Al-Anonと救い

この半年、トラウマと戦いながらひたすらマインドフルネスで洗い出していたのだけれど、私には小学校に入学してから4年生以下の記憶がスッポリないんです。事件のあったことはいくつか覚えてはいるもののピンポイントそこだけで、寧ろ幼稚園に入る前で幼馴染の子と遊んだ思い出や幼稚園に通う途中に大きな一貫校の学園を通るんですがケヤキ並木を整備されていた道を友達たちと通ったり、はたまた幼稚園の運動会やら庭で「森のくまさん」やら踊ったり、工作したり、クリスマスの演劇でキリストの誕生シーンでロバ演じたり、歌ったり、はたまた、スカートめくりが流行っていて、先生が顔真っ赤にして「そういう悪い子にはスカートはかせますからね!」と怒っていたり、他には幼馴染の女の子が好きで甘酸っぱい思い出や、その子に妹さんがいてお人形さんごっこにもつきあわされたり、ブランコ乗ったり、えぇ、結構楽しい思い出いろいろ覚えてます。
けれども、私には小学校1~4年生の記憶がスッポリないんです。
私は大蔵省(現在の財務省)に務める父とお嬢様大学卒の母の間の第三番目で、上に11歳離れた兄と8歳離れた姉がいます。東大出身でエリートコースであった父ですが、実に官僚なんて家庭ではクソみたいなもので、浴びるようにアルコールを呑み、くだを巻き暴力をふるい家庭崩壊。読んでる方の中には「官僚エリートが勝ち組家庭」とか思うでしょうが実態は親としては最低でした。酒害家族で夫婦間暴力は共依存を生みます。私は共依存で離れられない夫婦のもと逃げ場のない恐怖の中に育ちました。日に日にひどくなり平気で暴力を振り、そう姉が中学2年のある日・・・これ書いていて思い出したのは髪の泣き叫ぶ姉を父は毛を握り引っ張り回し十数メートル引きずり「出てけ!」と。とうとう姉も家出します。日に日にひどくなっていき逃げ場のない眼の前の部屋で小さくなっていた私を姉なりにかばってくれることも記憶しています。震えていたんでしょうね、怖くて、思い出したら涙も出てきます。エスカレートしてとうとう母に手を上げます。振り上げた拳に顔めがけて叩かれ「べいん」と鈍い音が耳に残っています。母のかけていたメガネは吹き飛び、その後は号泣する中、逃げ場のない私は眼の前で立ちすくんでいました。

酒が憎いです。

私の兄も姉も酒が嫌いです。原則呑みません。
こうして私の住んでいた家庭は崩壊していきました。小学校高学年5・6年は比較的若い女の先生が担任でした。一見小綺麗なのですが唇の上に結構目立つ傷のある人だったのが印象的です。数ヶ月すると豹変して本証を露わにします。始まりは確かクラスの誰かがエビが嫌いだったのか、エビフライを残して残飯にしたことから始まったかと。ヒステリックに怒鳴り散らし犯人出てこいと騒ぎます。まぁ、「犯人は正直に出てこい」とか学校ではよくある風景なわけですが、彼女は違います。しばらく怒鳴り散らしたかと思うと「じゃぁ、お前ら、連帯責任だ。今後、毎日償わせてやる!」と莫し立てその後の学校生活は本当に地獄と化しました。何かにつけてビンタ、えぇ、吹っ飛ぶぐらいです(今ならクビになるでしょう)、暴力、脅し、何かにつけて怒鳴り散らします。すぐに正当化し始めました「他の子供達、卒業した子どもたちに感謝されているから、私は正しい、やっていることは正当だ」と。「おら、ボイコットしてみろ、そんな根性もねーのか」「お前ら許さねーからな!せいぜい卒業するまでお耐えればいい、コレが連帯責任だ」と。裏で皆いってました「またあいつヒステリー起こしている」と。まぁ、尋常じゃない。やがてクラス外でもこの態度を振り回しますが、逆に舐められ、そんな反抗した彼はヒーローで、後ろの方で拍手も起きるほどでしたか。

そうして、家にも学校にも逃げ場がなくなったわけです。大人から見ればクソみたいなことですが、当の子ども本人には深刻な傷を残します。

さて姉は早生まれで当時中学2年生というと14歳です。私も早生まれで6歳、つまり小学校入学していたわけです。ACの方で特定時期の記憶の欠落って珍しくないようですね。私も漏れず記憶の欠落が起きてしまっています。幼児期の記憶は比較的残っているのに小学校入ってからは断片から必死に思い出さないと、子供のできる数少ない能力で全身全霊で生き残りの行動し続け、記憶をシャットダウンしてしまっているかのようですが、その記憶を掘り起こさないとトラウマの実態が見えませんでした。何度もそのフラッシュバックとその記憶の鮮明化、慣れさせながら、再学習させるわけです。

