2020年の秋突然の発熱から感染症でダウンしてしまい、丁度、コロナの時期とも重なって、体調がすぐれず、定期的に有給は消化していて余裕があったとはいえ有給がなくなってしまうほど休まざるえない状況になってしまった。体調不調が続いて復帰し無理くり職場に復帰して数ヶ月経ってからある日のことだった。無能な営業がスケジュール空白を作り、そも私のせいである、として、また同僚からも不満が出ている、というK社の社長自らの虚言で減給処分にしようとしたことに始まる。「社労士とも相談し、君の休職も考えたが、それはできないから減給にする」という話であった。いわゆる肩叩きの罠にハマって、頭にきてしまった私から「退職」の言質を取られてしまう。私は私で同僚に当然ながらこういう話をされ辞めるしかない事態になったことを伝え挨拶してまわって帰った。一瞬でこの話は仲間の同僚に広まり、不満を言った同僚探しが始まったようで、更には、「まずは体調不良なら休職期間を与えるべきだろう」と同僚から社長に申し入れが入って、事は急変した。翌日には減給処分の話も撤回したのか録音しながらだったので言質不利になる話は「しらない」「いっていない」と嘘を突き通し、「急遽、休職してもらいたい」として、会社の都合の悪いことにならないよう誰ともあわせないようにして休職が始まることになった。
《認知》「陥れて嘘までつくのか、コイツラ終わってるわ」「本気で頭きた」「嘘までつかれて頭がおかしくなりそうだ」
《気分・感情》怒り、恨み、虚をつかれ頭の中真っ白
《身体反応》ひどい落ち込み、うつ
《行動》棒に振らされた、怒りフツフツおさまらない
【AC・トラウマからの開放を目指して】《背景》:また邪魔はいるかもね
「《背景》:」には実際の背景だけでなく愚痴も含まれるし関係状況の変化によって反応も変わる為、トラウマやACの記憶に並列して書くのは不適当であると感じ分けることとした。
さて、私は元々仕事上だったりLINEは付き合いでやっていただけなのでアカウント削除は痛くも痒くもない。ゴミも溜まってきていたので綺麗さっぱりだった。
当初は真言宗醍醐派の僧を名乗るJがということで2017年頃に相手のブログで知り合った方だったが、Jの信じる「地域密着型生まれ変わり論:開発の進む地域で、過去の生まれ変わる前の人生(過去世)で現在の廃寺を囲む地域に過去の”同時期に生活”を共にし、Jとの結びつきや地位(?)の近いものを優位とした集団」とでもいいだろうか、それをも「法」と尊び、本来の仏教の路線からは何とも疑問符しか浮かばない。2020年頃にはブログのワンパターンなところや帰点の定まらない強い過去世物語への執着とそれを利用したマインドコントロールによる支配から少し距離を置き始めていた。おもちゃのロガーで追跡もどきをして読者に私がいると勝手に確信していたらしいのだが、ネットワーク素人なのだろうが本来のFTTHやマンションDSL環境の構造を知っていれば同じホストだからといって同一人物であるとは限らない訳だ。他にも離れていった方がいたらしいがあんな状態では当たり前だと思っていた。
私は人様の「やれ幽霊だ」の「やれ占いだ」の「やれ不思議だ」の他人の「それ」らを否定するつもりはないが、マインドコントロール支配で利用されかけた私としては、「探求」するうえでそういう執着は邪魔でしかないと思っているし、ずっとこれを訴えてきた。
Wikipediaは「カルト#概要」の「精神科医のロバート・J・リフトンは、カルトの特徴」にあるように以下が該当した
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説得のテクニック – 新たな信徒を獲得し、現状の信仰心を補強するために、寛大なものから威圧的なものまで手段はさまざま
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秘密の計画 – 集団は絶対的な真理と道徳観を持ち、信仰の真の目的と計画が曖昧であり、新規入信者や一般大衆には明確に提示されていない
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欺瞞 – 入信者や信徒は、指導者や集団の中枢部に関してすべてを知らされるわけではなく、また大きな混乱を招くような不備や厄介事に発展しそうな事件、あるいは状況は隠蔽されている
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金銭及び性的な利用 – 金銭およびそのほかの資産を差し出すよう説得される。指導者には一人かそれ以上の信徒との性的関係が許されている
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絶対的な真理 – さまざまなテーマにおいて、指導者、あるいは集団が見出した究極の知識に対する自信
