」が必要とも解せられますね。けれど手にしても止まないのは何故でしょうね。

道を学ぶには実践も必要で、取捨して道理も知って智恵にして・・・その根源・・・菩提心・・・「苦しみ」からの「解放」を望む心=大願として悟りたいという切実な想いとそれに向かう力の根源・・・とでも言えばいいのでしょうか、これだけが残ってくるんですよね。でも、人間ですからあれもこれも捨てきれない想いも背負いつつ。つまりは「いや~、うん○!」だったわけです。

ちなみにお釈迦様の出家前の名前はゴーダマ・シッダールタ(गौतम शिद्धार्थ)ですが、漢写で「瞿曇悉達多」なのですが、『目的を達成した方』、『義を成就した方』という意味なのだそうです。密教経典でのアナグラムでしょうか、「一切義成就菩薩」として出てくるのは他ならぬ、成道以前の「シッダールタ」を指して菩薩としているようでしょう。一般的にはこの「一切義成就菩薩」は普賢菩薩=金剛薩埵と解されていますが、初会の金剛頂経(金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経)で金剛界法のキモとして五相成身観を修する主人公はこの「一切義成就菩薩」ですし、理趣経にも「一切義成就金剛手菩薩摩訶薩」として登場しています。その普賢菩薩=金剛薩埵の種子こそが「हूं(吽)」です。

お釈迦様は出家修行を通じて釈迦如来になられたように、私たちが金剛薩埵になって、実践を通じて大日如来(摩訶+毘盧遮那+如来)という架空の人格を設定して(なぜなら、私は「ゴーダマ・シッダールタ」ではないので「釈迦如来」にはなれませんし)、華厳経の中の登場人物のように菩薩道三昧実践しましょうとも。「吽字義」に説かれるように「हूं(吽)」字に一切がに含まれる結局「अ(阿)」に還るのも、何度も弘法大師が「大日経」を引用して、「菩提心を因と為し、大悲を根と為し、方便を究竟と為す」と説くのも、答えを言ってるんですよね。ただそこに、愚図っている私がいる。そんな「うん○」なお下劣話題ですみません。

「ツラかったこと」

坊さんのブログ(静恵先生)で「ツラかったこと」を読んでいて「残されたものへのフォローがツラかった。」に心打たれていました。

今でもしょっちゅう「死」について考えることが多いですが、どちらかというと私自身に対しての「死」に関しては、楽天的に「いつ終えてもいいように今を一所懸命生きよう」とぶれないようにポリシに従うことにしています。ツラい現状は「明けない夜はない」し「止まない雨はない」からです。そして今「出来ること」をする。

インターネットが流行りだした頃、今のようにSNSだとかない時代、こぞってホームページを作り、個人ページの掲示板やチャットを設置して交流する形が主流で(まだアングラ(アンダーグラウンド)サイトがちょこちょこあった時代ですから20世紀最後のあたりでしょうか)、とある個人ページの掲示板で知り合ったウェブマスターさんと仲良くさせて頂いていました。何かの話題から自死(自殺)について聞かれて答えたことがあります。

私は「もし、「死にたい」と考えることがあるなら、私は自分の親兄弟や友人に置き換えて相手の立場・気持ちになって、私の死を知ってどう感じるか考えてみるんです。悲しむ友人や親兄弟、それを考えるととても死ぬ気にはなれないです」と(だいたいこんな感じだったかと)。

そして死に別れた「親」や「友人」とは二度と語り合うことも、まして喧嘩することも叶いません。相手の立場になったつもりで泣き叫び苦しんで居る姿を想像してください。自分のために周りの人たちに苦痛を味あわせるなんて・・・多分、苦しみのどん底で何も見えなくなっているのだと思いますが、目を見開いて感じてみてほしいです。

私が父と最後に交わした会話は些細なことでの「大喧嘩」でした。病に侵されていた父は、その翌日、フラフラでして母と大喧嘩しながらタクシーで病院へ連れて行かれました。怒りが冷め切らない私は心の中で「二度と帰ってくるな、二度と顔も見たくない」と思ってました。そしてその日の夕方、本当に帰らぬ人となりました。あとで悔やんでも二度と交わせる言葉はありません。お互いがお互い尊重しあえていたら、些細なことでの喧嘩なんかなかったはずです。全ては「時遅し」ですね。