・・・まぁ、それで今でも苦しんでいるわけですが。正面から向き合ってみるとこんなにもひどい傷だったのかと・・・数日涙もしました。追々これはすべて明かすかもしれませんが、救いはないなと。

父も他界し、最後にとどめは火事にあい跡形もなくなったことですか。そしてまたすったもんだ。

フラッシュバックに気がついていましたが日常、二進も三進も行きませんし、致し方なくトラウマを開陳しつつ子供だった頃の無力な自分を今の大人の目線で記憶の整理をつける荒療治を、この数ヶ月行っていますが、やっと今になって、トラウマを整理してみて、初めて私が、AC(アダルトチルドレン)であったことを自覚させられました。

そんなこんなでもがき苦しみながらアラノン自助グループに通うことにしました。

酒害家族にさらされた人達と会って、本当にアルコールに逃げる人たちの弱さを痛感させられます。
仏教では飲酒は戒律で禁じられていますが在家の五戒にすら上がっている理由が今更わかります。
アラノンと同様にアルコールホリック自助グループもあって(本来はこちらが本道だった)ちょっとした正当化も「甘え」と断じているのは頷けます。そうやって飲む行為こそ無力な人間そのものであるというわけですよ。

ACは自覚が必要なんです。アルコールホリックは他覚で認定されるものです。なので「ちょっとぐらいならいい」というのは罠でしかなく結局は自覚してやめられず飲酒を繰り返す要因でしかなく救えない「甘え」を正当化しているだけです。立派な依存症です。巷でみる麻薬と同レベルの依存症ですね。ちなみにタバコを吸っても狂って人を殺すようなことはありませんが、酒は毎日ニュースで見る如くですね。未だにタバコやめてから吸ってませんが、依存症ではありませんよ、あんなもん。好きなままやめているので匂えば香りは楽しめますが、自ら吸おうとはしませんし思わないんですよね。そういう意味からも私には飲酒は甘えにしか見えないわけですがね。

そんな中調べていて「龍樹菩薩」のいう「三十五の過失」が目につきました:『三十三には、精神異常をきたしたり無知になる原因を植えつける。三十四には、死後に悪道や地獄に堕ちる。三十五には、もし次の生存に人間に生まれたとしても、その生活は常に狂気と愚かさに満ちる』。酒難しという私は、実は周りにかけた迷惑は怨となって降りかかる相続を受けたのかもなと、悔しく泣いたとしても今更遅いという話で片付けるのもよいでしょうが。来世に引き継いだとしても父からも相続を受けているとも解釈したとしても自戒もできないのなら救いようもないわけです。私はそう思ったわけですが、来世はないなら過去世もないです。お好きなだけ楽しめばよいです、他人事なので。

まぁ、そんな中、ちょっと元気の出るマントラがありましたので二週間ほどかけて邦訳していこうと思います。元々は今亡き師匠は山登りが好きでヒマラヤに憧れチベットで色々持ち帰り日本で僧侶になった方だったのでよく歌いながら唱えて教えてくれていた真言だったりします。オン マニ パドメ フーン♪

話は前後しますが得度の際習った准提真言ですが、実に密かにいまだに読んでいて、何故か多羅菩薩へつきあたりました。准提真言は満願すると夢の中なりそういう眷属とであったり色々実際に起きることがあるそうなんですが、単純に「頭おかしいんとちゃう?」と思っていたわけですが、まぁ調べていくとそういう功徳もあるそうで。実際にはやはりこれも師匠譲りで「観音様の涙は多羅菩薩だよ」というのを頭の端で覚えていたのかもしれません。何れにしても准提真言を調べるとどうしても立ちはだかるのが六字大明で「オン マニ ペメ フーン♪」は観音様の真言と捉えるのが正しいんだと気付かされました。准提観音様以外、真面目に、観音さん拝んだことないんでしが、そんなこんながあったので。