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絶対的な道徳観 – 指導者、あるいは集団が確立した、組織の内外を問わず等しく当てはまる、思考および行動に関する善悪の基準への盲信。その道徳の基準にきちんと従えば、組織の一員としていられるが、そうでない者は破門されるか罰せられる
「金銭及び性的な利用」については直前パトロン的存在を示唆していたし、各人の存在の決定はJと別の1名による「予言」のようなものによって決定していく構造にも危険性を感じていた。また人の出入りも激しいのはJと予言者の好みによるものであろう。そしてなにより加担することが嫌だったので、この一連の一件は一種の事故のように捉えるしかないだろうと思っている。
本件がトラウマやACと関係あるのかという部分においては、足元をすくわれそうになるという意味で全く関係ないことではなく、足元に自分がなかったんだということの発見の機会になった。
問題はこのJという人物、妄想と酒癖が悪く、かなりしつこいということだ。
【AC・トラウマからの開放を目指して】また邪魔はいるかもね
【AC・トラウマからの開放を目指して】《背景》:NRSによる気分評価
「《背景》:」には実際の背景だけでなく愚痴も含まれるし関係状況の変化によって反応も変わる為、トラウマやACの記憶に並列して書くのは不適当であると感じ分けることとした。
NRSによる気分評価しようとすると気持ちに何かしら心でブロックがかかっているように思えました。今から考えると「正直に眺めなければ」ならず、幼少から「いつわらざるえなかった心」の習慣はおとなになっても続いていた悲しい側面が、「NRSによる気分評価」現れているんじゃないかと思えます。「親(養育者)の目」という「〇〇すると嫌われてしまう」という思考フィルターでもう一回今の心の状態を再評価しようとするわけで、「そうしないと己の存続が脅かされる・存在が許容されない/否定される」と本来いらない思考が先に走ってしまいます。本来足元にあるべき「自己」という「個体」ではなく「他人軸」、「親(養育者)」からせっかく離れてもその対象が「世間」など「周りの人」に置き換わっているようで、それを知った今でも、そもそも本当の「私の気持ち」にたどり着くには時間を要します。
付け加えると、単純に「気分がいい」「気分が悪い」で評価できるものではなく、「楽しい」「好き・嫌い」「驚き」「欲しい・執着・興味ない」など複合した状態を一元的に「気分がいい・悪い」に当てはめるので、そこには負の感情ももちろん含まれるわけで「楽しい」けど「怖いな」そして「心配」などスケール化しにくいものも出てきます。AC的には負の感情ほど「~ねばならない」「~べき」で潰されて隠してしまって掘り起こす際の「蓋」が当時何であるかわからなかったこともあります。「トラウマ」段階の傷でなくなってしまっているのかよくわかりませんでした。
【AC・トラウマからの開放を目指して】NRSによる気分評価
【AC・トラウマからの開放を目指して】《背景》:旗竿地
「《背景》:」には実際の背景だけでなく愚痴も含まれるし関係状況の変化によって反応も変わる為、トラウマやACの記憶に並列して書くのは不適当であると感じ分けることとした。
母には長兄と姉と妹がいて、戦時中の昭和のお家の時代でもあり、子どものいない家庭に養子に出すということが珍しくなかった時代の人で、一番無難な立場にいた母は「I」家に養子にでている。そんな「I」家の養子で収まればまた違った人生になったのかもしれないが、「I」家に跡継ぎができ、出戻ることになる。「一番無難な立位置」とはいえ、戻った家で微妙な立場となり確執が生まれていたようでかなり卑下していたという。
姉は一見すると自由奔放であけっぴろげの少しおかしな人に思わせるが、内実ものすごく外部と壁とはみせない僻地を保っていてあるかのような人で、家出することで酒宴(酒害)から離れた人だった。
早々にこの「駒」から脱出した人なわけだが、距離の取り方が極端なのは酒害に関してはかなり傷を追った人でもあろう。酒害がなく家にいたとしても、「駒」のような役割、変な話だが母の足らない部分を補完した存在でもあったことが、後で分かる。
G案件の数年後、私は不登校になってしまったのだが、この引き金は「酒害家庭」だけではなかったのでは?と思う。少なくともいい意味で「やなこともやらなきゃならない」「債務・仕事・責任の肩代わり」社会は「共同責任」とやらで学びになったとしても、担任G教員のしつこくストレスを継続的に掛け続けることが”全く正しい”とは思わない。「自らを裁かれることはない」と豪語した担任G教員もどこかで折り合いをつけねばならない時が来るのだろうし放っておけばよい。