後に私は怒り憎しみの闇に覆われていて捕らわれていたことで、非常に尊敬していたことを見失ってしまっていたんです。ただそれまでは普段顔を付き合わせているとそんな事は微塵も感じないもんです。

でも、今考えてみて欲しいです。この一瞬が一期一会ならどうなのだろうと、この一瞬が偶然なのだったらどうなのだろうかと、実は「この一瞬」は奇跡のでもあるんですね、よかれ悪しかれ。よかれ悪しかれ、我の「業」なのだと思いますし、そこには我の「因」があったはずなんです。縁起にたって考えれば、悪しき因や悪しき業なら二度と繰り返さないようにすればいいだけで、簡単なようで非常に難しい。だってそもそも「我」は「存続しようとする」んですから。私は「我」として居る限り、やがてその「我」は一人歩きするんです。そして周りの環境や恵まれた境遇はたまた苦しみのどん底も「我」の中で「渇愛・妄執」「執着」してしまうんです。本当は現状こそが奇跡なのかもしれないのにです。当然「執着」に当たり前になると感謝の念もなくなります。「渇愛・妄執」「執着」は言い換えれば十二支縁起の「」(=渇愛・妄執)「」(=執着)に置き換えられます(十二因縁ってやや複雑で難しいので言及はココではしませんが、静恵先生曰く「渇愛」は再生ほどの意味と言います)。たった一言「ありがとう」と言えれば、たった一言「ごめんなさい」が言えれば、唯一人相手を尊重することが出来れば、たった一瞬でも相手を思いやれればと。

数十兆個の私を組織構成をしている細胞は少なくともそれぞれの使命(プログラムされたとおりに)を熟して今の一瞬を存続しているだけなんでしょうね。少なくとも「生き」「死に」なんて考えてないと思います。そして細胞レベルで既に「自己」(HLA/MHC)を識別までしているんです。根本レベルで識別能力を持ってる私たちは、自己を識別して自他を分別することはもう逃げられない宿命なんでしょうかね。

なのに仏教では「諸法無我」といい「諸行無常」という。

真我(アートマン)」だの「霊」や「魂」があるともないともいわない、だって議論そのもの不毛のことですから。その人の中に答えがあってそれぞれが真実で他者からすれば真実ではないのかもしれないんですよね、本人じゃないから解らないんですよね。仮に個体として生まれて自分の肉体としての実体があり生きていて「我」と認識していて、他者と共有できる心はホンの一部、言葉だったり表情や行動だったり。他者と共有できるのはたった一部です。

私にはどうしても「一切皆苦」が理解できなかった時代がありました。「一切行苦」の表現があることで氷解したんですよね。事象の喜怒哀楽は不安定に変化し続けていくわけですね。

上で言う「苦」は漢訳をした際「दुःख」を「苦」としたわけで、漢訳経典をまっすぐに受け止めて、且つ現代的に「苦」の意味で「一切皆苦」を理解しようとすると理解不能に陥ってしまうかもしれないですね。

つまり上で言う「渇愛・妄執」「執着」は自我においての当たり前は我が儘な勘違いなんですよね。全部は「無明」から来ることです。

追記:実は下書きを11月末日に書いていたのですが、一部負の意味での「当たり前」と言う言葉で表現していて、「坊さんのブログ」で同様に「当たり前」の言葉が散見されたので敢えて封印しようかと思っていたんです。その矢先12月1日どうしても都内(渋谷)に出る用事があって、暫く1年以上お参りできなかった八幡大師大日寺にお邪魔したところこの(大日寺さんに参拝のお許しを連絡しました、ありがとうございます)書きかけの投稿記事にさらなるヒント(「こころの修行塾・じっくりコース」にて途中参加させて頂きました)を頂けたわけです。「お大師」のお導きと思い、『当たり前』を『「渇愛・妄執」「執着」』と置き換えて公開する事にしました(わかりにくくなっていてすみません)。実は今月の行事のご案内が切り替わっておらず、その日に行事があったことを知らないで訪れたんですが、派は違えどやはり「南無大師遍照金剛」ですね。