色んなことがあるね、ホント

この夏地獄のような積熱の暑さで、どこやらの国の我儘で未だ侵略と殺戮の終わらない世界ですから、コストプッシュインフレでおかしな世の中になっているようにも感じるわけで。
さて、同じマンションに住む人が亡くなっていたらしく、先週末、警察官が聴取に来ていた。「向こう三軒何とやら」のようなご時世でもなく、まして、マンションの自治会があるわけでもなく転々バラバラで、昨日見なかった人が隣に住んでいるなんて、日常茶飯事なところであれば尚更のこと。たとえお隣が亡くなっていても分らない・・・よね、比較的家にいることの多かった私です不審な音や騒ぎなんて聞かなかったので、「え?何も不審なことはなかったですね、隣人と付き合いないので・・・」と。警察官もわかっていて「事件性はないと思うんですが、そんな事があったので・・・私も現場は見ていないのでわからないんですけれども」と、こりゃぁ、お気の毒にと。
9月というのにまだ暑さの残るこの3連休で最終日の今日は買い物に行って帰ってきたら、マンション前には、家財と思われるものが山積みの軽トラックが止まっていて、防護服姿の外国人が何人か。あぁ、掃除屋さんかなと、ウチの妻が荷物を大量に持って上階に上がって一旦置いてきてくれたのだけど、ひどい形相で降りてきて「ひっどい匂いで・・・エレベータ使えないから外の非常階段で使ってきたよ」と。このマンション唯一上と下を移動する手段が外から施錠されていて住人でも入れない非常階段とエレベータだけなので、ここを使って荷物の上げ下ろしされてしまうとなんともかんとも。それでとてもではないので非常階段から回ったらしい。作業中は開放していたらしいのだけど、私が帰ってきた時にはすでに施錠状態(苦笑)致し方なくエレベータを使いました。
生ゴミとか腐った匂いとあわさって、腐乱していたのかもしれないけれど今まで嗅いだことのない匂いが充満しています、エレベータ(汗)数時間立ちますがまだひどい匂いが残ってました。
一人暮らしの方が多いし、多分一人旅だったのでしょうね、色んな事情があるし色んなことに立ち会ってきたのでしょう。何とも言えない気持ちであった。兎にも角にも御冥福をお祈りします。

PHP 8.1

個人のサイトなので検証もかねて8.1まで上げてみました。

問題はDrupal棚上げ中(9.5に上げましたけど10.0にするかどうか)。いつの頃からかわからないのだけどコンタクトが使えないのでWordPressのフォームにリンク張り直したりしてしのいでいましたら、PukiWikiのwiki投稿が真っ白でした(苦笑)。

原因はGoogleMaps3というプラグインだったんですが、意外とAPIなしでもIFRAMEタグでGoogleMapsを使うことが出来ることがわかったのでガシガシ書き換えました。perlかshell scriptで一括でやろうと思ったんですがawk/sedで出来そうだなぁとか色々考えてらちがあかなくなりそうなので、原始的にexcelに文字列操作を使って流し込んでコピーアンドペースト、隙間時間で150ページ位を4日かかってしまった。。。

wikiはある程度整形された情報を出版するのに丁度いいので使っていました。元々GPS情報で経度緯度、共有出来たらいいなという試みだったので、実は内容自体にそれほどのこだわりがなく検証もしてられないのが現状ですね。

歩き回った記録程度まとめていたんですが、写真扱うとなると溜め込んで一挙に放出するような使い方なってました。去年ダーッと打ち込んで後放置してました。。。いくつかまとまった情報も出てきていたので江戸川八十八ヶ所はしばらく手直しも必要ですかね。

ぶっちゃけ、こういう手合いの情報は視点が違えば全く違うものにもなり得るので批判もあれば甘んじようと思いますが、単なる個人コレクションとおんなじですからね、所詮。そういう意味ではマイマップはとっても便利ですよね。

さて、google mapのローカルガイドで色々気も遣うことがあったので、個人のサイトだし好きなように書けばよいと思うのだけど(今後もスタンス変わらない)、流山100ヶ所も江戸川八十八ヶ所も元々の思惑と現状が違っていそうで、どうしようかな、実は手元に写真も溜まって面倒くさいなーというところ。

面倒くさいなら止めてしまえってのがもう一つの選択肢としてとっておいている状態です(笑)

いずれにしても、GoogleMaps3プラグインは凄くお世話になりました。ありがとうございました。・・・というところでプラグイン自体は引退させる予定です。

ESXiを捨てる

10月に入って仮想環境ESXi用の廃品一歩手前で再利用のP8H77-I(ASUS)から格段にアップグレードしてZ590I AORUS ULTRA rev.1.0(GIGABYTE) / Core i7-11700 / 32GB Ram / NB-INT-I350T2-S / MasterBox NR200 / MLW-D24M-A18PC-R2 (+PFU 300W)の構成で立ち上げましてん。

実際使っている環境を考えるとFreeBSDというUNIXを3機仮想ホストの中で動かしている(動かせればいい)だけですし、目的は何かと言えば名称が変われど昔ながらの古いマスター/セカンダリ運用が出来て、それでいながら仮想ホスト自体も監視できたらなおよいわけで、元々ESXiにこだわる必要もなかったというオチではあります。

・私が運用するのはFreeBSD(昔っから使っているのでLinuxよりも手が出しやすい)
・sambaサーバでAD(とDNS)、管理目的のローカル用のメールサーバ
・それら2台を監視運用するサーバの計3台構成しか使わない
・Webサーバを実験的に動かしてCMSなどの検証が出来れば尚よし
・最近poudriereで別の炎ダルマi7-3770がいてスリムなファイルサーバができた
・IPMI/System Management Bus周りはないので監視環境は自前で用意しなければならない