様々な「教え」では救えない、還される時間もない中、私の中でどう折り合いをつけていくか、一つの事例であり、家も学校も逃げ場がなくなり継続され続けたストレスに私が負けた弱い人間だと決めるのならばそれもいいと思う。それを覚悟の上で【AC・トラウマからの開放を目指して】を書き始めたので好きにすればいいという思いはここに残しておく。
ちなみに姉は「酒害家庭」の責任が自分にでもあったかのように私の不登校を自分の責任と思って、沢山の子どもたちの将来へ導こうと、有名小学校合格請負人の如く子どもの絵画教室をすることとなる。
【AC・トラウマからの開放を目指して】旗竿地
共同所有になっていた土地は、すでに母の一存でどうにかなる状態ではなく、兄の反対により、更地にしても母屋を立て直すことすらできない、負の資産となる。更地になると税金もたいへんかかるわけだが、あわよくば全部せしめようとしたのが元々の兄の画策だったようだ。
複雑な状況になっていた土地の権利は結果的に弁護士さんに頼み、解決への道へ一歩踏み出すことになる。
・兄に一部の土地を買わせることで複数人の共同所有となり、連帯保証から回避
・兄夫婦の口座に110万ずつ何年かにわたり返済し済みである
・弁護士が立ち係争中であるにも関わらず足繁く兄嫁に会いに行きご様子ご機嫌伺い
そこで「なぜこうなったのか?」から始まり旗竿地にして私道を設けることで分割し、出入りのしづらい、「まぁ、残った2人に分割できない形」にしてそこをとる羽目となったわけだ。
こうして 母 vs 兄+義姉 の構図は 兄+義姉 vs 母 vs 姉+私 という形に置き換わる。間には弁護士を介して提案し、弁護士同士の話し合いとなって係争していくことになる。
さすが母である、ただ自分が満足すればいいから、その旗竿地を更に分割することなんぞ考えていない。「あとは好きにしたら?」というわけだ。
考えてみれば、いつもこうであった。さも、私に与えられた選択肢は私が選んだかのように見せ結局は母のわがままを押し付けられる。全ては八方美人のわがままを押し通す母ご自身のための旗と竿・・・つまりは担がされる「駒」だったわけである。
しばらく我慢し、傷は深く遅かったかもしれないが、やっと姓も捨てて私は家を出ることにした。
【AC・トラウマからの開放を目指して】《背景》:検証結果とは関係なく
「《背景》:」には実際の背景だけでなく愚痴も含まれるし関係状況の変化によって反応も変わる為、トラウマやACの記憶に並列して書くのは不適当であると感じ分けることとした。
あとから考えると、彼が土地分割で生前贈与するまでもめにもめる機会を提供し、私を口止めするには良い口実だったのか「火災出したお前は黙ってろ」とまで言われたのが現実だ。それから数年、その火災現場に工事が入ることもできず、数年別の場所で一人ぐらしをしつつ、卒業までこぎつけ、近くのUR住宅へ引っ越し母と姉と3人で暮らし始めた。
母と兄は互いに弁護士を立て、それまでの母の裏切り、兄との裏取引なども表沙汰になっていく。もともと土地は母方の祖父から分けられた土地で、祖父はちょっと有名な医者で文京区に土地とビルを持っていた。この事件の起こる10年ほど前だろうか、賃貸ししていたそのビルも立ち行かなくなり、母方の兄が家長を引き継いでいたため、その兄の子供の画策で借金が返せず持ち逃げ倒産をされ、連帯保証人だった母などの姉妹に矛先が向くことになる。一人(母の姉)は都内の家を手放し、もう一人(母の妹)は計画的に子ども一人だった為、相続関係をうまく使い回避し、我が家は兄に一部の土地を買わせることで複数人の共同所有となり、連帯保証から回避が成功し、裁判も終わっていた。実態として父母は確かに兄夫婦からお金を受け取り共同所有としてそれを証拠とした。ところが、そのお金は父と母が話し合い、兄夫婦の口座に110万ずつ何年かにわたり返済したという。実兄は実質ただで共同所有となろうと一時的に助けたのは事実で登記は残っているのから、それを使い有利な土地分割を目論んだわけだ。3年、弁護士はさんでの話し合いに時間を要し生前分与という形でカタがついたわけである。さてこんなにも騒いだ裏には別の事実があったらしく実兄は泡銭から博打に手を染めたらしく借金もあったということだが、手に入れた土地を売っていないところから彼が生きている間は実家の分割された跡にはアパートが建ち続けるのではないかと思われる。
相続だの贈与だの、天から降ってくる話、このことは私にとってはどうでもいいことで、うんざりしていた。しかしその3年色々気づいたこともあった。
