ケンポ・ソダジ師による解説:『仏説大乗荘厳宝王経』第04課
「その時、宝手菩薩は世尊に言いました:
『私はこれまで見たことも聞いたこともありませんでした。諸仏如来の中で、このような福徳を持つ者がいるとは。世尊、観自在菩薩は菩薩の位にありながら、どのようにしてこのような福徳を持つのでしょうか?』
仏は答えました:
『善男子、この世界だけでなく、他の方の無数の如来応正等覚が集まっても、観自在菩薩の福徳の量を尽くして述べることはできません。善男子、この世界でもし誰かが観自在菩薩摩訶薩の名前を念じることができれば、その人は将来、生老病死の輪廻の苦しみから遠く離れることができます。これは、ガチョウの王(※15)が風に乗って飛ぶように、速やかに極楽世界に往生し、無量寿如来を直接見ることができ、妙法を聞くことができるからです。こうした人は永遠に輪廻の苦しみを受けることはなく、貪り、瞋り、愚痴、老い、病、死、飢饉の苦しみを受けることもありません。胎内にいるときに伴う苦しみも受けず(※16)、法の威力によって蓮華から生まれ、常にその地に住まうことになります。観自在菩薩摩訶薩は一切の有情を救い、皆が解脱し、堅固な願いが満たされるのです。』
その時、宝手菩薩は世尊に言いました:
『この観自在菩薩はいつ、すべての有情を救い、皆を解脱させ、堅固な願いを満たすのでしょうか?』
世尊は答えました:
『有情は無数であり、常に生死の輪廻を受け続け、休むことがありません。この観自在菩薩は、そのような有情を救い、菩提の道を証し、さまざまな有情の種類に応じて姿を現し、法を説いて救います。仏の身によって救われるべき者には仏の身を現して法を説き、菩薩の身によって救われるべき者には菩薩の身を現して法を説きます。縁覚の身によって救われるべき者には縁覚の身を現し、声聞の身によって救われるべき者には声聞の身を現して法を説きます。また、大自在天の身によって救われるべき者には大自在天の身を現し、那羅延の身によって救われるべき者には那羅延の身を現して法を説きます。梵王の身によって救われるべき者には梵王の身を現し、帝釈(※21)の身によって救われるべき者には帝釈(※21)の身を現して法を説きます。日天子の身によって救われるべき者には日天子の身を現し、月天子の身によって救われるべき者には月天子の身を現して法を説きます。火天の身によって救われるべき者には火天の身を現し、水天の身によって救われるべき者には水天の身を現して法を説き、風天の身によって救われるべき者には風天の身を現して法を説きます。龍の身によって救われるべき者には龍の身を現し、毘那夜迦(※19)の身によって救われるべき者には毘那夜迦(※19)の身を現して法を説きます。薬叉の身によって救われるべき者には薬叉の身を現し、多聞天王の身によって救われるべき者には多聞天王の身を現して法を説きます。人王の身によって救われるべき者には人王の身を現し、宰官の身によって救われるべき者には宰官の身を現して法を説き、父母の身によって救われるべき者には父母の身を現して法を説きます。善男子よ、観自在菩薩摩訶薩は、有情が(機根に従って)救われるべき姿に応じてその身を現し、法を説きます。すべての有情を救い、彼らを如来の涅槃の地に至らせます。」
「その時、宝手菩薩は世尊に言いました:
『私はこれまで、このような不可思議で稀有な事を見たことも聞いたこともありません! 世尊、観自在菩薩摩訶薩がこのように不可思議で、かつてなかった事実をお持ちとは!』
仏は答えました:
『善男子よ、この南贍部洲は金剛窟であり、そこには無数の阿修羅が住んでいる。善男子よ、観自在菩薩摩訶薩は阿修羅の身を現し、彼らにこの《大乗荘厳宝王経》を説きます。阿修羅(※18)たちはこの経を聞いて、皆慈悲と善なる心を発し、手を合わせて観自在菩薩摩訶薩の足を捧げ、この正法を聞いて安楽を得ます。もし人がこの経王を聞き、これを読誦するなら、その人がどんな五無間業を犯していたとしても、すべて消除されます。命終の際には、十二の如来がその人を迎えに来て告げます「善男子よ、恐れることはない。あなたはこの《大乗荘厳宝王経》を聞いたのですから」と。そして、その人にさまざまな道を示し、極楽世界に生まれ変わることを約束します。そのとき、微妙な蓋、天の冠、耳飾り(※59)、上質な衣服が現れます。このような相が現れたなら、その人は命終後、確実に極楽世界に往生します。宝手よ、観自在菩薩摩訶薩は、最も勝れた無比の存在として阿修羅の身を現し、彼ら阿修羅が涅槃の地に至るよう導くのです。』」
その時、宝手菩薩は頭を地に着け、世尊の足を礼拝し、礼拝を終えて退きました。
「仏説大乗荘厳宝王経」巻第二
「その後、尸棄(※6)如来の時代が過ぎて、また新たに毘舎浮(※7)如来という名の仏が出現しました。
その仏もまた、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏世尊として称えられました。除蓋障よ、私はその時、忍辱仙人として深い山中に住んでいました。その場所は険しく険阻で、人が到達することのできないような場所であり、私は長い間そこに住んでいました。
その時、私は彼の如来のもとで、観自在菩薩摩訶薩の威神功徳を聞きました。」
「この観自在菩薩は金地に入り、覆面をした有情たちのために現身し、彼らに妙法を説いて八聖道を示し、すべてを涅槃の地へと導きました。その後、観自在菩薩はこの金地を出て、銀地に入りました。銀地にはすべて四足の有情が住んでおり、観自在菩薩は彼らを救い、説法を行いました:
『汝らは正法をよく聞き、心を発して慎重に思惟せよ。今、私は汝らに涅槃の資糧を示す!』
その有情たちは観自在菩薩の前に立って居て、こう申し上げました:
『目が見えない有情を救って開明し、道を見ることができるようにし、頼るもののない者には父母のように頼りを与え、暗い道の中では明るい炬火を灯して解脱の正道を示してください。有情が菩薩の名号を念じることで安楽を得るならば、私たちも常にその苦難を乗り越えることができます。』
その時、これらすべての有情は《大乗荘厳宝王経》を聞き、その後、安楽を得て不退地に至りました。」
その時、観自在菩薩摩訶薩はこの地を出て、鉄地に入りました。そこには大力の阿修羅王が禁じられていました。菩薩がその場所に向かうと、仏のような姿を現しました。
「その時、大力の阿修羅王は遠くからやって来て、観自在菩薩摩訶薩を迎えました。阿修羅王の宮殿には無数の眷属があり、その多くは背が曲がり、醜い姿をしていました。そのような眷属たちも皆やって来て、観自在菩薩摩訶薩の足を親しく拝礼し、そして偈を唱えて言いました:
私は、今、有意義な結果を得ました 私の願いはすべて満たされました。
実現したい希望するところは、私の正しい見方です。
「『私と私の眷属は、菩薩を見たことで安楽を得ました。』そう言って、観自在菩薩に宝座を献げ、恭敬の意を表して合掌し、次のように申し上げました:
『私たちの眷属は、昔から邪淫を好み、常に怒りを抱き、生命を殺すことに愛着を持ち、罪業を積み重ねてきました。そのため、私は心を痛め、老死と輪回の恐怖に悩まされており、苦しみと不安に満ちています。どうか、私たちを憐れみ、救い、解脱の道を説いてください。』
観自在菩薩は言いました:
『善男子、如来である仏は常に乞食をしており、その施しによって得られる福徳は無限であると説かれています。善男子よ、私の身だけでなく、阿修羅窟においても、この福徳を尽くして説くことはできません。たとえ十二のガンジス川(※2)の砂数ほどの如来が一堂に集まっても、この福徳の数を尽くすことはできません。善男子、すべての微塵の数を私は数えることができます。善男子、如来に施す食物の福徳の数は、私には尽くせません。善男子、また、大海の水の一滴一滴を数えることができるように、如来に施す食物の福徳もまた尽くせません。善男子、さらに、四大洲のすべての男性、女性、童子、童女を田畑に植え、芥子だけを種として育て、雨を降らせる龍によって芥子が熟すように、すべての地を耕し終えた場を一つとし、これを数えることができます。善男子、施す食物の福徳は、このように数え切れません。善男子、また、妙高山王の水の量を数えることができるように、山王の水を海に満たすように、四大洲のすべての書物を数え終えることができます。善男子、施す食物の福徳もまた、同様に数え切れません。善男子、すべての書かれた文字の数を数えることができるように、如来に施す食物の福徳もまた、尽くすことができません。善男子、また、ガンジス川の砂数の大海のすべての砂の数を数えることができるように、施す食物の福徳もまた、尽くすことができません。』」
「その時、大力阿修羅王はこれを聞き、顔に涕涙が溢れて流して、心を痛め懊悩し、咽び泣きながら、 観自在菩薩摩訶薩へ申し上げた:
『私のかつて行っていた布施は、施し対象が汚れた非法で正しいことではありませんでした。このため、私と眷属は今や悪趣に囚われ、その業の報を受けています。しかし今なぜ少量の食物が如来に捧げた時、甘露に変わるのでしょうか?私は以前から愚かで無知であり、外道のバラモン(※12)の法を実践していました。その時、貧相な風貌の男が私のもとに来て、必要な物を求めました。私は種々の宝冠、金銀の耳飾り、上妙な衣服、宝飾品、そして浴器などを揃え、また百千の象馬、宝車、真珠や装飾品や房が吊るされた飾り付け、さらに無数の宝蓋や宝網を広げ、その上に宝の鈴を吊り下げて『チンチン』(※56)響かせました。
さらに千頭の美しい毛並みの黄牛を用意しました。白銀の蹄、黄金の角、真珠や様々な宝石で飾り付けました。また、千人の容貌端麗で天女のように美しい姿の童女を用意し、金宝の耳飾りや天冠を戴き、多様な美しい衣服、間に宝石をはめ込んだ帯や指輪腕輪、桜の飾り妙な華飾りなどを様々に飾り付けました。その上、雑多な宝石の座席を用意し、金銀や雑宝が無数積まれ、数百千頭の牛とその牧人も集まり、天上の美味しい飲食物も数多く用意し、また、無数の宝鈴や無数の金銀の獅子座、無数の妙な金柄の払子、七宝の華麗な傘なども用意しました。
これらの大施しを行った際、百千の小王や百千のバラモン(※12)、数百千万のクシャトリヤ(※13)たちが集まりました。その時、大地を統治した大勢力となった当時最も尊いとされた私は心に疑念を抱き怪しみました。私はバラモンの法に従い、過去世の悪業を悔い、クシャトリヤたちとその妻子や眷属を殺害し、その心臓や肝臓を割いて取り出して天に祀り、罪を滅ぼししようとしました。そして数百万のクシャトリヤたちや小王たちは枷で縛られ、銅の洞窟に囚えて鉄の杭を設置して鉄の鎖でクシャトリヤたちの手足が縛りました。その窟に門を設け、普通の木を第一の門とし、アカシアという木(※3)を第二の門とし、鉄を第三の門とし、焼いた銅を第四の門とし、生の銅を第五の門とし、銀を第六の門とし、金を第七の門としました。七重の門にはそれぞれ五百の鍵をかけ、さらに各門には山を設置しました。』
《以下漢文》