似たようなことならへたするとDocker出来るのかな?!が、とりあえず、使い慣れていないので今まで通り仮想環境を作ることにしました。

よってOSはFreeBSD(13.1-RELEASE)でbhyveを使って仮想環境作ることにしまして、CBSD+ClonOSを使って管理することにしました。FAN回転数も監視対象にしたかったところですが現時点では諦めました。

BHyVeあれこれさんで調べてみるといくつか古くからあるソフトウェアが選定できました。

① shell scriptベースになっていて今後も自分で作り込んでいくならば、vm-bhyveがベストではないかと思いました。選択している人も多く敷居も低くbhyveが何かを理解する上では扱いやすく半月間コレ(vm-bhyve)で動作確認していました。わかりやすいです。一つの方向性として私はココのページに行き当たりました。

From 0 to Bhyve on FreeBSD 13.1

ホントにこれがいい形だなと素晴らしい記事です。単純な運用なら十二分ですが、物足りない気もします(物足りなさ辺は作り込みでカバーするならば十二分ですということになります、迷えました)。

② WebインターフェースもあるBVCP。portingされているので手軽に使うことが出来るんですが、設定関係下手すると簡単じゃなく敷居高そうです。ちなみに入れただけでは手も出ずVMイメージを移植したい私には全く手つかずドキュメントリソースもほぼ無く探せませんでした。

③ もう一つはCBSD。気楽に聞けるコミュニティはありませんが開発がある程度最近に続いています。ドキュメントなどのリソースもある程度充実していました(英語/ロシア語)。CUIのフレームワークとしてWebUIのClonOSもあります。

 

冬至

近年はいつもゆずのバスソルト使っていたんですが、ゆず買ってきてゆず風呂やりましたが、こういうのちゃんとやってみるのもいいもんですね。身体が温まりました。カボチャはすでに今日はおでんデーにしようと思っていたのでカボチャプリン買ってきてしまいましたケド。

すっきり

元気ですんません。むしろ元気になってきているのです。

宣言もしていましたし、これでもう来ることはないでしょうね(ヨカッタヨカッタ)。大元帥張ってましたけれど脅しですかー、醍醐ってこういう使い方する程度の脳みその方が多いのでしょうか。うんざりしました。そしてよっぽど悔しかったのか、グゥの根もないのでしょう。

ちなみに私はサイの角の表現を使った時点でお宅のブログは1年近く見に行ってないのでログの見方誤っていることだけ教えておきます(残念)。公開して聞いてみれば?ぜーんぶ間違っているのを気がつけるかと。病状も全て見誤っていますよ、むしろ随分とよくなってきていますんで。病んでるとか相手に投げかける言葉じゃないですがこういう地獄行きのカルマ好きに積んでください、皆さん一緒に。まるっとお返ししますね。

もっといえば、法については複雑になりすぎていて整理は必要だと思っていて、自分用に基板を触るよりもダルマについての整理してシンプルにする意味で確認する意味で「作る」傾向はあるかもしれないと答えたことはあったけれども、もおまへみたいに「カルト」作りのでっちあげて嘘の法のまねごと(方便)を重ねるつもりは毛頭なくそういう「小細工」押しつけないでくれる?山が神がどうのこうのに始まって、共振性に至るまで、お釈迦さんがどこで言ったのがソースくれね?って言っているが出せないことは今回でわかったし、ずーっとうさん臭さ感じていました。

あそうそう、酒も薬も止められない呑まれっぱなしの始終へべれけのおまへにたばこがどうの言われる筋合いないわ(笑)。すでになくても生活できる私にもうそこしか出すネタなくなったのか?今日も「お薬足らない」のね(失笑)。クダを巻くことでしか救われないどこの酔っ払いだ?ってか、認知も怪しくなってきたな、その内今何してるかもわからなくなるから安心して呑まれてろ(苦笑)。

さて、この関係でまたワラワラ来るようなことはないでしょうが、また来たりしてな(わらわらキモいから)。で、こういうのがきっかけでイジメに走る可能性を危惧していたので排除できれば今更ながら当初の通り私の目標は果たせたことになるんで(実際に起きてるわけで)。

で、見に行かない宣言は

木を見て森を見ず

バラされちゃったもんね(笑)。みんなとも確約できたんでしょ?もう行かないようにと。小細工ばっかり、気持ち悪いわ。疑念わかされたらまた減っちゃうもんな(失笑)。

ちなみに、おまえには未体験ゾーンで説明しても無理だと思ったのであえて「空っぽ」という表現は避けてあげたけど「空」は本当は「空っぽ」ね。我にしがみついて「神」など架空の我の投影にしがみついて、その意味に到達することはないと思うよ。あんなもんただの入り口に過ぎないのだけれど入り口にさえ入れていない相手に混乱でしかないので。