その一つは、私は確かに生前の父が嫌いだったが、同時に母も嫌いだったことに気がついた。URマンションに住んでたときに思ったのは、私の帰るべきうちはそこではないということ、そこが嫌いであること、そして、母の無言の「押し付け」にうんざりしていたこと、そして、やっと、苦しかった酒宴に始まり母の無言の「押し付け」に抵抗するとを禁じられてきた現実から離れるには、家を出ることが先決だということに気がついた時間でもあった。
どうせ死んだ人間だ、もうここから離れようと自由になろう思った。もれなく親不孝者の看板も背負わされることとなったわけだが。
また、幼少期ではなく学生になってたとはいえ父の酒宴のよいおもちゃとして肴にもされてきた兄もまたACかそれに近い人格障害を起こしていたと想像に苦しくなく彼も被害者なのかもしれない。
ちなみにこの家5人の家族の内、父以外酒を好む人間はいない、兄姉弟がアルコールが怨みの対象でしかないことを付け加えておく。
【AC・トラウマからの開放を目指して】検証結果とは関係なく
鎮火し、現場検証の始まる頃には実兄も到着していて、現場検証の際には金魚のフンのようについて回ってきた。紙にある程度書いて「ココに本棚、ココにはパソコン、出火場所の前にはプリンターとかおいてある棚・・・説明して回る。火の手が見えたので水をこの辺にぶっかけた消化液も近くにあったのを使った」・・・など洗いざらい正直に話して、腑に落ちなかった部分も何度も話して焦げの強い部分と実際に消火した部分との違いも説明した。状況証拠と私の証言から警察と消防との話し合いも行われ総合して、「自然発火」だねと。金魚のフンもそれを聞いていたはずで、にも関わらず彼は別の答えを出していたようだ。
後日子どもを連れて火災現場を見たいという。私は何かの事情で行けないと断ると、「お前が出した火災なんだから犯人のお前がいないと説明にならないだろう!」と罵られる。
「はぁ?自然発火だろ!聞いてただろ!」。誹謗中傷も良い所だ。
焼け死んでいたら、「ここが火災を出した犯人の寝ていた場所だ!」と自慢げに話したのだろう。
さて、こんな人間達に火災時に頼ったことがいかに馬鹿だったか。いっそ焼け死んだ方がなんぼかマシだったようにすら思った
【AC・トラウマからの開放を目指して】《背景》:火災にあう
「《背景》:」には実際の背景だけでなく愚痴も含まれるし関係状況の変化によって反応も変わる為、トラウマやACの記憶に並列して書くのは不適当であると感じ分けることとした。
得度式からは3年後(平成21年だったようだ)、また父が他界して(その時は会社員だった)まだ数年も経ったわけでもないが、心機一転、人生を立て直そうと会社をやめ勉学の道に入って1年目の2012年9月のことだった。
その前の年には終わらない夏というか異常気象というか、35度超えの夏が当たり前のようになり始め、家族(主に母だけ?)に「最近昼間暑いせいか壁からベコベコ音が聞こえるんだよね」と話ていた。そこはコンセントもありまた雨戸の戸袋になっており、暑さのせいか骨組みとなっている木材が軋んで、音を出しているのは知っていた。そんな場所からの出火だった。オレンジ色に光って見えたのは戸袋の中か外っかわの壁なのだろうが、現場検証の際、出火の一番焦げている場所はコンセントから離れた場所で床と壁の境辺りだという指摘だった。確かにそこを消火した覚えがある場所だったのだが、オレンジ色に光っていたのはそこから50cm程上の場所の壁の中だったように見え、全く腑に落ちなかったのを覚えている。
前日偶々、夫と死別して近くで仕事をし始めていた姉が帰宅しており、2階の部屋は私一人の占有となっていたため、客間に姉は泊まった。朝には出かけていたらしく、母はコミュニティセンターのボランティアで出かけていた。そんなタイミングで偶々私だけがいた目の前でおきた火災だった。
生き残ってしまったがために兄という身内から犯人に仕立て上げられ不幸のどん底に突き落とされるとは思わず、いっそ焼け死んでいたほうがよっぽど良かったのかもしれないと今でも思っている。数年間、実家の土地の件で悩まされることにもなった。
現場検証では伏線がある。火災の鎮火の際、すでに救急車も駆けつけていて、煙を吸ってしまったことから、消防の勧めもあり近くの病院に運ばれ煙を吸った方は異常がなく小さいが重度の火傷で済んだ。
病院からの帰りがけ、私は兄を頼ろうと電話をした。
私「実は家が焼けて火事にあったんだ」
兄「あん?また金か!?」
私「は?まぁそれはわからないけど・・・(この人なんの話をしてる?狂ったか?話を変えよう、今日中間試験だったわ)」
私「今日中間試験だけど、これじゃぁ行くこともできなさそうだから、いくのやめようかな」
兄「おまえは試験は受けにいけ。とりあえず行くわ」
私が生きていたことは別にどうでもいいようなことだったらしく、火災はすでに彼の中では「私が起こしたもの」というストーリーとなっていたようだ。詳しくは先に進める。