このキモい絡みについてはそのうち整理しますし、整理するより、全て関連付けて時系列そろえて検索ボットに引っかかるようにしてお返しするって言う手もあるにはあるけれど価値も感じていないのでさっくり整理する方向で。

また予言しておきましょう過去のたっちゃんの件などを鑑みても、数年にまた繰り返す事がはっきりしてますので我慢できずに地獄への道、繰り返して一歩一歩堕ちていってくださいまし。あ、おまへには全部方便だもんね。

木を見て森を見ず

私信

について前回も色々書きましたが、甘やかす必要はないと判断し全文公開が望ましいと思うため、約束通り、この後のやりとりについて公開します(個人名についてまたホスト名について伏せますので修正が入っています)。

申しわけございません

それに対し、いっての理解を示すメールを送り更に返信がありました。

ありがとうございます

ぶっちゃけていうときちっとここで

過去世の話はしないようにします。
そして、悪く言ってしまって
本当に申しわけございません。
自分が人を利用しようとして
ことも認識しています。
それは、今後気をつけます。

とご本人言っていましたが、今回の一件に繋がります。完全に嘘をついていたことがわかると思います。

旭川の中学生を自殺に追いやったように、こういうグループLINEでやる手口はかなり幼いやり方で手を汚さない為に必死に考え相手を陰で潰そうとした意図がうかがえます。

彼自身が言ってますように、法はねじ曲げられないそうなので、きっちりと今後摘み取っていってもらいたいと思います。

ダンマパダでは以下のように「悪(暴力)」について言っています。

手むかうことなく罪咎(つみとが)の無い人々に害を加えるならば、
次に挙げる十種の場合のうちのどれかに速かに陥るあろう、
(1)親族の滅亡(ほろび)、(2)財産の損失、(3)国王からの侵略、(4)恐ろしい告げ口、(5)激しい痛み、(6)身体の傷害、(7)重い病い、(8)乱心、また(9)その人の家を火がすっかり焼いてしまう、(10)第十として、聡明な智力がなくなって(老いぼれて)、身がやぶれたのちに、悪いところ(=)地獄に生まれる。(137、140 「真理の言葉」)

歯向かえない状態で(グループLINEなどを使い)無実の罪の人に害したのなら地獄行きということですね。戒律と違いコレら「いじめ」などについてだけは相当に厳しく言っていることがうかがえます。まして、その環境に加担した人たちは同じかそれなりに重い立場です。今日では少なくとも同罪レベルで扱われていますが、ほぼ罪の意識はないようですね。そりゃーそうでしょう、「早く終わって」「私関係~ないし」。前の行にあります。

しかし愚かな者は、悪い行いをしておきながら、気がつかない。浅はかな愚者は自分自身のしたことによって悩まされる。ー火に焼き焦がされたように。(136「真理の言葉」)

こういう行いの”ない”人が「僧」やバラモンであるとも言及していますし、有名な一文「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」、名称や文字列だけにしがみついて、全体を見えていないよくある例です。まさに「木を見て森を見ず」の残念な方です。それらの十種の陥りは速攻で出る場合とそうでない場合とありそうですが、うけた側は大抵は絶望的な状態です。それこそ受け取らないのでお持ち帰りいただきたいと思います。

さてさてさて

さて、うけている治療の話でわかるとおり、まず第一に「ぬれぎぬ」であるか「誤解」であるか「妄言」であるかだろうね。

それからここのWordPressは単体プログラムで配布されているものを使いサーバに一から構築したものであってソーシャルネットワークサービスの機能はもたせていない。続いて検索ボットも禁じている。ですので、彼のいっている話は前提からしてほぼ「嘘」になります。

昨年末カルト集団妄言禿頭から電話があったのは、この休職中「うつ病」ピークの真っ盛りの頃で、「今休職してるんですってば!」っていったにも関わらず、今回のようになるわけですから(「ネットから撤退」宣言も”信者も減る”のも許容して「神遊び」優先も、LINEの投稿がありましたが!)、単にこいつテリトリーとプライド意識のことでしかなかったんですね。迷惑だしほんとに我が儘勝手でマジで「神遊び」いい加減にしろと思ったのも本当です。この煩悩のままに生きていているカルト集団妄言禿頭は「もう俺様のお山が出来たからおまえいらない」という話に繋がっていくようでした。

はなっから妄言というのは、「妄言禿頭にとやかく言われる筋合いのない」こと(=治療)、まさに「神遊び」で対応するカルト集団に、不敬に対して叱りの気持ち以外の何もなかったことですよ。

何のことかというと、彼曰く外部で習いに行った?ことらしいんですが、要は妄言禿頭の自身の脳内テリトリーの問題のようで、残念なほど幼稚すぎて腑に落ちないでした。流石「神遊び」程度なので本質も見抜けず、治療を受けただけなので、とやかく言われる筋合いのないワケで、本件を責められる義理なんてありません。

彼はアーナパーナーサティやアーナパーナーサティスッタという名称と経典の紹介以外は、訳本写しただけでのもので詳細についてはなっから教えていません。多分教えられないと思えます。そしてつまりは本件について妄言禿頭の彼から教えてもらった所って確認した以外はないんです。残念ながら彼の考えは薄っぺらであまり響くものって少なかったんですよね。まぁ、すなわちこの辺り「妄言禿頭にとやかく言われる筋合いのない」わけです。そしてそれをごまかそうとしてみえるのが「神遊び」なわけです(サイテー 自信ないからってマジサイテー)。

ちなみに全て彼の妄想です。過去も全て。加えるなら付随する巫女さんレベルでは本質はみえないようです。見えてたら止めてますしね。相変わらずの厚顔無恥っぷりに呆れたわけで、何も後ろめたいことのない私には、はなっから妄言っぷりに私は釈然としなかったわけで、その実ちっとも怒っていなかったりするのが、私の不思議な心境ですね。所詮「神遊び」の程度がしれると思いますが、過去も相手を悪く持ち上げるための「工作」であったのでしょう。信じすぎる盲信も妄信も無智のなせる業なので適当に距離とるなり全力で逃げるなりどうでもいいと思いますが、少なくともそのままでいるのはあまりお勧めはしません。信じ込んでいる共時性は何であっても結構起きますし、現に今までアンテナたっていなかっただけだと思いますが妄信するレベルではないですよ。いくらでも今後起きる話なので。

さて更に

要約すると「自分(俺様)のお山」というのは宗教法人格のことですんで、カルト集団妄言禿頭が消えたり死んでも確かに残ります、コレほんと。ですのでこの部分に妄言はないですが綺語ですね。「出来たから」というのはその法人格登記に書類提出の時点で信者5人必要と過去のものとなります。つまり登記が終わったのでその5人は最悪「用済み」なわけで、たとえカルトの中心人物であろうと、どんなに近かろうと「ワタシ特別」とか関係ないので現実をみてくださいまし(苦笑)。まぁ、その点で俺のそばでプロになっても営業活動しないでね宣言もチラチラ書かれているとも読み取れますが、用済みの皆さんはとっとと見切りつけて遠巻きにゆっくり離れていくことをお勧めします。ちなみに外部の教義の人を嫌がるのは単なる彼のテリトリーの問題で、単に逃げているか排除しているだけです、その妄言禿頭。そのくせ散々他宗教の攻撃に耐えてこれたのはプロとして生きていた証拠なワケで流石ですが今は悪い方向にしか出ていないようですね。このテリトリーの話は女性には本当にわからない話です。そしてこの年代になると人によってそんな体力も残っていないんです。

そんな私は「今ここ」で、実際、くだらない神遊び止めろというスタンスも変わっておらず一貫しています。この時はわかりやすいですが、まだ登記が終わっておらず「自分のお山」にはなっていなかったわけですよ、わっかりやすい。で、ばれているので自己主張に注視して「なんも聞こえなーい」てやってるんですね。実務的に法律的な所有者として誰のとか興味もないけど、地元の人たちに不敬だろ、と、なったわけですね。もう認めたくないモードなのだろうから、効いてるのかどうかはしりません。こういうヤツによく効くのは無視なんですが、私は情にもろい人なのと認めるべきはきちっと認めるのが流儀なのでつい相手しちゃうんですが、こういうタイプは無視放置プレイが粉々にプライド砕けることはお教えしておきます。放置された=他人に過度に期待しすぎて依存症レベルの人だったわけです(うわーマジキモい)。

そのくせみなさんのお名前挙げて「あいつ(ら)馬鹿だから」と平気でこいてましたので、あんまり親身にならん方がいいですよと耳打ちしておきます。

あぁ、怖い怖い。
彼曰く「別の悪い山の住人」だった罰当たりの私は今日も生きてます。あぁ、彼も生きてますね、あぁ、怖い怖い。
次はあなたかもしれませんよ、あぁ、怖い怖い。
次はあなたが自殺しちゃうかもね、あぁ、怖い怖い。
誠意がないから相談者が自殺しちゃうんでしょうね、あぁ、怖い怖い。
霊障に冷笑、怖い怖い。
神遊びが招いた法罰の間違えでは、怖い怖い。
不妄語、不綺語なのに、戒も守れないん偽物で、身もだえるほどクソみたい。カルト、ホント怖いわ~(棒読)。

うけている治療の話

MBSRという治療プログラムを受けていました(現在進行形でもある)。マサチューセッツ大学メディカルセンターにて行われたストレス軽減クリニックで実施されてきたMBSR(開発者ジョン・カバットジン)といって、うつやストレスの軽減プログラムとして行われている「マインドフルネス ストレス低減法」を「処方」されたため受けていました。実質「治療薬」として受け取ったことに始まったワケです。そもそもこの「マインドフルネス ストレス低減法」は痛みを伴う病気に始まり(癌など)、うつ症状、最近では、機能性ディスペプシアや逆流性食道炎などの治療などでも使われているケースがあるようです。その意味では投薬でほぼ期待の効果が得られなかったので当然の処方ですね。

FYI っ 「うつ病はセロトニンレベルの低下により生じる」という説には十分な証拠がないという研究結果

MBSRは、仏教的教えを欠いているので択法覚支や執着から離れ捨てる捨覚支などがないとみられる片手落ちシステムに思っていた(正直言うと四念住の(身以外の受・心・法の)3つが欠けたものでまさに手足のないシステム(そもそも元々ないとも言えますが)と思っていました)のですが、色々やってみると面白い認知の狭間に気づけるプログラムの一つである事は確かだったりするワケです。

デイケアの一枠を使って軽運動とマインドフルネスを行っていました。実際に行ってみると導入説明はものの15分の終わり、その後殆ど残りは実践練習とその活かし方の話になるわけです(そりゃー必要ですよね、練習が一番大事なので)。でも実際一番のポイントは技術云々ではなく認知改善を目的としているので、私も実際半信半疑で出口をどこに持っていくのだろうというところでした。後々、アサーティブトレーニング(アサーション)というコミュニケーションプログラムでトレーニング、別枠で追い打ちかけて運動療法などストレス軽減を加えていく、認知行動療法の一環のプログラムに過ぎません。ただ、アサーションとは「相手の尊重」と「自己主張」と「認知能力」の欠如(とその認知能力への気づき)と「過剰反応」抑制という考え方を主体にしたコミュニケーショントレーニングでした。

医療の世界にマインドフルネスって、私は非科学的で心理療法をすっごい馬鹿にしていていました。ただそれは凄く視野の狭くなっている時とかは話は別なのかもしれません。一組目の第三段階の身体観察しかしない入門的なことしかやらないので、仏教的な「宗教性」を取っ払ったシステムとはこういうもんなのか、と改めて面白く感じた次第です。全て「認知」の話なワケで、私が医療で受けたのはそのMBSR(マインドフルネス ストレス低減法)と後述するがアサーティブトレーニング(アサーション)や作業療法、運動療法とその一環として(医療としての)太極拳(メディカルタイチ)というプログラムまであったのでした。そう、それを全部含めて治療というわけです。

私の場合は自律神経失調症の気があって、そこに加齢による更年期障害でバランスを崩したホルモンバランスにこのご時世の圧が加わって完全崩壊してしまい、うつになってしまったわけで。実のところお恥ずかしながら昨年の今頃は、人目に対して恐怖・敵意が強く出て、外にも出られなくなり、投薬受けながら更に悪化という、「うつ」という病気にばかりに目をやりすぎて色々置き忘れてきたことに今年の初夏に気がついた(もう遅い)という地獄の日々であったわけでした。女性の更年期障害とは違って、男性のテストステロンは生体の変化に関係がなく急激に減るというわけではないので、その複合的要素(バランス)を見逃しがちで、「あぁ気がつかなければこのまま自殺してるんだろうな」と思えたほどすさまじかった・・・んですわ。上記以外にも別の治療も受けていて実感しています。当時は冷静になれないほど認知能力すら落ちていたので日々の認知レベルの見直しだけでなくストレスの排除を凄く気にしながら生活した1年ちょっととなってしまいました(当然くだらないものネットサーフィンの時間はかなり削ります(ました)。ブログ読んでる暇なんてあり得ないわけですよ)。

なぜ今ここでというのは、「まず坐る」シリーズを書き始めた頃、やっとまとも(多分 笑)に戻ってきたからで、少し赤裸々に書いたのはこういう自分を認知するためでもあり、同じように苦しんでいる人がいたら私は直接助けられないが何かの足しになればというのが大きかったわけです。2019年の記事にもありますようにマインドフルネス教えていた「ブッダダーサ比丘」という人には既に認識していました。私のアーナパーナーサティは本と経典から得たもので、誰にも教えてもらったわけではなくこの著書の方をベースにしています。なので訳語をあえて3種類比べてみて間をとったのが「「まず坐る」シリーズ」だったというわけです。まぁ、私の元々のバックヤードの方が強く出ていますが、3種類の訳を比べてみてほぼポイントは同じ重なった部分を私の視点で書いた、「ピエロ」というのはもう赤裸々に出すしかない(だって、訳文そのまま書いたら単なる「著作権侵害」でしかないですから)という反面的なことをあえて書いたのがそれだったりします。

ついでで、結論として、(今行っている病院とは関係ありませんが)「テストステロン」は十二分であれば社会性アプローチに重要なホルモンで、男性特有のテリトリー意識とプライド意識はこのホルモンが関係してるんだなと本気で納得していました。

そういえばコロナも怖いですんで、お気をつけ遊ばされ。

おまいらもちつけ:追記と本音

さて、私はブロックもヘタレもしておらず常にオープンウェルカムです。先日書いた時にそんな君のためにお仲間も含めてちょった細工はしましたが(笑)、LINEの件は私的には元々「仕事用」もとい「飯の種」に使うものですんで、お遊びに振り回されるのはちょいと意味が違います。で、結局は

LINEは止める予定


とはいえ、端末入れ替えの際にすったもんだありアカウント放置している状態でしかないわけです。他から誘われていますのでそのアカウントを消すことは変わりありませんが、どこをどう通ったら「ブロック」になるのかさっぱりわかりません。

さて、LINEのグループについてですが、既に新しいのを作って移り住んでいるかもしれませんが、本来は「グループを作って」参加していただくんです。「勝手に消えろ」とかぼけたこと言ってんじゃねーよと思えますがどうでしょうか?こういう先(よくあるトラブルで誰かが暴走する)が見えて1番最初に私が作った時一時使いで消したんですわ。巫女さんには過去が見えるようですが未来は見通せないようで。まぁ、この辺り、はなっから信用はしてませんでしたのでね、やっちゃったね。

私信

ちなみにこのページは本来削除する予定でしたが、泥酔状態だった時に警告した際、メールをいただきまして

「僕の失態として
残して頂ければ、僕も、また
今後、図にのってやらかす、時が
あると思いますので、振り返って
あー、自分、バカだったと思える
記事として残して頂いたら幸いです。」

ご自分で、頚木にしたいとお願いされたから残したのです。どうとでもわめけばいいですがそれが実態です。本当は隠しておこうと思いましたがこれで何度目でしょう?信頼に値しませんね。ただ、「頚木」にしてでも本気であったことは事実なようですが。

それよりなにより、頭来るのは「土地神」様を人の欲でいいようにでっち上げて泥を塗る行為ですか。どっかのカルトもそうですが、「神はそんなためにいるのではない」ので罰あたらないでしょうが、だからといってやっていいことではないですね。そういうのを「神遊び」といいます。要はそこに住んでいたり関わる”他人様”に泥を塗ったわけです。こういう神遊びをしないように厳しく修行したはずなんでしょうが無駄でしたね。

おまへのもん(所有物)じゃねーんだよ、
おまへお陰さま(お互いさま)なの忘れんじゃねーよ、
バカたれ。

そーいって、周りにいる人たちがその禿あたま引っ叩いても止めるべきなんでしょうが、何もやってないようで何も見えてきませんね。要は山の神様とやらに愛情のかけらもないようで、そろいもそろって同情しました。何やってんの?ま、別な意味ではよく教育(洗脳)が届いているようで自分でものを考えられなくなって何よりです。ま、このときのように目覚めることはないかもしれませんがね。

ついででばらしますが

「過去世の話はしないようにします。」

といったのに、その後も、ちょこちょこやっていたらそりゃー心も離れますわね、普通。ツツかれますよね、当たり前です。「信者が大事だ」とも告白されてましたが、まぁ、みなさんも実態に気がついたら適当に距離を置きつつ離れていくことお勧めします。そして呼んでも来ない人が増えていったんでしょうね。私は「過去世」信仰信者とは関係ありませんがこうやって頭、公開で引っ叩かせていただきます。

極論、自分で壁を作り閉じこもっている様が見えるんですが、それにより周りを敵視し、最終的にぶっ飛んだかもしれませんね。「うつ」の薬飲みすぎでしょうね。ちなみにこの一年で私もこの感覚体験しましたが、少なくとも、セロクエル、セルトラリン・ジェイゾロフト、いずれも敵視や攻撃的反応が副作用に出るんですが、去年ド填まりしてた時に医者に頼んでだしてもらいったのに危険を報告したら速攻で取り上げられましたよ。セレトニン増やしても意味ないですね。まぁ、おつきの病院で相談されてください。

(ま、読めないかもしれませんがね、携帯では読めてるんでしょ( ´,_ゝ`)プッま、そもそも学ぶことを止めたヤツにどうにもならんはなしですが)